必要があり、図書館で借りて読んだ本。シリーズ10作目。
『時空漂流記』(平賀源内が登場するやつ)と並んで印象に残っていた作品。
ズッコケ三人組シリーズは小学校以来。1時間ほどで読み切れたが、いま読んでみると深さを感じる。ひとつには80年代的な空気感というか、まだ物語が記号化されておらず、戦争の記憶などのモチーフが生々しく描かれていること。しかしやはりポイントは著者の那須正幹が手を抜かずに、子供だましをせずに描いていることもあるだろう。
読みやすさやエンタメ性、キャラクターこそ「子供向け」にチューンされているが、描かれる世界観や設定は、この著者特有の思想性というか、確かな軸をもって描かれていた。
# ■モチーフや設定で気付いたこと
1)土蜘蛛神話の踏襲
大陸からわかってきた天皇家を「天孫族」とし、土着系(例えばものによっては「出雲系」などと言われる)との対立を描いている。「妖怪や伝説の正体が史実に基づいていた」というのはロマン。
半ば陰謀論的ではあるが、過去には実際にあった対立(=史実)を足場にはしており、リアリティを感じる。
2)「おうらみもうす」の神事
宗教母体を恨みの対象とする、というのは実際にあったはず。
3)狂信的な集団が根を張っている
あのような狂信的集団が日本では根を張っている、というのは空想的だが、創価学会であれ、他の新興宗教であれ、それなりに人口をかける宗教団体と言うのは実在し、荒唐無稽とは言い切れない。
過去には平家の隠れ谷があり、世の中的にもアーミッシュの村とかがある。
田舎の因習というのも、少なくとも80年代前半においては現代よりもずっとずっと鮮度を保ったものだった。
『県民性』は1970-80年代だったかの本だったと思うが、一昔前というだけでずいぶん価値観が違うと驚いたことも思い出す。
4)神隠しと誘拐
これは後知恵だが、神隠しによる失踪と言えば北朝鮮拉致問題を思い出す。
中国の農村や世界では現在も誘拐があり、案外、戦前を経験した著者世代では、誘拐と言うのはもっと身近な物だったのかもしれない。
5)土ぐも一族の造形
彼らを決して蒙昧な人ではないと描いている点も一つのすごみ。かれらは世界情勢や原子・分子の仕組みも知って、なお宗教的なコミュニティを維持している。
6)社会に対する風刺
「おうらみもうす」の描写において、減反政策批判をはじめ、現代日本に対する風刺をきちんと滑り込ませているのは著者ならでは。個人的には、単なる政府批判はトップダウン試行的でダサいと感じるが、80年代当時はこうした左翼的ムーブは「かっこいい」ものだったのだろう。
# ■印象深かったこと
上記設定はすべて印象深かったが、もう少し直接的な描写として印象深かったことも挙げておきたい。
1)警察官もグル、というショッキングさ
まさかの展開でショックだった。ただ、実際に中国の誘拐などではこうしたことが起きており、事実は小説よりも奇なりというか、リアルと言うか。
この設定があることで、100人に足らない土ぐも族が存続する背景や、むしろこれからも日本を裏から脅かしうる、というラストの不気味さを後ろ支えしている。
2)首を斬られる、というショッキングさ
子供向けにはショックだった。この描写があることで、ともすればナイチンゲール症候群的に彼らの生活にも親近感を感じそうな読者に対し、現代社会と彼らとの一線を、それも鮮やかに引いてくれている。土ぐも一族をむしろ象徴する描写かもしれない。
3)アケミとの混浴
小学校上級生的には、いろいろと想像力を掻き立てさせられてしまう描写。ずるい。
4)残ることにした堀口さん
誘拐されたが戻らないことにしたおばさんや、そして最後に残る選択をした堀口さん。自分としては当時も今も信じられないが、一方でこれに共感した読者もいたのかもしれない。その価値観的な多様性というか、勧善懲悪に留まらない対立設定も、土ぐも一族の存在を裏付け、また、物語に深みを与えていたのだと思う。
# ■物語の流れ
1)ドライブをしていて山中で迷い、山賊に誘拐される
2)山賊の拠点で幽閉されつつ、彼らの拠点の様子や、土ぐも一族の状況が明らかになってゆく
3)踊りの稽古をしながら、クロヌシ一家との交流を経つつ、ツチグモ様はじめ何人かの人物に会い、彼らの文化を理解する
4)神事において脱走するものの、警察もグルであり連れ戻され、首をはねられることに決まってしまう
5)ツチグモ様の判断と堀口青年の転機により、脱出に成功する