- Amazon.co.jp ・本 (155ページ)
- / ISBN・EAN: 9784582302318
作品紹介・あらすじ
多文化混淆の新しい世界システムを指し示す記念碑的マニフェスト。3人の代表作家が謳いあげる、高らかなクレオール性礼賛。
感想・レビュー・書評
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クレオール礼賛。
クレオールとは「父はドイツ人、母はハイチ人の北京生まれ」のように、非調和的に混交している文化の状態を指す言葉であり、モザイク的な文化の多様性をその特徴とする。
この本はその中でも特にカリブ仏領でのクレオールに対するマニフェストと位置づけられている。
文中にはゾンビや妖精といったハイチやマルティニークの土着信仰に基づく比喩があると思えば、ラング・ランガージュなど明らかにフランス的な教養をうかがわせる単語もあり、そしてなにより「ドロ(フランス語de l'eauに由来するそうだ)」のようなクレオール語が光ってい、まさに意図的にクレオール的を意図して書かれた文章であることがうかがえる。
だが筆者がそこに至るまでの道のりは決して易いものではなかったらしい。
筆者を含め多くのカリブ出身の作家(おおむねインテリ層ということだろう)たちは、フランス語で喋り、フランス人のように考えることが正しいと教育されながら育ってきた結果、自らが生まれ育った地を西洋人の目で見、恥じるようになったのだと言う。
それは西洋的価値観と非白人である己の出生の板挟みを生む。
だが、バックラッシュとして西洋文明を捨て、原理主義的にカリブの土着文化に回帰することになっても、それは無意味である。
なぜならばこはフランス文化とカリブ文化が混交するクレオールであり、人々はクレオール人なのだから。
フランスとカリブを混在させ、同時並行的に己の中に取り込むことこそが道なのだと筆者は訴える。
この本はクレオールについてのマニフェストであると同時に、クレオール的に生きることのマニフェストでもある。
そこでは文化は別の文化より優越することなく、他の文化に押しつぶされ貶められることもない。
それがクレオールなのだ、ということらしい。
ところで、訳者による解説にはマニフェストとは裏腹にクレオール語文学の試みは失敗に終わったとも書かれている。
クレオール話者の少なさが第一の理由なのだろうが、異なる二つ以上の文化を持つことがいかに複雑な影を生むかということも、一考の余地があるかもしれない。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
クレオール文学のマニフェスト。分かりやすく註釈も詳しい。『クレオールとは何か』と併せて読むとより理解できる。