乱読のセレンディピティ (扶桑社文庫)

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著者 : 外山滋比古
  • 扶桑社 (2016年9月29日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (227ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784594075583

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乱読のセレンディピティ (扶桑社文庫)の感想・レビュー・書評

  • セレンディピティ。serendipity。思いがけないことを発見する能力。
    それはまさに乱読から生まれる。

    乱読者の私としては、そうそうと頷きながら読む本だった。

    有名な外山滋比古さんだが、履歴を見ると私過去に著書を読んだことなかったみたい。思考の整理学とか有名だよなぁ。

    『ガリバー旅行記』読んでみないとと思ったよね。

    「忘却が活発であれば、知識過多になる心配は少ない。忘却がうまく働かないと、それほど摂取知識が多くなくても、余剰知識がたまって頭の活動を阻害するおそれがある。よく忘れるということは、頭のはたらきを支える大切な作用であると考えるようになった。」

    一時間ほどでさくっと読んだ。

  • 乱読を是とする本。
    ジャンルは違うので直接の比較は微妙ですが、「思考の整理学」の方が為になったかなと思います。

  • おもしろい。ポイントを一言で説明すると「小説とか専門書だけじゃなく、とにかくいろんな本をサラッと読め」ということなのだが、本質的な部分は「本の家来になってはいけない」というところだろうか。本は読者が読んで始めて完成するものであり、著者と読者の立場は対等(むしろ著者のほうがちょっと下?)であるというスタンス。飄々としたちょっと古めかしさを感じさせる文体で、すらすらと読み進められる。ただ、こうはんはちょっとグダるところもある。しかし、一読の価値はある。

  • 従僕に英雄なし 正鵠を射る 空腹に不味いものなし 天下泰平 最後まで読み切った本がないまま一生を終わる人は決して例外的ではない 難解であると歎じたたんじた 自分の意味をまるで持ち込めないような本は、百遍はおろか、一度の通読もできない。 読者が本の家来になるのではなく、年下の友人であるという自己規定をすると、たとえつまらぬ本でも、なにがしかの発見は可能になる。 心に刻まれないことをいくら記録しても何の足しにもならない 書物は心の糧である 知的メタボリック 偏食も過食と同じくらいよろしくない 読書メタボリック症候群型近視 セレンディピティ 青黴のペニシリン 海豚の言葉 怪我の功名 諷刺『ガリバー旅行記』 開架式 寺田寅彦 ゲシュタルト心理学 常住坐臥じょうじゅうざが アナロジー=類似 ぎ擬して 牽引 修辞的残像 残像による余韻 松尾芭蕉 十七音の短形 残曳ざんえい作用 知的な話し上手ほどテンポが速い 一考を要す 称揚 らくせい落勢は止まらない 編集は料理に似た加工であるというアイディアが閃いた エディターシップの概念を創り上げた。第二次創造論である。 徴用ちょうよう 世情一変 雑誌のまいそう埋草うめくさ 思想的ファッショ=ファシズム 日本語はアイランド・フォーム、つまり島国的性格を帯びている。国境で他国と隣合わせになっている国のコンティネンタル・フォームとは対照的である。コンティネンタル社会の言葉の論理が、ライン、線状であるとすれば、アイランド・フォームの言葉の論理は点的であるということができる。点と点は、受けてによって、結びつけられる。点と点が直線的な並び方をしているのは面白くないから、蛇行状に点が飛ぶ。コンテクスト(文脈、前後関係)をとらえていない受け手には、これを読み''解く''ことができなくて、わけがわからなくなったり、間違った筋として受け取る。アイランド・フォーム社会は、そういうのを野暮として相手にしないのである。通人は、飛び飛びになって散乱している点を適宜結び合わせて、言外の意味までも了解する。それが言葉の面白さと考えられるのである。俳句はそういう日本語の論理がもっともはっきりあらわれた様式で、コンティネンタル言語になれた人には謎のようになる。日本人にとっても、人によって点の集合が異なることがあって、同じ意味にならないことがある。 古文書が煙滅 思想上の革命 稿本こうほん くだる降る 小著しょうちょ 談論風発 俳諧連句 ぶんげいしゅんじゅう文藝春秋 遺稿集 所謂通俗健康本 文武両道 記憶はそのまま保持されるのではなく、忘却によって変化させられる。そのあと、忘却し切れなかったものが、再生される。この記憶も暫くするとまた忘却のスクリーニングを受けて少し変貌する。 記憶の新陳代謝 回想は常に甘美である。甘美でないものは消える。「詩は回想によって生まれる情緒である」 吟業 遊業 嘱目を句にする 生木 回想の抒情 忘却力による創造的変化 新忘却の思考 忘却は、記憶に対して破壊的であるけれども、一部では、記憶を回想に美化させる働きをもっている。美しい回想は記憶と忘却の働きによるというのが新しい忘却の美学である。 ビジネスマンの耳目じもくを集めている とやま外山しげひこ滋比古

