手の中の天秤

著者 :
  • PHP研究所
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  • Amazon.co.jp ・本 (312ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784569812984

作品紹介・あらすじ

加害者を裁くことのできる権利を手に入れた時、被害者や遺族はどうする? 憎むこと、赦すこととは何かを描く、感動の長編小説。

感想・レビュー・書評

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  • 執行猶予被害者・遺族預かり制度(被害者や遺族が希望すれば執行猶予のついた加害者の生活状況を二年間知ることができ、その後、刑務所に入れるかどうかを被害者や遺族が決めることができる)という架空の制度、被害者・遺族と加害者を繋ぐ役割の係官のお話。
    憎む、恨むということ、そして許すということはどういうことなのか?苦しんでいる人に寄り添うとはどういうことなのか?を社会人一年目、新人係官の目を通して語られていきます。
    先輩係官の口から何度も「人それぞれ」という言葉が出てきます。憎み方、苦しみ方、許せるか許せないかも全てが人それぞれ。
    読んでいて、私自身がドン底の頃を思い出しました。『寝れてる?』『食べれてる?』と聞かれる度にストレスを感じたこと。寝てるし食べてる私はおかしいのか?冷たいのか?とストレス、落ち込む毎日。
    今思えば、現実を受け入れたくなくて目を閉じてしまっていたし、ポッカリしてしまった部分を埋めるためにやたらと食べていたと思う。
    声をかけくれた人たちは、親切だからこそ!だったのに、ほっといてくれ‥‥って思ったなぁ。
    罪を犯した人のためだけでなく、苦しみを抱えた人にも猶予の期間は必要なのかな、と思いました。

  • 執行猶予被害者・遺族預かり制度とは
    裁判で執行猶予がついた判決が出た時に、被害者やその遺族が希望申請した場合、二年間加害者の生活状況を知ることができる。その後刑務所に入れるかどうかを決めることができるという制度である。

    もちろんこんな制度ありませんよ!
    架空の制度ですよ‼︎
    他の方のレビューで本当にあると思ってる方がいましたけど架空です‼︎
    でもリアルなんで本当にあるんじゃないかと思ってしまう_φ(・_・

    主人公の井川は係官として大学卒業ご就職するのですが、物語の始まりは大学講師・井川がこの制度の授業をするところから始まります。

    講師として係官だった頃の話を実例として取り上げながら過去を振り返るという設定です。

    内容は決して明るい話じゃないんですよ?当然被害者や遺族、加害者とその家族、全員苦しみます。
    家庭が崩壊する場合もあります。

    新人の井川を指導する「ちゃらん」ちゃらんぽらんだから「ちゃらん」
    この人が物語を最高に素敵な作品にしています(^^)

    ここのところ桂望実作品にハマっています。
    もう大好きです♪この作品も良かった‼︎

    作中にこんな言葉が…
    ナンバーワンじゃなくていいからオンリーワンを目指せと言われて育てておいて、今更オンリーワン思考だと社会は受け入れませんよって酷いと思う…

    オンリーワン信仰の否定にちょっとスッキリ( ̄▽ ̄)



    • みんみんさん
      色々細かい設定があるんだけど、よく考えられててもしあったらって考えちゃったよ(^ ^)
      色々細かい設定があるんだけど、よく考えられててもしあったらって考えちゃったよ(^ ^)
      2023/05/12
    • おびのりさん
      桂さん好みっぽいです。
      ありがとう発掘王。
      桂さん好みっぽいです。
      ありがとう発掘王。
      2023/05/13
    • みんみんさん
      おびさんおはよ〜♪
      桂さん何冊か読んで
      あら?言いたいこと言ってくれてありがと!
      なんて気持ちになるんだよね(^ ^)
      たぶん同じ人種よ笑
      おびさんおはよ〜♪
      桂さん何冊か読んで
      あら?言いたいこと言ってくれてありがと!
      なんて気持ちになるんだよね(^ ^)
      たぶん同じ人種よ笑
      2023/05/13
  • 念願の、安定した公務員になった、井川。
    しかし、研修についた先輩係官は、魂の入ってない反応を返す〈チャラン〉で……。

