- Amazon.co.jp ・本 (315ページ)
- / ISBN・EAN: 9784591110089
感想・レビュー・書評
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戦時中を女学生として過ごしたおせいどんアドベンチャー。
暗い世相の中を明るく生きている。
軍部批判や戦争批判もない、当時の今どきの女子高生の考え方が垣間見えて興味深い。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
同級生や他人を見下してる所を読むとイヤな気持ちになったけど、女学生当時に書かれた『少女草』を写真で見ると同級生をバカにしてても仕方ないかなぁと思った。 自分の集中力の無さが原因と思いますが、当時の作品の抜粋と粗筋、現在の視点と当時の視点が気を抜いて読んでるとゴッチャになった。 こういう作品を読むと言論統制を言い訳に戦前から生き残ってる新聞っていい加減やなぁと思う。現在でも(ほんまかいな)と思わなアカンて事でしょうね。
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著者の少女時代の学校、友だち、小説、戦争を、少女の純粋な視点のままに振り返る小説風エッセイ。
物心ついた時からずっと日本が戦争をしていたゆえに、盲目的にお国のため身を投げ打つことこそが美しいと、雄々しく生きる少女。反面、美少女のイラストが表紙を飾る少女雑誌の世界に憧れる。
戦中にも多感な少女らしく楽しみを見つけて生き生きと日々を過ごすところは「少年H」を読んだ時に感じたものと通じる気がする。
それにしても随所に引かれている少女時代に書いた小説にはいちいち度肝を抜かれる。ストーリーなどは確かに突拍子もなかったりつじつまが合わなかったりしているが、文体が何ともしっかりしていて驚いた。 -
(No.11-31) 自伝と言っていいかな。読んだのは1977年出版「のびのび人生論シリーズ 2」ですが、表紙画像がないのでこっちで書きます。
田辺聖子さんが、昭和16年・女学校二年生(13歳)の時から終戦を迎えるまでの出来事や思ったことを振り返って書いたものです。
その当時からたくさん書き溜めていた小説を、昭和20年6月空襲の時、家族が幸いにも持ち出してくれ焼失を免れました。当時の思い出として解説付きで抜粋してあるのが、興味深かったです。
その年の12月に日本は太平洋戦争に突入しましたが、田辺さんは自分が生まれてからずっと日本は戦争をしていたと言います。私たちは後から区切りをつけてますが、当時の人にとっては戦争は突然始まったのではないのだと思いました。小さな戦闘がだんだん拡大したのだと。
戦争はしていても、田辺さんの子供のころの生活はわりと普通。普通というより庶民としてはけっこう裕福だったのではと思います。女学校に行き、雑誌や小説をたくさん買ってもらえた少女だったのですから。
天皇陛下と日本のために命を捨てる決心をし、ジャンヌ・ダルクにあこがれ、ヒットラーユーゲントの少年少女に張り合っている、のぼせやすい少女が田辺さん。
少女小説、男の子向けの冒険小説、翻訳小説、大人の小説、ともかく大量に本を読み、読むと書きたくなって読んだ小説に影響を受けた話を書きまくってます。
今なら同人誌を出版したり、ケータイ小説大賞でももらってるわね。
そういう中で、だんだん世相は暗くなっていきます。ひたすらお国のために・・・などと思いつつ、一年早く女学校を卒業できることになると上級学校(女子専門学校)へ進学することに決めます。このあたりの心境は分かるような分からないような・・・・。
本気で「お国のため」にだったら、女学校を出て挺身隊に入るのが道でしょう。お国のために命を捨てることに憧れているくせに、国文科へ進みたくて、でも数学の試験はいや、とかなりわがままな考えで学校選びをしているところに、本当は少女の田辺さんでも現実がちゃんと見えてるんだと思いました。
雑誌「少女の友」が甘く優しい中原淳一の絵を何とか載せ続けようと軍に抵抗していたこと。とうとう抵抗しきれなくなった時書いた編集長の文章。
専門学校の友成先生の「いつかは戦争も終わる。みなさんの学問がまた役立つ時代もくる。学問は戦争にも滅びない」という言葉。
田辺さんが空襲の後家まで戻った時、お父さんが「これでみんな揃うてよかった、よかった、家が焼けたぐらい、かめへん」と言ったこと。
田辺さんの心に響いた言葉が、私の心にも伝わってきました。
戦争をくぐりぬけ、お国のために命を捨てることに憧れていた少女は「生きたい」と思います。
そして作家になった田辺さんは、空襲で多くの人が命を落としたため、日本中でたくさんの三十三回忌がいとなまれるはずの昭和52年にこの本を書きました。「私が語り継ぐ、これが私の戦争である」。
いつまでも乙女のようなかわいらしさを持っている田辺さんの青春時代を知ることが出来て、読んで良かったです。 -
田辺先生の中学高校時代と戦争の日々。すっかり軍国少女であったため、終戦後は民主主義礼賛への一辺倒に「ほんまかいな」と突っ込みを入れる。最近書かれたのかと思いきや、30年以上前に書かれたようで、ビックリ。小中高生の夏の課題図書に入ってもおかしくないのになーと思う。純粋な思いと周囲からの洗脳は本当に恐ろしいと思った。
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丁度この聖子さんと同い年なので、共感できたり、自身の支えになったりしています。世代は違えど考える事で似たところがあると嬉しいです。
戦時中の女性はたくましくて尊敬します。 -
今月のポプラ文庫・田辺聖子さんの作品は短編集ではなくてこちら。田辺さんが戦中戦後、ご自身が女学生のころを描いた自伝です。ジャンヌ・ダルクが好きな軍国少女だった(当時はみんな大なり小なりこんな感じで、特別だったわけではないと思う)との回想から始まり、夢中になった雑誌『少女の友』や物語、そして戦火を免れた、当時の自作の小説が次々と紹介されながら話は進みます。これが、ご本人が影響を受けた小説の引き写しとはいうものの、少女小説や活劇と、香気あふれる表現や、雄々しい表現がちりばめられていて…才能もさることながら文学少女だったんだなぁ、と感心してしまいます。趣味が高じてご学友と雑誌を作るのも、自分がいちばん力を入れるのも、そういうひとの通る道(笑)。戦局が進むとともに田辺さんの中の「一億総玉砕」モードにも拍車がかかり、通っていらした女子専門学校でも「皇国日本を何とかしなければ!」との思いがつのるところを、「学生の本分は勉強である」とピシリと抑える、先生の態度には勇気を感じました。そして大阪大空襲でご実家を失い、終戦。そのときの思いを、『更科日記』の作者、菅原孝標女になぞらえて語られています。夢見る少女時代から現実に投げ出されて、「自分はこれからどうなるのだろうか、このまま何も起こらないのではないか」という揺れる思いを重ねられるのが、田辺さんにしかできないワザだなと思いました。ほかの田辺作品と違ったドライな筆致で描かれており、話が進むにつれて口調もそれなりに重く激しいものになっていくのですが、ご両親やご学友のちょっとのんびりめの大阪弁(今のテレビで聞くような言葉じゃないんですよ、これが)などで助けられ、あちらこちらでふっとやわらげられているようにも思います。あとがきでもおっしゃるとおり、「物書きは時代の証人」との思いがつまった1冊で、この☆の数になりました。