- Amazon.co.jp ・本 (208ページ)
- / ISBN・EAN: 9784584125380
作品紹介・あらすじ
家庭の不和、いじめ、出版差し止め裁判……
壮絶な半生が教えてくれる、人生において「必要のないこと」とは?
作家生活30周年、芥川賞受賞20周年――
“南相馬在住作家"柳美里が48年間の「後悔」を語る、初の人生論。
「もちろん、わたしにも後悔はあります。
わたしの場合は、人間関係において後悔の念を抱くことが多い。
だからといって、その後悔によって、わたしの過去が否定されるものではありません。
『後悔先に立たず』とは、事が終わった後で悔やんでも仕方ないということです。
でも敢えて、後悔を忘れることのないよう目の前に掲げれば、
それは足元を照らす灯火になり得るのではないか、と思うのです。」
(「はじめに」より)
感想・レビュー・書評
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この本は「人生をうまく渡り歩くためのノウハウ本」、ではなく、柳美里さんの壮絶な半生を書いた自伝です。
「人生にはやらなくていいことがある」というタイトルからは、そうした「やらなくていいこと」を見つける法則のようなものが書かれていると期待します。
しかし本書で書かれている「やらなくていいこと」は、あくまでも柳美里さんの人生のなかでの「やらなくていいこと」であって、万人にあてはまるものではありません。
自分にもあてはまる「やらなくていいこと」のルールを求めて読んでしまうと、おそらく「ん~、なんかちょっと思ってたのと違うな…」という感じになります。
現にわたしがそうだったので、☆は2つにしました。
しかしはじめから「人生をうまく歩くためのノウハウ本ではない」という目で、この本全体を見渡してみて、わかったことがあります。
人生においてやらなくてもいいことは、1人1人違っていて法則化できるものではないこと、そして、やってみて時間を経ることで「これは自分にとってやらなくていいことなんだ」と気づくものだ、ということです。
「こうして、わたしには『書くこと』だけが残りました。」(45ページ)
著者もこう述べているように、自分の人生においてどうしても手放せないもの、本当に必要な大切なものは、もう既に自分で持っています。
けれどその大切なものがおいてある部屋の“鍵”は、どれでどこにあるのかは、自分にも他人にもわかりません。
部屋のなかにある大切なものとは、いったい何なのかも、誰にもわかりません。
その部屋から大切なものを取り出すには、“鍵”が必要です。
そして、誕生した瞬間から経験するものすべてが、“鍵”になりうるのです。
何かをやらなければ鍵は手に入りません。
けれど手に入れた鍵が、自分の部屋に合う鍵とは限りません。
出来事や自分がやってみて得た結果は“鍵”なのですから、やってみて合わない鍵なら、手放していいのです。
やってみて合わないと思ったら、何年も関わったことであっても勇気をもって手放すこと、そして自分の中に残る“なにか”を探し続けることこそが、自分の人生そのものなのだなと、この本を読み終えて、静かに思いました。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
おそらく一万円選書の本に出てきたから読んだのだとおもう。
子育ての成否は、その子がどの大学に合格したかではなく、どの職業に就いたかでもなく、どのような家庭を築くかなのです。p129
すごい人。
壮絶な人生って、こういうことなのだろうなとおもう。それをこんなふうに文章にできるところもすごい。
目を逸らしてしまわず、向き合ってきたからこそ書けるのだろう。
記録、の大切さ。 -
「必要なことならば実現する」 南相馬市在住の作家・柳美里さん:福島民友ニュース:福島民友新聞社 みんゆうNet
https://www.minyu-net.com/news/news/FM20210825-650331.php -
タイムマシンで時間を戻せるなら、どの時に戻りたいですか?
