- Amazon.co.jp ・本 (264ページ)
- / ISBN・EAN: 9784582834284
作品紹介・あらすじ
台所が、教室だった。ささやかな煮炊きのくり返しが、私の心をみがいてくれた。大切な心を取り戻すために。幸田文の衣食住108篇。
感想・レビュー・書評
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夏の食について書かれた章が好きだった。
そうめん、羊羹。どちらとも特に好きな食べ物ではないけど、暑い日にエアコンのない和室で網戸越しの風を感じながら食べたくなった。そんな情景がさーっと浮かんでくるほど、表現が鮮やか。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
食べ物を娘自分から扱ってきただけあり、絶妙な表現で表す。料理をしている音が聞こえてくるようである。
心がけを父幸田露伴から学んでいるからか、きちっとした芯が通っているように感じられる。 -
私にとって幸田文は、身辺が落ち着かず、なにやらざわざわとしてしまうとき、反省とともに思い出す作家です。
地に足をつけてしっかりとした生活をしていた人の書いた物は、時代が変わっても、読んだ人の姿勢を正すように思います。
こちらは台所にまつわるエッセイをまとめたもの。
ただのエッセイとしても面白いですが、台所を預かるものの心構えのようなものが持てます。
私はまだまだ、こんなに丁寧にはやれないけれども…。
背筋を伸ばして生活する、そのきっかけをくれる本です。 -
しつけ帖に続く2冊目。
インスタやネットなどで、キッチンの収納の仕方や掃除の仕方など、たくさんためになる情報はあふれているが、こちらの本はその前の前の段階のような、核となるもののような、台所に立つ者の心掛けとなる話。
そして表面的ではない、深く人間性や人生哲学にまで及ぶような内容。
食材の扱い方一つ、包丁で切る音一つに至るまで、その人そのものが現れてしまう。
書かれている内容があまりにも理想すぎて、道のりが厳しくて、自分には辿り着けないけれど、1つでも2つでも心掛けられたらと思う。 -
リュウマチで弱かった母に代わり、子供のころから台所仕事を任されいたという文さん。父、幸田露伴に料理の仕方から膳の整え方まで、厳しく教わったらしい。台所、というところには、火、水、刃物がある。火は火事を起こす、水は洪水にもなる、刃物は人を傷つけることもできる。いずれも、人の命を奪うこともできる危険なもの。台所は、生き物の殺生が日常的に行われる場所。それでいて、「食」という、人の生命の維持の根幹となる営みを支える場所である。
凛とした文章。幸田文全集から、玉さんが編集したようだ。「台所に育てられる」とは、興味深い考え方だ。人へのおもてなしは、食を通じて行われることが多い。ほんの些細なこと、お茶の出し方、お菓子の出し方、食器、食材、料理なら献立はもちろん、出す順番や、量まで。また、食べる相手の体調によって、その日の味付けを微調整したりする。
一事が万事。確かにそう。その人の考え方や心づかいが、小さな所作や物言いに現れてしまう。どんなに隠そうとしても。 -
時短や濃い味付けでなんでも美味しく感じてしまう今の便利な時代に、素朴な味を丁寧に仕上げる料理の大切さを感じました。
子どもにも素材の味を感じてもらいながら料るということを、はじめに教えていきたいな。
読んだ後、台所へ立つ時間が楽しみになりました。
今日は何を作ろう。 -
台所のおとというお話が入っておりました。深みのある登場人物それぞれが、それぞれの来し方を背負いながら今を生きているんだなぁと深く感じました。
その音を身体で深く感じとり過ごす佐吉。
明治という時代を、生きた人々の強さと暗さ、明るさに、憧れと尊敬の念を抱きつつ、読ませていただきました。 -
父親の幸田露伴の何気ない一言が格言のように物事の核心を突いていて、凄い。
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文さん育ちが良すぎる。
一見、見過ごしてしまうような暮らしの些細なこと、少しくらいいかなと思い雑にしてしまう、そういう物事の扱いから、育ちの良し悪しが出るんだろうなと、こころが痛い。
