信長はイエズス会に爆殺され、家康は摩り替えられた

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  • PHP研究所
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  • Amazon.co.jp ・本 (286ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784569820613

作品紹介・あらすじ

明治時代に発刊された村岡素一郎『史疑』を中心に、いまだ諸説がある徳川家康の実像について、鋭く読みぬく。

感想・レビュー・書評

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  • 本書に書かれている信長はイエズス会に殺されたことは確実なようです。日本の稀代の英雄が、キリスト教のスペイン、ローマカトリック、イエズス会どもに殺されたわけです。
    フェリペ2世(Felipe II, 1527年5月21日 - 1598年9月13日)は、ハプスブルク家のカスティーリャ王国・アラゴン王国(=スペイン)の国王
    当時の最新鋭の兵器で、死体も骨も髪の毛一本残されずに、跡形もなく爆殺されたのです。
    そして明智光秀が犯人に仕立て上げられたのです。
    フランシスコ・ザビエル(スペイン語: Francisco de Xavier または Francisco de Jasso y Azpilicueta, 1506年頃4月7日 - 1552年12月3日)は、スペインのナバラ王国生まれのカトリック教会の司祭、宣教師。イエズス会の創設メンバーの1人。バスク人。
    アレッサンドロ・ヴァリニャーノ(ヴァリニャーニ、Alessandro Valignano / Valignani、1539年2月15日 - 1606年1月20日)
    フロイス、オルガンティーノ、カリオン、現在にも続いているキリスト教の日本侵略
    この連中共、こいつら共達が先頭になって、あの当時たくさんの日本人が奴隷にされて海外へ連れていかれた。
    これだけ数多くの日本人の生命、人間性を馬鹿にしまくって、コケにした連中共達。
    この恨みを断じて忘れてはいけないはずです。

    これだけのことをキリスト教共達に日本人がやられてきているにも関わらず、日本人でキリスト教徒になったり、キリスト教関係の会社、教育機関で働いたり、学校に通っている日本人たちは、もはや日本人としても人間としても救いようがないし、どうしようもないな思います。

    徳川家康がすり替えられた。
    明智光秀は保護された。
    殺伐とした、とても生々しい歴史です。

  • 史実として正しいのではないか。
    またこれが事実なら隠そうとすることも理解できる。
    ただ、これはかつての八切止夫氏の内容だ。
    まぁ改めて知らしめることには意義があるが、作者の表現力は稚拙すぎる。

  •  最も面白かったのはタイトル。恐らく出版社がネーミングしたのだろう。
     内容は。。。持論を並べるのは良いが、根拠の提示が無いため、宙に浮いたような気分にさせられる。ウソだとしても、面白ければフィクションと割り切って楽しむこともできるが、文章の構成や論理展開、文章表現が稚拙で読み物としてはいただけない。
     自分の主張を説くのは構わないが、このクオリティで商業ベースに乗せようとしたことには、首を傾げざるを得ない。

  • タイトルを見れば分かるとおり、かなりトンデモな内容の本。ただ、戦国末期から織豊時代にかけて一気に広がったキリスト教の影響力について、考えさせられるキッカケになった点は良かった。

  • 信長がイエズス会に爆殺されたとする説は、当時の状況と、天守閣と天主教(キリスト教)との類似などから筋が通っていると思える。他方で、歴史書は著者の主観が強く反映され、他に証拠がない仮説も多い。

  • 意気込みは素晴らしいけど、
    内容は・・・
    なんか、よくわからないなあ。

  • 明智本を元にして書かれた本

  • 今年も世界経済の動向を解説されたこの本の著者の副島氏の本を読んでいますが、今年最後に本屋で見つけたこの本は凄かったです。

    多くの人が信長暗殺の黒幕は誰だ、と予測した本を書いていますが、この本の特徴は、その回答だけではなく、なぜ信長の権力を引き継いだ「豊臣秀吉と徳川家康」が、キリスト教(特にカトリック系)を禁じたのかについてまで踏み込んで解説しています。

