教養は死んだか: 日本人の古典・道徳・宗教 (PHP新書 181)
- PHP研究所 (2001年11月1日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (287ページ)
- / ISBN・EAN: 9784569617053
作品紹介・あらすじ
古来、中国人は「教養」を知識の習得とともに、道徳的修養ととらえていた。そして、学習する知識は儒教的古典であり、その古典学習を通じての人格教育であった。しかし、現代日本人の「教養」は知識と同義になってしまった。かつては知識と人格は日本人においても一体化されていたのに、今は分裂してしまった。両者が再び結びつくことは何能なのか。本書では、道徳教育・宗教教育の重要性を説きつつ、中国古典学の立場から日本人の「教養」を貫ぬくものを明らかにする。
感想・レビュー・書評
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儒教的古典が大きな影響力を持った東北アジア文明圏では、古典的教養を身につけるということは単なる知識を多く覚え込むということではなく、人格を作り上げることを意味していたと著者は言います。しかし、明治維新以降そうした教養が軽視されるようになり、戦後に至って教養の持っていた意義が完全に見失われてしまうことになりました。著者は、現代では忘れ去られてしまった儒教的古典の教養が持つ意義を見なおし、その復権を説いています。
具体的な内容としては、丸山真男の日本思想史研究に検討を加えて、丸山が十分な古典的知識を持ち合わせていなかったことを検証する論考や、吉川幸次郎の人と思想を紹介した文章、さらに教育勅語や伝統的な道徳思想の意義を見なおすエッセイなどが含まれています。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
近代になって儒学を基にした何らかの道徳教育が皆無となり、知識詰め込みの教育が行われているのは問題であると私も思う。日本人の道徳の根底には論語があると私は思っている。私は論語→朱子学→武士道→大和魂のように考えている。新渡戸稲造が武士道を書いたのも、「日本における道徳教育の基礎は教えなくとも存在した武士道による」と知らせる為であった。日本人には博愛の精神に基づく相互扶助はなじまず儒学の別愛が尊ばれるという事も良くわかる。
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09/5/15
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現代の「教養」論。
著者の専門が中国哲学のため、内容が儒教的古典(漢文)に限定されているのが残念。 -
孔子と教養