  • 見当はずれな事を書いてるかもしれないけど、自分が正直に読書後に感じたことを

    思考の整理学の時の感心を求めて手に取ったのが間違いだったかもしれない。
    タイトルの通りなのでこの一冊で成り立つような読書では無い。
    勉強を始めた学生が手に取る本では無いし、読書の仕方が決まってきた大人が手に取るでも正直なところ無い。

    いったい誰が手に取って読むのだろうか、と可笑しな皮肉めいた疑問が読書中あたまに浮かんだ。

  • 人とは違う視点をもってる方の文章だなぁという印象。
    自分というものをしっかりとお持ちになっているようだから、少し鼻に付くところが人によって波あるかも。

    内容は
    ただひたすら知識を溜め込むだけではなく、思考すること。
    自然忘却。
    朝方生活
    散歩のすすめ

    が気になった。

  • 作者の考えを読書という視点で記載したもの。基本的には思考の整理学と変わらないように思われる。忘却すること。重要です。

  • 2017/04/05
    ・散歩はいいぞ
    ・乱読してたほうが、良いもの・見落とされたものを見られるのでは
    ・知識ばか、専門ばかになるよりは、自分で考えるとかしたらいいぞ
    ・雑談するといいぞ
    的な内容。
    やってみたくなる。
    まあ広義の自己啓発本だが、それでも面白いし、得るものはあったかなと。

  • 小説だけではなくて、新書や新聞、雑誌、いろいろよもうー

  • ただなんとなく読書が好きで読んでいるだけなのかも、、、とまたその答えを本に求め、書店をうろうろしていた時に買った本。
    「たくさん読んで偶然の発見を楽しみ、自分で生み出すことをしなさい。」という本。
    実にタイトルが中身を表していて面白い。書店で沢山の本を流し見していて、ふとこの「セレンディピティ」という単語が目に留まった。内容を見ていると、どうも乱読に関する本のようで、自分の読書スタイルを悩んでいた自分にはうってつけのように思われた。
    大当たりだった。
    自分の現在の読書スタイルは、 読み分けがされている。結果的に、同時に4-5冊くらい読む形になる。
    - 主に、家の机では、 自分の専門分野に関するをじっくり、通勤等ではノージャンルで気楽に、会社では言語(仕事しろ)といった具合に。
    - あと、本を本にしてしまわない事もある。例えば、本「パスポート学」は、国外からの出張者とのアイスブレークに役立ている。

    いずれも、読んでいて楽しい本を読んでいるが、ノージャンル本はいつも発見の連続でいっそう楽しい。この本もそうであった。

    - ジャンルに縛られず、多様な本を読むことは、センディピティ(思わぬ発見)に繋がる。

    - 本は自分の生き方に影響を与えられるように読むのがよい。ただ知識を増やすだけでは、知識バカになるだけである。

    まさしく、「セレンディピティ」という単語を知らなかったために、セレンディピティを呼んだのである、笑。結果として、現在の僕の読書スタイルはやはり、好きなだけあって、それで今の生活にあっていると、考える。生活が変わればまた、その様式も変わるかもしれない。それで、良いのだ。
    あと、思わぬ結果も生んだ。乱読同様、雑談の力を大いに認める部分があり、確かにそうであると納得。せっかくなので、ピアノを共通キーに座談会を発足させてみた。これからが楽しみである。

  • セレンディピティ、偶発的に出会う僥倖のこと。思考の整理学と似通った点で言えば、脳内の化学反応を起こすことが「考える」ということであり、どのようにしたら読書において、そのセレンディピティが起こるのかと解説している。乱読のススメとも言える主張は、本の新たな読み方の示唆であったが、アルファ読み、ベータ読みに関しては、齋藤孝氏の主張と同じだし、本の乱読こそ、読書の正しい形だという主張は、高橋源一郎の小説の読み方における主張と同じだ。そういう意味では、新たな定説というには既出の論説が多かったが、もともと偶発的に出会うセレンディピティを、意図的、意識的なものへと掘り下げようという試みは真新しいように感じた。部屋は汚い方が、探し物が見つかりやすいってことか。違うか。

  • 外山先生の本はいつ読んでも面白い。
    読むこと以上に話すことの重要性、さらに記憶以上に忘却していくことでストレス回避に繋がるという話が興味深かった。

  • 乱読、まさに自分にぴったり。「溢れるほどの本の中から自分に合う本を見つけることがそもそも知的労働である」「根を詰めて読むのではなく、風のように読み流せば良い。役に立つ知識はあとからでも必ず蘇る」「メモを取る必要はない。心に刻まれないことは文字に書いても無駄である」「乱読すると駄作を読む失敗を避けられないが、失敗を恐れては良い本に出会えない」