    被害者、遺族を刑の執行に参加させろ、という民意を受けてできた、執行猶予被害者・遺族預かり制度は、架空のものだそう。

    被害者や遺族が決められるなら、みんな刑務所入りを選びそうだし、加害者の個人情報を手に入れられれば、自ら復讐に走るリスクもある。
    執行猶予(司法制度)の意味は、と設定にはやや引っかかる。

    係官が、遺族と直にやり取りすることで触れる、怒りや、悲しみ。
    何度もぐっとくるものがあった。

    加害者を憎むこと、許すこと、という重いテーマだけれど、チャランのいい意味での抜け方に、救われるものがあった。

  • 『現実をどう受け止めるかって、人それぞれなんだよ。岩崎の場合は、遠い国の話だと思い込むことで、辛い現実から自分の心を守っているんだ。それも一つのやり方だよね。いつか、なにかのきっかけで、岩崎が現実の受け止め方を変えるかもしれない。でもそれは、岩崎が決めることだ。僕らはさ、ただ見守るだけだよ。当事者じゃない人がなにか言っても、言葉は届かないよ、きっと。いつか、岩崎が現実を直視して倒れ込んだら、僕が側にいるよ。岩崎が望まない限り、手を差し出したり、励ましの言葉を言ったりしない。ただ、側にいるよ。』


    架空の司法制度を通して描かれる、憎しみと赦しの物語。

    本作に登場する架空の司法制度”執行猶予被害者・遺族預かり制度”とは執行猶予期間を終えた加害者を、被害者や遺族が刑務所に入れるかどうか決められる制度だ。

    架空の司法制度ではあるが、主人公をはじめ、登場人物の心情がリアルで、実際にこの制度があったらこんな感じなのかなと思わされた。

    そして、被害者側の心情が様々で興味深かった。
    憎む者、現実逃避する者、赦す者…
    自分だったらどのタイプになるのだろうと想像しながら読んだ。

    哲学的な深いテーマではあるが、ユーモアを交えつつ描かれている為読みやすく、係官の主人公とバディである先輩とのやり取りも面白い。

    被害者と執行猶予中の加害者に焦点を当てた作品を読むのは初めてで、貴重な読書体験だった。

    ある日突然奪われてしまった命の喪失感や、いつまでも片付けられない憎しみや怒り。
    ある日突然奪ってしまった命への正しい償いとは何か。執行猶予とは何か。

    本作に何度も登場する“人それぞれ”
    自分ならどうするかを考えさせられる一冊だ。


    こんな人におすすめ .ᐟ.ᐟ
    ・社会派ミステリーが好きな人
    ・司法制度がテーマの話が好きな人
    ・贖罪がテーマの話が好きな人
    ・哲学が好きな人
    ・考えさせられる話が好きな人






  • 一つの事件で、被害者の苦しみや加害者の対応などを描く重苦しい作品なのかと思って読み始めたら、まったく想像もしていない展開と構成だった。
    大学で講師をしている主人公の井川が、ある年の1年間で講義をするという体裁で、過去の出来事が語られていく。
    おそらくあまりやる気の感じられない、簡単に単位が取れるという評判のある講義なのだろうな、と思わせる描写がリアルで、その時点では現代の話だと思っていた。現代に、仮定の制度を持ち込むというタイプの話。
    しかし、井川が自分の世代のことを語る部分で、ちょっとひっかかった。
    「今から三十年前、安定志向、意欲の欠如と評された世代の一期生は私たちだった」とある。これはまさに今の若者たちを表す言い方ではないのか?
    そう思って回想部分を読んでいくと、30年前の井川の発想や態度がまさに今の若者像と重なるのである。そして30年前に50代のおっさんだったチャランは、ほぼ、2013年時点での50代の人間のようである。

    まあ、細かい時制は気にしなくてもいいのかもしれない。
    ただ、今の若者がそのまま歳を重ねるとこんなふうになっていくのかな、と思いながら読むと、大学で講義をしている井川のありさまがなんとなく微笑ましく思えてくる。

    「人それぞれだからねえ」という言葉がキーワードとして出てくる。
    若い井川がそれを理解できず、自分の理想を実現しようともがく姿が、今の私からはじれったく思える。たぶん私はチャランに共感して読んでいたのだと思う。

