- Amazon.co.jp ・本 (227ページ)
- / ISBN・EAN: 9784594075583
感想・レビュー・書評
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serendipity。セレンディピティ。思いがけないことを発見する能力。
非常に楽しく読めた。
読みやすい簡潔な文章。文脈に漂うユーモアには何度も笑いが漏れた。
読みながら思い出したのだが、著者の「思考の整理学」にも登場していた言葉だ。
ノーベル化学賞・鈴木章北海道大名誉教授の言葉で、「何もやらない人は(偶然に物事を発見する能力である)セレンディピティに接する機会はない。一生懸命やって、真剣に新しいものを見つけようとやっている人には顔を出す」というものがあった。
創造的思考への関心がまだまだ十分でない私たち一般人には馴染みが薄いというだけで、科学者の間では日常会話でもよく使用されることばらしい。
求めていたものとは違う、副次的に見つけたもの。
例えばA・フレミングのペニシリンの発見や、米海軍が偶然キャッチした「イルカのことば」。
さて、この本で言われる乱読のセレンディピティとは。
乱読という読書術をお薦めする前半と、後半は著者のエッセイ。
セレンディピティの生まれたエピソードや実例も豊富だ。
乱読というと少々よろしくないイメージだが、思考力を鍛えるにはそれがお薦めだと言われる。
決して粗雑な読み方を推奨しているわけではない。
知識を得ようと難しい本を読んで「分かったような気になった」としても、それは借り物の知識であり、生きる力とは結びつかない。
これまでのような装飾的・宗教的・遊戯的な読み方ではなく、より良く生きるため、新しいものを生み出す力をつけるために本を読もう。
義務感からでなく、興味をもった本を手当たり次第に「風のように」読み、それも自分でお金を出して買うこと。
自己責任をもって読み「心ある読者」になり、自分で価値判断の出来るひとになろう、というのがねらいだ。
この場合の「手当たり次第に」というのは、ジャンルにとらわれないことを指している。
読み方として、「アルファー読み」と「ベーター読み」が登場する。
書かれていることが分かっている場合はアルファー読みで、小説ばかり読んでいるとアルファー読みから抜け出せず、ベーター読みの出来る乱読にいたらない。
小さな分野にこもらず、まず乱読の入門テキストとして新聞や雑誌を読んでみようということだ。
積極的な乱読は、従来の読書ではまれにしか見られなかったセレンディピティがかなり多くおこるのではないか、と著者は期待している。
とまぁ、ここまでが前半。
そもそもが乱読だったし、生きる力に結びつかない読書はしないとかねてから決めているため、ほぼ既知の内容だった。
しかし☆五つ献上させていただく。なにしろ読み物として面白い。
接続詞を殆ど省いた文章スタイルが、読みやすいことこの上なしだ。当然ながら「風のように」読める・笑
著者のユーモア感覚はどこから来るのか、読んでいると思い当たる。
本が出ても寄贈しないし、親しい人たちにおくったりもしない。
書評の依頼が来ても断る。
1923年生まれという年齢もさることながら、しがらみをそぎ落とすことで簡潔に思考することが可能なのではないか。更にさらりと言いたいことも言える。
気難しさはない。そして媚びもない。それが実に楽しそうでカッコいいのだ。
後半部分の「古典の価値」と「ルーナー・ソサエティ」はおおいに刺激になった。
日々の散歩を奨励する著者は、今日はどの辺りを歩かれただろう。すべての方にお薦め。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
相当の知識人と思われる著者のクスッと笑えるユーモア付き乱読のすすめ。
風のように本を読む。
生きる力をつけるための読書。
わたしも新聞、雑誌をめくるのは好きだ。他人の本棚を覗くのも。自分から選ばないようなトピックに出会うことができるから。ネット検索ではそれがない。慣れ親しんだ世界に篭りがち。
2020.7.24 -
乱読というのが、様々な本を読み漁るという意味合いで考えてこの本を手に取ったが、思ったよか違う内容であった。