私も柳美里さんと同じく、どの時にも戻りたくないと言うと思う。
私と彼女の地層の作られ方は全然違うし、感情をぶつけながら、流れるように生きていく、そういう姿を真似することも出来ない。
けれど、巻末に家族のような写真が付けられていて、息子さんの笑顔、かわいいなーと思わずニコッとなって、素直に良かったなぁと思った。
私はきっとどちらかというと、柳美里さんのような存在に、どんな風に触れていいのか、ずっとずっと考え続けるタイプの人間なんだろう。
家族との距離感、親からの願い、いたたまれなさ、そういったものを咀嚼しては吐き出して、気持ち悪さに涙を流している人が、私の側にもいたのだ。
複雑な背景を哀れに思われながら、誰も本当に助けようとはしなかった。出来なかった。いや、その人自身、助けられたいなんて、ちっとも思っていなかったのかもしれない。
結局は自分の枠組みでしか見ていないことを痛感しながら、けれど、どんな風に近づけただろうとずっとずっと考えている。
いつか、私は対話出来るだろうか。
40歳を過ぎてから、自分を液状化させたいと思うようになった、という言葉が印象的だった。
不惑は、きっと固形ではないのだろう。 -
この本を読んで、私は「向いていない多くのことを潔く諦め、残された唯一のものをやればいいのだ」と勇気づけられました。
タイトルに惹かれて柳 美里(Yu Miri)さんのプロフィールの知らないまま、読みたい本に登録していたのですが、昨日(9/20)、ようやく手に入れることができました。
私を惹きつけたタイトルは、担当編集者である小島博人さんが、柳 美里さんに提出した企画書に既に書いてあったそうです。
この本は、柳 美里さんが語った人生をライターの辛島いずみさんが構成し、柳 美里さんが書き直したものだそうです。さて柳 美里さんを動かしたタイトルが掲げられた本の内容は何か…。
美里さんは、私が生まれた1958年から丁度10年後の1968年、在日韓国人の両親の元に生まれました。
この本の中では描かれる半生は、言葉が少ないために、読者の想像力の中で夫々立ち上がるのではないかと思うのですが、私の瞼には、かなり壮絶なものが映りましたが、美里さんの人生は、常に全力だったように見えました。
柳 美里さんにとって、唯一のものは、書くこと。美里さんは「話すことや書くことによって、自分が体験したことや自分が思っていることを自分の外に出さなければ、物語は生まれないのです。」と書いていますが、それは、私にとっても同じことだろうと思います。
書かなければ、体験は、頭の中をグルグル回るだけで、壁を登るための足場として刻まれることはありません。分類は、エッセイかもしれませんが、ミステリアスでした。 -
こちらも、岩田書店ご店主の『一万円選書』候補から読了。
柳美里さんは、初読了です。昨年来、ずっと悩んできたことから、そろそろ抜け出たい時期に惹かれた本です。『こうしなくちゃ』を取り外すヒントが欲しかったのだと思います。ただ、このご本のタイトルと内容は、あまり合っていないようにも感じました。それは、まえがきの部分だけ。後はこの方の半生記が主な内容です。
とにかく、ずっと生きづらくて、ずっと凄い勢いで進んでは、苦しい思いをしてきた方なんだろうな、という印象が最初に来ました。才能はあるけれど、むきだしの心が裸でいる感じ。寒さや傷みに敏感だから、激しい生き方や言葉をなさるような。
誠実であろうという気持ちは、人一倍なのでしょう。だからこそ、強い言葉を放っておられる気がします。自分に嘘はつけないのでしょうね。確かにご本人にとっては、その時時で、必死に人生をやってきて『やらなくてもいいこと』がたくさんあり、後悔はないのでしょう。
ただ、これはご自身にとっての正解。人生は自分のものですから、それでいいのですが、途中から
「私は何を聞かせてもらっているんだろう。これは私という聞き手が必要な話ではないし、今の私に必要な話ではない。」
という気持ちが、ふつふつと湧いてきました。書き言葉で綴られているせいか、読むというより、聞く、という感覚が強く起こる本で、そこはとても不思議です。本なのですから、途中で閉じてもいいのに、何故かそれが出来ませんでした。本を途中で閉じるのは、柳美里さんご本人を、
「もうあなたの話は聞きたくない」
と押しのけてしまうようで。勝手に読もうと選んだのは私なのに、それは彼女を傷つける、不実な行動のように思えて、とにもかくにも、最後まで読み切ろう、となりました。
正直、とても疲れた。
未だこの方の心は、繊細に揺れていて、いまも傷つき続け、大きなエネルギーを放っている、そんな気がします。戯曲家・小説家という仕事は、きっとこういうエネルギーのある限り、柳さんには天職でしょう。この本は、ある種の人には興味深く、私のような人間には、強すぎる。読書をしたという感じではありませんでした。