    被害者の恨みや憎しみはどうしたら消えるのか。
    作者は、ある時期、仇討ち制度に心惹かれていたことがあったそうだ。
    やられたらやり返せ。仇討ちはそういう発想である。
    でも私には、仇討ちは無限連鎖の悪夢のように思える。
    加害者を痛めつけること、罰すること、殺すことは、いっときの爽快感はもたらすだろうけれども、必ず新たな被害者を生む。そこに理屈は存在せず、ただただ、「やられたのが悔しい」という感情しか残らないのだ。

    被害者は憎んでもいいんですよ、とチャランは言う。
    あ、そうか、と目の前が開けたような気がした。
    許せないときは許さなくてもいいのだ。というか、そういうことは誰かが決めたり、自分に強いることではないのかもしれない。
    そして、哀しみも憎しみも全部、「人それぞれ」なのである。
    どんなに同じように見える人でも、一人ひとり生きてきた軌跡は違うし、背負っているものも違う。生きている世界だって違うし、考え方だって違うのである。そういうことを、頭ではわかっているつもりでも、実際に身につけるのは案外難しい。つい、正論や常識や正義で判断してしまいがちだから。
    でも、人が生きているということは、いろんな側面を持ち、いろんな局面に出会い、いろんな感情を持って、あらゆる場面で対応していくことなのである。
    「死」は時間の停止だから、何も変化しない。ダイナミックに変化し続ける「生」の前で、厳然と存在しつづける。だから、残された人が「生きている」ことそのものが許しがたいことに見えてくるのだろう。

    初めは実にいい加減でどうしようもないおっさんとして登場してきたチャランが、次第に、実はいろんなものを抱えた深い存在として魅力を発揮してくる。というより、井川が少しずつ深く考えられるようになっていったということなのだろう。
    エンディングでは、思わず笑ってしまった。
    「気に入らない現実は断固として拒否すればいい」とは、なんとも痛快な処世術ではないか。
    たまたま昨日読み終えた朝井リョウさんの「世界地図の下書き」でも、ラストで「逃げてもいいんだ」と書かれていた。
    立ち向かって打破できるものばかりじゃないし、立ち向かう価値のない現実もある。逃げること、拒否することで生き延びられるなら、それもまたありなんだ、と、期せずして2作続けて似たような考え方に出会ってしまった。
    そしてまた、「オンリーワンじゃなくてもいいじゃないか」という一文にも、はっと胸を突かれた。平凡であること、夢を諦めること、それだってひとつの生き方だし決断なのだ。

    生きていく、とは、なんともはやしんどいことである。
    そりゃ、地面から3cmくらい浮いて生きていきたいものであるよ。
    必死でピアノを練習するチャランが、とても愛おしくなった。

  • 久々に良い、考えさせられるものを読んだ〜
    執行猶予被害者・遺族預かり制度、実際にあったらお話にある以上に問題勃発だろうけど、人の心情はおそらくこういう例もあるだろうなと想像し易かった。自分が遺族側、加害者側になった場合どうなるのかしら。チャランがいて、ただ重いだけの話じゃなくてよかった。
    罪の重さを裁くことはできても、感情の善悪までを他人が決めきることはできないと思う。人それぞれ。
    言葉に力があるのは確かだけど、敢えて「言わない」ことにも力があるはず。と思った

  • 遺族が望めば執行猶予がついた加害者の反省度合いをみて刑務所行きかどうかを決めることができる。
    そんな架空の設定で、その担当である係官という公務員についた主人公。いい加減な上司、チャランとともに加害者、被害者の気持ちを目の当たりにしていくストーリー。
    この話の面白いところは、これを大学の授業として扱い、昔話として話すところ。
    チャランがよく言う「人それぞれ」、いい言葉だなと思った。恨む、恨まない、憎む、憎めない、遺族は恨むことによって生きる気力を得るかもしれないし、事故だったから恨めない、そう思う人もいる。人それぞれって適当に言っていたチャランの言葉が、主人公が成長していくにつれ、人によっては刺さる重みのある言葉なんだと理解する。
    チャランは適当のようにみえて、実は考えてて優しい人なんだなっていうのが見えてきてよかった。自分も学生同様チャランのファンになりました。
    チャランみたいなキャラがいたからこそ被害者、加害者としての立場だったりだとか気持ちだったりとか重いテーマでも苦しくならずに読めたのかなと。
    重いだけだとせっかくのいいテーマが読まれず廃れてしまうこともあるから、その点この本は面白い視点とキャラで良かった。