本の読むスピードから始まり、読み方、古典、日本語など、一つのトピックスから様々な視点を含め、自分の経験を基に読書というものについて書かれている。
思った内容とは違ったが面白い内容であった。 -
いろんな本を乱読:めちゃくちゃに読んでいると、セレンディピティ:思いがけない発見があるという教えです。
気の向いた本を、手当たりしだいに読むのは、たのしいが、それだけでなく、おもしろい発見もある
知的刺激ということからすれば乱読にまさるものは少ないようである
妙に力を入れるのではなく、風のように読むのが面白い
乱読はおもしろい
気になったのは以下です。
・自分のことを振り返ってみても、人から本をもらうのは、ありがたさ五分、めいわく五分ということが多い
・人と交わるには遠くの人がいい
・本は買って読むべきである、もらった本はありがたくない
・自分の目で選んで、自分のカネで買ってきた本は、自分にとって、タダで借り出してきた本より、ずっと重い意味をもっている。
・あわただしく読んで、あわただしくまとめたような書評が正鵠を射るということはまずありえないだろう
・手当たり次第、本を買って、読む。読めないものは投げ出す。身ゼニを切って買ったものだ。どうしようと、自由である。
・本の少ない昔は考えにくいことだが、本があふれるいまの時代、もっともおもしろい読書法は乱読である
・わかりにくい翻訳書が読みやすい啓蒙書以上に人気があったのは、よくわからないからである。おもしろくないからである。翻訳者自身もはっきりわかっているかどうか疑わしい翻訳である。
・かくされているから好奇心をそそられる。白日のもとにさらしてみれば、目をすむけたくなる。危ないのがおもしろい。安全、健全なものは退屈に決まっている。
・義務感がいけない。押し付けられているのがいけない。
・おもしろい本とためになる本があれば、たいてい、おもしろい本が悪書、ためになる本は良書となる。
・日本語では音読できても意味の分からないことはいくらでもある
・悪文、難解文をそれとも知らずに読む社会にすぐれた読書文化ができるわけがない
・わからない本を何度も何度も読んでいれば、本当にわかるようになるのか。わかる、のではなく、わかったような気がするのである。とにかく、何度も読めるのは、どこかおもしろいからである。
・実際に何度も繰り返して読む本が5冊や7冊もあれば、りっぱである。
・本は読み捨てでかまわない。本を読んだら、忘れるにまかせる
・知識はすべて借りものである。頭のはたらきによる思考は自力による
・本を読んでものを知り、賢くなったように見えても、本当の人間力がそなわっていないことが多い。
・年を取る前に、知的無能になってしまうのは、独創力に欠けているためである。知識は化石みたいなもの。それに対して思考は生きている。
・書くことばよりも話すことばの方が、大きな意味をもっていることが納得される
・速く読むのは雑になりやすい。きめ細かいところは読み取ることができない
・外国語を読むのは難業である。読むとはいうが、速度がのろくて、読むというより解読といった方が当たる。
・やみくもに速いのはいけないが、熟読吟味はよろしい、のろのろしていては生きた意味をくみとることはおぼつかない。本は風のごとく読むのがよい。
・われわれは、だれしも、自分はものが読める、読書の能力がると思っているが、多くは思い込みで、本当に読める人はごく少ない。
・読む側があらかじめ知識をもっているときの読み方、これをアルファ読みと呼ぶことにする
・内容、意味は解らない文章の読み方で、これをベータ読みと呼ぶことにする。 すべての読みはこの2つのどちらかになる。
・乱読ができのは、ベータ読みのできる人である。アルファ読みだけでは乱読はできても、解読はできない。
・とにかく小さな分野の中にこもらないことだ。
・いろいろなジャンルの本を興味にまかせて読んでいく。ひとつの専門にたてこもっていると、専門バカになるおそれがあるけれど、乱読なら、そうはならない。
・それどころか、専門主義、些末主義が見落とししてきた大きな宝をとらえることが可能である。
・全部読み通す必要はない。
・失敗を恐れない―それが乱読に必要な覚悟である
・セレンディピティ:思いがけないことを発見する能力。思わぬ失敗が大発見につながった時に使われる。ケガの功名。