これの前に読んだ、幡野広志さんの『ぼくたちが選べなかったことを、選びなおすために。』も、この本も、生き方のリセットにつながるというより、ちょっと心の距離を置いて、こういう状況もあるよなあ、と思って読む方がいい本のよう。表題に惹かれて、リセットへ背を押してもらおうと思うと、捻挫しそうです。
読み終えた時、少し冷静になれるので、自分の気持ちや悩みにも、少し距離感が出来て、突き放した感じになっていて、今、早朝の寒い空気がしっくりきます。 -
タイトル通りの、人生でやらなくていいことについての著者からのアドバイス集かな~、と思ったら、著者の半生記と現在(執筆時)、小説家になったいきさつ、およびなぜ福島県の南相馬に移住したのかの説明等々のエッセイ集だった。
おまけに巻末には一家の集合写真まで付いていたので、徹底的に自分をさらけ出す人なんだと、当初の本書への期待は満たされなかったものの、一方で小説家柳美里信条や人となりがわかり、だったら今まで読んだことのなかった彼女の作品を読んでみようかと、がぜん興味がわいてしまった。
本書を読んだ限りでは、ちょっとめんどくさそうな人であるようだが、作品にはそのめんどくささがどのように反映されているのか楽しみである。 -
よくも悪くも凄絶な生き方。
正直、あんまり共感しない。
でも、ここまで突き詰めた生き方を
した人だから見える景色はあり、
読書というのは、自分とは異なる
立場から見える景色を見ることだから
共感しなくてもいいのかとも
思ったり。
映画監督による、性的搾取が
話題になった今読むと、
東氏との関係はアウトだろうと
思ってしまう。 -
柳美里の初の人生論です。
お断りしておきますが、自分はこの種の本を全くと言っていいほど読みません。
理由は3つ。
①その日その日で手一杯で、人生について考える余裕がないから
②人生なんて大テーマを本から学ぼうなんて了見がさもしいと思うから
③結局は著者の自慢話であることが多いから(いや、たぶん、推測)
ただ、柳美里のなら読みたい、と思って手に取った次第。
伝え聞いているだけでも、柳美里は波瀾万丈な半生を送ってきた方。
で、読んでわかったのは、想像していたより波瀾万丈な半生を送ってきたということ笑。
率直な感想は、「この世に〝ふつう〟なんてないのだ」ということです。
柳美里は、超の付くギャンブル好きの父と、店に来る客と不倫して家に帰らないこともままある母の元で、4人きょうだいの長女として育ちました。
家庭は端的に言って崩壊していたそうです。
そういう柳美里も数々の不良行為で高校を1年でドロップアウト。
それから劇団に入り、劇団を主宰する東由多加と出会います。
この東由多加という人がまた激烈な人で、1升瓶を手に演劇指導するわ、全裸でカラスの真似をさせるわで完全に振り切れています。
柳美里は、東由多加と破局、復縁を繰り返しながら同居生活を送ります。
そのうち柳美里は長男を出産しますが、この子は東由多加との子ではないのだそう。
保守的な人なら眉をひそめるかもしれません。
ちなみに東由多加は、若くしてがんで亡くなっています。
柳美里は戯曲で注目され、小説家デビューし、芥川賞まで受賞しますが、訴訟を起こされたことで業界から一時干されるという不遇の時代を過ごしました。
実は、これは別の本かネットで知ったのですが、柳美里は年収400万円にも満たない生活を送ってきたのだそう。
芥川賞を受賞したのに正社員の平均年収も稼げない日本って何ちゅう国じゃっ! と私は内心腹を立てたものですが、本書を読むと、もっと貧乏していたらしいです。
夕食を食べるお金もなくて、身の回りの物を売り払って何とか凌いだというのですからイヤハヤ何とも(繰り返しますが、芥川賞受賞後ですよっ)。
東日本大震災後に南相馬市に移住し、現在は長男とパートナーの「ムラカミくん」と3人で生活しています。
若い頃は自殺未遂を何度も繰り返すなど衝撃的な話がいくつも出てきますが、上記に紹介しただけでも、柳美里がいかに波瀾万丈な半生を送って来たかが分かっていただけるでしょう。
自分は、とてもこんな風には生きられません。
ただ、柳美里の言葉には強い説得力があり、何度も頷きながら読みました。
特に、次の言葉には、大いに共感しました。
「『余生』や『老後』という言葉にも違和感がある。
ここまでが『生』『命』で、ここからは『余り』という考え方には賛同できないし、定年退職をした途端に老いて、『老後』に入るというのもおかしい。
人間は、死ぬまで生きているのです。」
思い出しました。
柳美里の「オンエア」を読もう読もうと思って未読だったんです。
いずれにしても、稀有な作家ですね。