  • +++
    刑務所に送るか送らないかを決めるのは、遺族。
    裁判で執行猶予がついた判決が出たときに、被害者や遺族が望めば、加害者の反省具合をチェックし、刑務所に入れるかどうかを決定できる制度「執行猶予被害者・遺族預かり制度」が始まって38年がたっていた。30年前、その制度の担当係官だった経験があり、今は大学の講師として教壇に立つ井川。彼は、「チャラン」と呼ばれるいい加減な上司とともに、野球部の練習中に息子を亡くし、コーチを訴えた家族、夫の自殺の手助けをした男を憎む妻など、遺族たちと接していた当時のことを思い出していた。
    加害者を刑務所に送る権利を手に入れた時、遺族や被害者はある程度救われるのか。逆に加害者は、「本当の反省」をすることができるのか。架空の司法制度という大胆な設定のもとで、人を憎むこと、許すこととは何かを丹念な筆致で描いていく、感動の長編小説。
    +++

    執行猶予被害者・遺族預かり制度の担当係官としての現実を直接的に物語にしているのではなく、係官をやめた後に就いた大学教授という立場で、井川が学生たちに、自分が携わったさまざまな案件について考えさせる、という描き方をされている。過去のこととしてワンクッション置くことによって、案件そのものの悲嘆は幾分軽減され、学生の反応によってこれまで気づかなかった面に目を向けることにもなるのが興味深い。いい加減さゆえに「チャラン」と呼ばれていた上司に対する、井川の思いの変化や、井川の講義からチャランの魅力を見抜いた学生たちの感性と、それに戸惑いつつもどこかに喜びを感じている井川の胸の裡も味わい深い。案件そのものはもちろん、そこに関わる人間たちの感情の動きや人間性がじんわり胸に沁みる一冊である。

  • 「執行猶予被害者・遺族預かり制度」という制度のある社会。
    これは制度を申請した被害者や遺族が二年間、加害者の生活状況を知ることができ、それから刑務所に入れるか入れないかを決めることができる制度である。

    この制度を申請した人は、苦しみの中にいる。
    私たちがこんなに悲しくて、やりきれなくて、不幸で、辛い思いをしているのに、なぜ加害者であるあいつは笑うんだ。
    あいつは笑う権利なんかない。
    そう思っている遺族もいる。
    そう思っている加害者もいる。

    愛するものが死んでしまった。
    私はそれを守ってやることができなかった。
    死にたいと思っていたなんて気付けなかった。
    だから自殺をほのめかすようなサイトを作っているやつを憎みたかった。
    真実なんか、いらない。

    真実はいつも正しい、と思っていた。
    大人になって、真実は必ずしも正しくないと知った。
    「嘘はいけません」と習ってきた。
    でも、「嘘も方便」も大事だとわかった。
    私はずっと真実とは何か、正義とは何かを考え、法律の執行者となり、さらに法曹を目指した。
    だが残念なことに、今、その夢は途切れている。
    途切れているけれども、残り火はずっと胸の内にあり、天秤を揺らし続けている。

    憎むことで、生きようと思う人もいるかもしれない。
    それは辛いことだ、と周りは思うだろう。
    しかし勝手に相手の気持ちを推し量ることは、相手にとってどうなんだ?
    励ますことは大事で、思いやりもあるけれど、それをあえて「言わない」ことの方が相手にとって何よりの慰めになるのではないのだろうか。

    言葉は万能ではない。
    言葉の力を信じてはいるが、それが全てではないのだ。

  • 知らなかった職業を知れて勉強になったことと、切なさと最後はほっこりと、一冊で様々な感情になりました。

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著者プロフィール

一九六五年東京都生まれ。大妻女子大学卒業後、会社員、フリーライターを経て、二〇〇三年『死日記』で「作家への道!」優秀賞を受賞し、デビュー。著書に『県庁の星』『嫌な女』『ハタラクオトメ』『頼むから、ほっといてくれ』『残された人が編む物語』『息をつめて』など。

「2023年 『じゃない方の渡辺』 で使われていた紹介文から引用しています。」

桂望実の作品

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