    徳川家康の摩り替え説も、いろいろあるようですが、ここでは桶狭間の戦い直後辺りを想定しているようです。そのように考えている根拠も本書では解説してあり、楽しく読ませてもらいました。

    また、関ヶ原の戦いで、徳川側がイギリスから仕入れた洋式大砲を有効に使って、小早川秀秋の裏切りを催促したり、石田三成方の本陣を壊滅させたという話も、私としては納得でした。

    更に、多くの歴史学者が、それを書くと歴史上の事件(戦争)が白けてしまうからと、避けて通りがちな話題、つまり、多くの当事者にとっては、戦争に巻き込まれて死ぬのは嫌だと思っていて、実際には真剣勝負の白兵戦はほとんどなく、飛び道具(弓矢、鉄砲、大砲)に頼っていた、というのも私としては大いに納得できて面白かったです。

    以下は気になったポイントです。

    ・関ヶ原の戦いは、当時世界最新鋭の大砲(カノン砲)の大きな破壊力で勝った。四天王の一人である、本多平八郎が、家康の本陣から3キロ先へ出て行って、石田三成勢の精鋭部隊を木っ端みじんにした(p20)

    ・明智本(431年目の真実)では、秀吉・家康・細川藤孝の密約という結論であるが、本書では、イエズス会の伴天連たちの犯行とする(p34)

    ・キリシタン同士として、堅く明智光秀と結束するはずだった、高山右近(先制攻撃をした)に裏切られて、山崎の戦では光秀は死んだ。丹波福知山、丹波船津、斎藤利三等の兵力が消えてなくなった(p38、48)

    ・信長も信忠も首や死体が残っていない、彌助たち伴天連によって、強力な爆薬で爆殺されたのだろう。犯行の証拠を消すために(p86)

    ・秀吉は、1587年にキリスト教を禁教して宣教師の国外退去を命じた。ものすごい数の日本人の少女たちが売春婦として東南アジアに売られていた。イエズス会自身が奴隷売買をやっていた(p90)

    ・ポルトガル、オランダ、イギリスは、反カトリック=プロテスタント新教徒の国であり、この3国でトライアンタント(三国協商)を結んで、スペイン帝国とローマ教会と対立した。松浦氏は長崎開港によって平戸の海外交易が大打撃をうけたので、反イエズス会の立場であり、島原の乱でもキリシタン弾圧を行った(p107)

    ・藤孝と光秀は、教養人であり、漢文が読めて立派な漢文が書けた。それにたいして、ひらがな、しか書けない信長たち戦国大名の劣等感は凄いものだった。学力と家柄の低さでバカにされた(p111)

    ・ヴァリニヤーノ、ルイス・フロイス、オルガンティーノたち、イエズス会士から、「信長はマルチン・ルターに似ている」として邪魔な存在になった。信長が行った延暦寺の焼き討ちは、肉食妻帯の禁戒を破って腐敗していたから、同様に、キリスト教の伴天連たちの教義の虚偽と偽善も見抜いた(p116)

    ・鳥居忠輝(1841に水野忠邦により大目付)は、公儀隠密の元締め、その配下に、間宮林蔵・近藤重蔵・伊能忠敬・最上徳内などがいた(p121)

    ・戦国時代には、足軽(兵卒)とは、カネで雇われていて、あちこち戦国大名の募集に応じて渡り歩く傭兵であった。侍(士、直参、旗下、本陣馬周り衆)は、そう簡単に主君を変えられない。足軽は自軍が負けそうと思ったら脱走する(p131)

    ・オルガンティーノは信長に地球儀を見せたが、これはイエズス会にとって致命的。地動説(=地球儀)を否定していたから。地球儀自体は、白人の商人や船乗りたちが密かに持っていた、航海に必要だったから(p150)

