「天才」は学校で育たない (ポプラ新書 し 1-2)

著者 :
  • ポプラ社
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感想 : 9
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  • Amazon.co.jp ・本 (188ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784591155844

作品紹介・あらすじ

子どもの可能性を型にはめるな! これからの知性は「答えのない課題」にどう向き合うか。教育の多様性を考える一冊。

「平均的な底上げ」を得意とし、「年相応の学び」を提供してきた日本の学校教育。学歴社会が終わり、人生の目的や働き方の価値観が多様化するなか、旧来の教育システムに柔軟かつ個性のある人材は育てられるのか。本当の知性とは何か、才能を伸ばす学びとは何か。2020年の教育指導要領改訂や不登校の現状も踏まえ、多様な学びのかたちを提案する。ロングセラー『本当は怖い小学一年生』続編!

【著者紹介】
汐見稔幸(しおみ・としゆき)
1947年大阪府生まれ。東京大学教育学部卒、同大学院博士課程修了。現在、白梅学園大学学長、東京大学名誉教授。専門は教育学、教育人間学、育児学。育児や保育を総合的な人間学と位置づけ、その総合化=学問化を自らの使命と考えている。『はじめて出会う 育児の百科』(小学館)、『よくわかる教育原理』『保育のグランドデザイン』(ともにミネルヴァ書房、編著)、『小学
生 学力を伸ばす 生きる力を育てる』(主婦の友社)、『本当は怖い小学一年生』(ポプラ新書)など著書多数。

感想・レビュー・書評

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  • 『「天才」は学校では育たない』(汐見稔幸)
    この本を手にしたのはタイトルに対しての軽い同意から。
    でも、その後すぐに頭に巡ってきたのは、なら著者はどうしたら天才を育てるという環境なり、メソッドなりをこの本で提示しているのだろうか?ということ。
    そんな期待を持ちながらパラパラと読みすすめていくと、なんか少しづつタイトルから離れていくように感じるようになっていった。

    感じだけでなく、確かにこの本に当初抱いた期待からは徐々に遠ざかっていくのだけれど、なぜかどんどん興味を増していくのを感じていた。期待はずれの面白さを感じていたのだろう。
    その取っ掛かりになったのが、子どもの本能みたいなものを描いた部分。ちょっと長いけれど引用します。
    〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
    【子供の一挙手一投足が表現である】
    子どもは子どもなりの内面世界を生きながら、それを彼らなりの仕方で外の世界につなぎつつ生きています。その内面と外面の接面にあたるのがその子の素朴な「表現」です。目つき、歩き方、声、姿勢…すべてその子の内面の外面化=接面への押し出しであり、表現です。
    そのときの子どもの厳しい表情やときに悪態として出されるものをネガティブなものとしてとらえるのではなく、そうしかたちで出さざるをえないその子の良くなろうとする意志の裏面と読み取ることが大切です。子どもはそうしていつも「善く」とらえてもらうことで、内面の「善さ志向」を活性化します。善くなろうという気持ちを芽生えさせるのです。
    〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
    この子どもの振る舞いや言動、表現が薄い皮膚で隔てられたもので、心である彼らの内面を透けて見せてくれていることを想像すると、心がキュンとする。
    映画でもそうなのだが、大人のように世の中を生きていくうえでの経験を積んだ者は外からの刺激に対して、ダイレクトに反応を表情として返さない。言動や表情か内面と厚い皮で隔てられいてる(よくいう‘面の皮が厚くなる’)のだけれど、子どもたちは経験で武装されていない無垢な姿で、荒野に必死に立ち向かおうとする。だから、未知なる刺激に対しての本能的な身体の反応をコントロールしきれずに苛立ちもする。かと思えば、百に一度くらいの割合かもしれないけれど、この荒野のなかに輝く希望を見つけて輝くような笑顔を見せてくれることもある。
    (この本の内容とは離れるけど、そんな子ども(主に少年)の内面を想像させてくれ、記憶の奥にしまい込まれた感情の記憶を連れ戻してくれる映画をここに幾つか紹介する『柳と風』、『自転車泥棒』、『大人は判ってくれない』、『太陽のめざめ』、『おおかみこどもの雨のと雪』)
    本の紹介に戻りますが、
    もうひとつ私がきにいったのは
    『ヴィルドゥングスロマンス』の説明の後に書かれている。近代社会が作り上げた‘人生’の構図を説明してくれている部分。これは知っている人にしてみれば、何を今更と思うかもしれないが、私たちが無意識に描いている‘人生’という工程のイメージの基本型は実はこの近代社会のなかで作られたのだということを簡潔に教えてくれる部分。
    私たちが無意識に描いてる‘人生’の構図は、その時代、その社会が描かせているものであることを知ること。自分という人間が生きて死ぬという工程は、自分で描けば良いのだし、社会圧が薄かった中世以前にはそんな概念が無かったんじゃないだろうか?。
    でも、この時代や社会が拵える‘人生の構図’の外側を生きることは相当な勇気と、実際の荒波がある。それは国家や社会というものはそれを条件に(均一な人生の構図を生きること)そこに属する、国民を守るように設計されているから(でも、それも綻び始めているかもしれない)

    「天才は育てるものではない」自ら必要に応じて、その環境のなかから荒波に揉まれながら出現してくるもので、良い環境で育つのはエリートや卓越者でしかないとも思っている。矛盾や困難が多重に重なる世の中で、それを糧にできる強い人間は育てようと思って育つものではない。
    本の冒頭で紹介される優秀なスーパー中学生たちをマスコミでは「天才!」と称しているけれど、私が描く天才はそんな頻度で現れるものではない。