もしかしたら、幼い頃教えられていたのかもしれないけど、気付くのが遅すぎた。いや、今からでも遅くない。
幸田文さんみたいになりたい。 -
食にものすごくうるさい父(幸田露伴)の台所を14歳から引き受けた著者の歯切れのよい文章。
大好きな父親なのだが、手放しで好き!とは到底言えない著者の思いが伝わってきて、1冊読み終わるころには、台所にまつわるあれこれを書き散らした歯切れのよいエッセーというふうに簡単にはくくれない、なんというか持ち重りのする1冊でした。 -
久しぶりに本を読んだ。
台所をする、ということの大変さがものすごく伝わってきた。
料理をして食事を作ることは半端な意識ではできないのだな。
幸田文さんの文章は読んでいてとても心地いい。 -
明治の女性のお台所の話。
昔の日本の料理の話を期待して読み始めたところ、そうではなく。
料理をする人間の心構えとか、つくった料理を人様に出すときの心構えなどに重きをおかれている作品。
きりっとした文章は、読んでいるこちらまで背筋が伸びる。
文中によくでてくる「台所の音」の話。
私が台所に立っているときは、さぞかしい騒騒しいことだろう。
作者が辻嘉一氏と対談をしている。
その中で、水の使い方に関して、「いまの子」に苦言を呈している部分にはっとさせられた。
いわく、いまの子は水の尊さを教えてもらっていない。
それは、水を汲まないから、水を汲む労力を知らないから。
この対談は1979年のものだから、今から約30年前の話。
その当時の「いまの子」は水の尊さを知らない。
そして2012年現在の「いまの子」は、火の尊さ、危うさを知らない。
オール電化だからね。
しかし、明治の女性というのは、本当にたいへんだったのだなぁ。 -
幸田文さんの日本語は本当に美しい響きを持っているな、と思う。日々の生活を綴った様子もかっこうつけすぎてる感じはなく、たんたんとして、楽しそうで本当に素敵だなと思う。これは小説「台所のおと」も入っているので、お得だなと。
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台所仕事の心構えを学んだ。
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図書館で借りた。→2012年に人からもらった。
幸田文全集を底本に台所にまつわるエッセイ・小説を抜き出し、編集してある。
台所には、火水刃物と使い方によっては危険な物がすべてそろっている、という話、正月にあまり親しくない同級生にごちそうに誘われた話、切り目正しくなきは料理に非ず、のような言い回しの話が印象に残った。
そのうち、幸田文全集を読もうと思う。 -
まだまだだと思う。
そうか、こうやって食べ物に対峙して食べる人に対峙して、自分に対峙すればいいのかってそんなことを思った。
上品でかっこいい本です。 -
第3回。
魂を込めて炊事をするとこうなるのだなあと思う。台所の美学が詰まった1冊。こんな台所がある家は豊かだとも思う。
是非、幸田家の食卓にお邪魔してみたい。 -
幸田文の娘、青木玉が編集した一冊。
同じシリーズに「しつけ帖」「きもの帖」がある。
「台所帖」の中でも、「台所の音」というエッセイが好きですね。(引用をご参照下さい。)「台所帖」というと、通常は「食」に関する蘊蓄や、レシピを想像しがちで、もちろん、そういうエッセイも含まれるのだけれども、やはり、なんといっても、幸田文の真髄は「音」と表現される「台所での立ち居振る舞い」についての戒めから入るところでしょう。
本の帯に「台所が、教室だった。ささやかな煮炊きのくり返しが、私の心をみがいてくれた」とあるように、読者はこの本を読むことで幸田文と同じ教室に入ることができる。 -
しつけ帖に続き、またもや頭の上がらなくなる本。料理といえる料理ができない、台所に立つ事もほとんどない私には耳が痛いやら胸が痛いやら。
しつけ帖でもそうでしたが、つらかったことなども書かれているのに、読んでいるこちらが苦しく嫌に感じない。さっぱりとしていて、心底優しい文章。
結構に昔の文章も収録されているのですが、今になっても鮮やかに感じられる素敵な随筆です。