プルーストとシーニュ: 文学機械としての『失われた時を求めて』 (叢書・ウニベルシタス)

  • 法政大学出版局
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  • Amazon.co.jp ・本 (241ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784588000492

作品紹介・あらすじ

『失われた時を求めて』の解釈に独自の〈文学機械〉の概念を導入し,文学作品の見方を〈意味〉から〈機能〉へと転換させる重要な論考。原著第三版による増補版。

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    『失われた時を求めて』の解釈に独自の〈文学機械〉の概念を導入し、文学作品の見方を〈意味〉から〈機能〉へと転換させる重要な論考。
    原著第三版による増補版。

    [ 目次 ]


    [ 問題提起 ]


    [ 結論 ]


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    [ 読了した日 ]

  • 『失われた時を求めて』に関する決定的な論考。かつ、ドゥルーズが初期の一連の仕事(ヒューム、カント、スピノザ等の解釈)のなかで、先人の思考を自分なりに整理しつつ自らの哲学の方向性を定めていった過程がありありと看取される、ドゥルーズ哲学への理解にとっても重要な論考である。
    それまで、『失われた時を求めて』は、プチット・マドレーヌに代表されるような、過去の無意志的想起(unvolontaire)が主題として論じられることが多く、「見出された時」もほぼ同義として見られていた。題のとおり、「失われた時」の物語として解釈されてきた。しかしドゥルーズは、「失われた時」と「見出された時」をはっきりと区別し、「見出された時」の優位性を看破する。『失われた時を求めて』が時代を超えて読み継がれる理由を、芸術の創造性だと指摘してみせたドゥルーズは偉大である。
    ただひとつ残念なのが、やはり翻訳の問題である。宇波訳は致命的な誤訳が多く、原著を傍らに置くことが必須である。これはドゥルーズの作品全般に言えることで、それが彼の哲学のわかりにくさの一因となっているのは衆知のとおりである。新たな翻訳が俟たれる。

  • 『失われた時を求めて』は過去や記憶を重要なモチーフとして扱った作品として読まれることが多かったが、ドゥルーズは本書で、この作品は習得の物語で、過去にではなく未来に向けられている、という全く新しい読み方を提示し、過去や記憶といったものがあくまで二次的な役割しか果たしていないことを強調している。(著者不明)

    ドゥルーズはプルーストの文学を読むことで、哲学を刷新させているように見える。それは、哲学の理論の例示として文学を用いるのとも、単に文学作品から理論を抽出しているということからも区別されなければならないだろう。(黒木秀房)

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著者プロフィール

(Gilles Deleuze)
1925年生まれ。哲学者。主な著書に、『経験論と主体性:ヒュームにおける人間的自然についての試論』『ベルクソニズム』『ニーチェと哲学』『カントの批判哲学』『スピノザと表現の問題』『意味の論理学』『差異と反復』『ザッヘル゠マゾッホ紹介:冷淡なものと残酷なもの』『フーコー』『襞:ライプニッツとバロック』『フランシス・ベーコン:感覚の論理学』『シネマ1・2』『批評と臨床』など。フェリックス・ガタリとの共著に、『アンチ・オイディプス』『カフカ:マイナー文学のために』『千のプラトー』『哲学とは何か』など。1995年死去。

「2021年 『プルーストとシーニュ〈新訳〉』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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