  • 話が二転三転する
    想像とは違った内容だった

    本は買うべき
    書店で買うのと図書館で借りて読むのとは違う
    書店で買うのは自分の意思で選んでる
    図書館は人が選んだ本だからダメ
    みたいな内容で
    書店から選ぶのも図書館から選ぶのも
    数ある中から自分が読みたい本を
    選んで読むのだから同じだと私は思う

  • 生きることは 考えること
    生きることは 読むこと
    生きることは 発見すること
    生きることは 散歩すること
    生きることは とらわれないこと
    生きることは 好奇心そのもの

    「思考の整理学」も
    何遍読み返しても面白い
    本が好きな人は
    輪をかけて面白く
    読めるでしょう
    乱読読みの人は
    とてつもなく面白く
    読みきってしまうことでしょう

  • 至言の宝庫。肩肘張らずに、素直に、気ままに読書を楽しもうという気持ちにさせてくれる。「思考の整理学」の復習的要素も。

  • ○乱読にも「意味」を持てば明るい知的ライフ!その意味を教えてくれる
    セレンディピティとは、
    思いがけないことを発見する能力。とくに科学分野で失敗が思わぬ大発見につながったときに使われる。(p92)とある。
    タイトルにある「乱読のセレンディピティ」とは、乱読することによる思わぬ大発見があること、を指すのだろう。

    ・本は身銭を切って買うべし
    ・何回も読めばなんとなくその本のことが理解できる
    ・ただ本を追随するのではなく、生きる力に結びつくように読むべし
    ・・・などと、読書の仕方を懇切丁寧に、教えてくれている。

    p82では、乱読の意義を語っている。
    そもそも文章を読むうえで「アルファ読み」と「ベーター読み」という種類があり、「アルファ読み」は読む側がある程度知識を持って読んでいる状態。いたって基本的な読み方ではあるが、新たな知識を入れるとすると「ベーター読み」のように知らない言葉でも推測したり読み飛ばしたりする読み方をやらないといけない。
    義務教育などの学校では「アルファ読み」しかやらない。「ベーター読み」をやればいろんな分野の本に好奇心を持って立ち向かうことができるはずだ。

    また、乱読をするうえで最もうってつけなのは新聞だ、とも勇気づけてくれる。

    自分の読書のはじまりは実は新聞だったし、進学校であった高校のときに「わからない単語は類推して読んでみよ」と現代文や古典の授業で言われていたことも、影響しているのかもしれない。
    その点では、高校までに聞きかじりで得ていたことが著されているという点で心強い一冊。読書を人に薦めるときの理論的支柱にしたいと思う。

    ちなみに、思考の整理学と表紙が似せてあるのも面白いポイントである。

  • 珍しいが「乱読」を推奨する本。日本の教育では普通「古典」や夏目漱石などの「」名作本を読むことを勧めるが、この本は手あたり次第(というわけでもなかろうが、だいたいそんな感じ)に開いて読んで、心に留まらない場合は途中で投げ出してまた違うものを読むと良いと宣う。なんて斬新な読書法!と思うのだが、著者の思惑はそのような読み方を繰り返すことで何かに気付くときがある。それが「セレンディピティ」だというわけ。何かの「あるある」みたいだけど確かにそういうことってある、ある。対して期待したわけでもなく、時間つぶし程度に思って買った本に「おぉ!」と感銘を覚えたり。そういう時は「これが読書の醍醐味!」なんて偉そうに思ったりするけれど。そういう感覚を「乱読」で手に入れようなんて思ったこともなかったよ。「本は好き嫌いせず心のままに読んで楽しもう!」と肩から力が抜ける読後感でした。

  • 乱読、いろいろな人としゃべる、ことで、知識の偶然な出会いが起こる

  •  本を選んで読むのではなくて、乱読、本を選ばずに山のように読み切ることで予想外の幸運な偶然に出会うことがある。という趣旨の本。

     α読書(本の最初から最後まで順番に読み進める一般的な読書)ではなく、β読書(わからないところは飛ばしつつも、一定のスピードで最後まで読み切る)というのは、確かに「本を読む人と読めない人の最大の差」ではあると思う。本を読めない人は、きちんと読まなければならないという思い込みにとらわれている。

     最初は「えー?」と思っていたのだけれども、読み進むうちに「ああ!」ってなり、最後は「乱読しなければ」ってなる。
     ただ、これ、乱読って年に100冊読む基礎が無いと、実行できないんじゃなかろうか。そして、β読書ができない読者層は、この構成だと、1章か2章で脱落するんじゃなかろうかって思わないこともない。
     読書家が、さらなる高みへ進化したいときにどうぞ。

  • 内容の重複が気になる。編集でどうにかならないのか。

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