    ・ドイツのルターが、ローマ教会に対するプロテスタントの宗教革命を始めたのは、1517年。それに対抗する激しい復古反動の保守思想として起きたのが、イエズス会の運動(1534)。以後、血みどろの宗教戦争が欧州全土で200年間続いた、この時期に日本にまできた(p154)

    ・イギリス、オランダ人は、新教徒は貿易のみでキリスト教で支配しない、と言った言葉を家康は信じたので、プロテスタントのオランダとだけ交易することにした(p155)

    ・秀吉と家康が、伴天連とキリシタンを凄い勢いで国外追放にして、殺し始めたのは、そうしないと自分が同じ目に遭うという恐怖感からであった(p169)

    ・日本におけるキリスト教布教の最高潮は、1587年で30万人を超えていただろう(p173)

    ・春日局は、三代将軍家光の乳母(養育係)として雇われたのではなく、家光の生母である、東照宮様御文という文書にある(p180)

    ・本田正信は代々の三河松平家(岡崎城主)に仕えた武士で、家康摩り替え(1561.4)がおきた後、新家康に仕えることを拒否して消えた。生き残った者たちは、新家康の家来になることを誓った(p190)

    ・新家康は、岡崎城を嫌ってほとんど浜松城にいる、17年間も。その城主は、息子の松平信康。信康は1587年に20歳で、新家康に殺された、母親の築山午前(松平元康正室)とともに(p193)

    ・見ざる聞かざる言わざる、は「神君家康公の若い時代の岡崎城主松平元康へのすり替わり」の秘密を口外してはならないという戒め(p194)
    ・謙信軍も信玄軍も、ほとんどは農民兵であり、立派な兵隊の恰好をしていない。いつもの穢い野良着のまま、それに鉢巻を締めて、手に農具の鎌や鍬や鍬を持って戦った(p218)

    ・関ヶ原の合戦のとき、毛利輝元は、2万人くらいの兵を率いて京都から関ヶ原へ向かっていた(p226)

    ・西軍8万人、東軍7万人というが、本当の戦闘部隊は、その十分の1、殆どが荷物運び係(兵站)、雑兵たちも軍隊の後ろについていたが、戦争記録には出てこない。関ヶ原の戦いの場所から、あまり骨が出てこない(p233)

    ・一大名が実戦で動かせる戦闘部隊1000人といっても、主力は足軽部隊(槍持ち)、侍(士)はそれぞれの小隊長、あとは鉄砲隊と弓隊が300か500人程度。鉄砲隊を守る別の槍部隊もいる。大名の本陣には300人とかの馬廻り衆がいる(p233)

    ・家康の本隊2万人は、石田三成の本陣から1キロもない距離に移動した。それは、そこにウィリアム・アダムズの大砲があったから(p248)

    ・ウィリアム・アダムズは、日本に漂着する12年前の1588年にスペイン無敵艦隊によるロンドン市攻撃の際に、イギリス軍側の船団の補給船の船長をしていた。このときスペイン艦隊を破ったが、それでもこのあと150年間は、まだまだスペイン帝国(と、ローマカトリック教会)が世界覇権を握っていた(p272)

    ・合戦というのは、どっちの飛び道具が強くて相手の陣地まで先に届いたか、で決まった。より強い弓を引いて、敵を射殺することのできた武将が強い武将であった。刀や槍を手にしての白兵戦での戦いは、恐ろしくて簡単にできない(p283)

    ・家康は、爆薬の原料のチリ硝石も独占した(p284)

    2015年12月31日作成

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著者プロフィール

副島隆彦(そえじま たかひこ)
評論家。副島国家戦略研究所(SNSI)主宰。1953年、福岡県生まれ。早稲田大学法学部卒業。外資系銀行員、予備校講師、常葉学園大学教授等を歴任。主著『世界覇権国アメリカを動かす政治家と知識人たち』(講談社+α文庫)、『決定版 属国 日本論』(PHP研究所)ほか著書多数。

「2023年 『大恐慌と戦争に備えて 個人資産の半分を外国に逃がす準備を!』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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