    そんなこんなも含めてお勧めの本です。

  • 今の教育と、これからの日本の教育はこうあったほうがいいというような話周囲と同じように、という底上げから、やりたいことと自分で考え、自分で調べる、行動するように変化していかないといえない。行動だけ活発でもダメで、他者との関係から反省し発酵させるまで。

  • 著者自身が書いているが、別に天才の育て方が書いてあるわけではない。いままでの日本の教育は、どちらかというと、出る杭を打って、とんがったものはまるく、一様に、けれど底が上がるようにと指導を心がけてきた。本書では、それに対するこれからの教育のありようについて議論されている。人間はみな平等で、だれもが同じように教育を受ける権利がある。しかしながら、ひとりひとり遺伝子は違い、育ってきた環境も違う。どのような教育を受けるかは一様である必要はない。選択肢が広がればよい。そういう意味では、昨年新たに策定された「教育機会確保法」は意味のある法律だ。不登校の子どもたちがフリースクールや自宅で学ぶという選択肢を持って良い。発達障害が認められる子どもたちには、ICTなども活用しながらより良い教育が受けられるようにすべきだ。画一的な教育を行うのではなく、何かに秀でたものがいれば、そこをさらに伸ばすことのできる時間を確保することも大切だろう。一方で、学校教育にとっては、いろいろな人間がいるのだということを知らせることも重要な使命の一つだろう。もともと、不登校がなぜ起こっているのかと考えたとき、異質なものを排除しようとする空気が原因だったかもしれない。今回の新学習指導要領で、より主体的で深い学びが広がればよいと思う。しかし、心配なのは、突出した「天才」は育ったけれど、その他大勢、意欲をもって主体的に学ぶことのできなかった子どもたちが取り残されてしまうという状況だ。政治家たちは、ひょっとして、一部のエリートに人工知能(AI)などを開発させて、その他大勢には、少ないベーシックインカム(BI)だけで満足させようとしているのではないかなんて邪推してしまう。ちょっと本書の内容からそれてしまいました。いずれにせよ、子どもたちには平等でしかも自由な選択ができる「教育」を受けてもらい、そういう「社会」を築いていってもらいたい。

  • 部分と全体は関わりあっている。教育も同じで、支配的な、基準に沿わない人間が不登校になる学校では平均的な人間が育ち、それ以外のフリースクールに通う子たちは異質な能力を伸ばしていく。フリースクールに通う子と学校の子など多様な人間がいるからこそ社会は成り立っていると考えべき。
    だからこそ、真の意味での教育は、子供をカテゴライズしてその子に合った教育を施すのではなく、多様な人間がいるからこそ、この社会が成り立つという考え、そういう善の視点で多様な人間、子供たちを見ていくべき。
    結局、自分の考える教育とは、まず、教育者がこれからどんな未来が来るのか?どんな能力が求められるのか知らなければならない。そして、その未来に対して真に子供たちになることは何なのかを考えることだと思う。だから、今は近代化が終わり方向転換を迎えた時期。子供たちに画一的な教育は今に対応せず、より主体性や応用力(知識ね使い方、知識を深める、議論する力)を身につけて答えのない私生活に問題解決を自分でできるようにすることだと思う。

  • 幼児教育、殊に保育の分野で有名な汐見先生が書いた本。人生の目的、働き方や価値観も多様化する中で求められるであろう教育の多様性を考える一冊。

  • 子どもチャレンジでコラムを書かれてて手に取りました。冒頭で説明されますが、「天才」の育て方といった実用的(?)、興味をそそるものではなく、これからの教育とは、いかにあるべきか、という点を平易にまとめています。
    身の回りで具体的に実践、という前にまず自省と環境分析が必要かとは思いますが、「うーん、自分の育った、または自身の価値観と異なる考えを持つ子の育成をどう捉えて、取り組むべきか」といった課題にぶち当たっていれば、読めば何かしらのヒントは見つかるやもしれませんね。

  • タイトルが面白くて買いましたが中身は新しい学びなどの話でした。トーク&チョークスタイルと言うらしいですが昔の教え方ではなくアクティブラーニングなどの新しい教え方についても触れてあります。タイトルの天才についての話はあんまりありませんでした。

  • 【読了】

    社会が求めている教育と、学校が行っている教育の差が広がっていると感じる。後者が変わっていないが、新学習指導要領の完全実施に合わせて、変わっていく可能性がある。

  • 日本の教育は子どもの個性や秀でた才能を伸ばすことができていないのではないかという問題意識のもと、日本の教育を時代にふさわしく底上げするにはどうすべきかを論じる

    ・「教育機会確保法」の可能性
    ・教育の本来の姿は私教育
    ・アクティブのためにはパッシブを

    よくある「天才願望」ではなく、子どもの可能性を引き出す教育を本質から考える一書

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著者プロフィール

1947年生まれ。東京大学大学院教育学研究科博士課程修了。東京大学大学院教授を経て、現在白梅学園大学学長。東京大学名誉教授。こども環境学会副会長。専門は教育人間学。臨床育児・保育研究会を主宰。著書に『これがボクらの新・子どもの遊び論だ』(加用文男、加藤繁美氏と共著、童心社、2001年)、『「教育」からの脱皮』(ひとなる書房、2000年)、『はじめて出会う育児の百科』(小学館、2003年)、『世界の幼児教育・保育改革と学力』(共編著、明石書店、2008年)など。

「2009年 『子どもの遊び・自立と公共空間』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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