・乱読本は読むものに、化学的影響を与える。全体としてはおもしろくなくても、部分的に化学反応をおこして熱くなる、発見のチャンスがある
・昔からケガの功名というが、セレンディピティは失敗、間違いの功名である。
・寺田寅彦は、頭のよい科学者と頭のよくない科学者を、足の速い旅人とのろい旅人に擬してそれぞれの特質を明らかにしている
頭のいい人は富士山のふもとまで来ると満足して帰ってしまうが、
頭のよくない人はとにかく登る。登ってみないとわからないことを発見することができる。
足の速い人はひたすら先へ進むことのみを考えて脇目もふらない
足ののろい人はあとからゆっくりやってきて、俊足の見逃した花を見つける
・乱読のよいところは、速く読むことである。専門、あるいは知識を得るための読書は知らず知らずのうちに、遅読になりやすい
・読み飛ばしたって、心にひびくところは消えたりしない、ということがわかって、ノートをとりながらの読書はやめた。
・あてもなく、いろいろな本を読んだ。
・突如、編集は料理に似た加工であるというアイデアがひらめいた。そうだ、思わず声をあげた。料理人も編集に近いことをしているのではないかと思ったのである。
・文学史をいろいろ読んでいると、おかしいことに気づく
・どうして同時代のテクスト、稿本が残らなかったのか。
・すべての稿本が亡くなってしまったのは、火災などによるものではなく、もっと怖ろしい破壊力を持つ価値の革命があったと想像する方が合理的である。
・鎌倉期においてそういう革命がおこり、それまでのテクストをすべて葬り去った。その代わりに新しいバージョン、テクストが生まれ、それが現在まで生きてきた。そう考えることも、可能だる。
・30年くらいたつと、文化的状況が一変する。1世代、30年たつと、知的風土がほぼ完全に刷新される
・いくら知識がふえても、どんどんわすれていけば、過剰になる心配はない
・美しい回想は記憶と忘却のはたらきによるというのが新しい忘却の美学である。
目次
文庫版のためのまえがき
1 本はやらない
2 悪書が良書を駆逐する?
3 読書百遍神話
4 読むべし、読まれるべし
5 風のごとく
6 乱読の意義
7 セレンディピティ
8 『修辞的残像』まで
9 読者の存在
10 エディターシップ
11 母国語発見
12 古典の誕生
13 乱談の活力
14 忘却の美学
15 散歩開眼
16 朝の思想
あとがき
ISBN:9784594075583
出版社:扶桑社
判型:文庫
ページ数:232ページ
定価:580円(本体)
発行年月日:2016年10月
発売日:2016年10月10日初版第1刷
発売日:2018年11月30日初版第9刷 -
たくさん本を読んで知識を得ることよりも、考えることが大切だよ、乱読するとひらめく時があるよって話。
読んでいて心が動いた部分は意識してなくても頭に残ってるんだろうな。
体感として分かっていた気もするけど、なるほどと納得の内容だった。
後半のエッセイも面白かった。これってまさに著者さんが考えたことで、こうやって考えるのって楽しいでしょって言われてるみたいだった。
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めちゃ読みやすかった。遅読の僕が珍しく2日で読めた。
「セレンディピティ」という言葉を初めて知ったタイミングでたまたま本屋で見つけて、タイトルで気になって中身も読まずに買った本。正にセレンディピティ。『思考の整理学』で有名な著者の本だということすら知らずに買った。ちなみに『思考の〜』は未読。今度見つけたら買おう。
小説、言語学、地政学、数学、などなど好きなジャンルがごった煮で、気になった本を気になった時に読むしたまにパラレル読みもする人間なので、その読み方を肯定してもらえたようでよかった。
全ての主張に首肯できるわけではないけど、著者自身も書いてる通り是々非々で、良いと思った所だけ大事に読むようにした。
一文一文が明快で軽快で読みやすい。名文。色々勉強になったのでメモを取ろうと思ったが、この本には「メモを取りながら読むな」と書いてある。うーむ。 -
人に本を贈らない。
書籍で溢れる現代、面白くない本を無理に読み通す必要はない。
本は読んだら忘れていい。
舐めるように読まない。風のように読む。
ゆっくり読むと文章の意味をとれない。
ジャンルにとらわれずに読むことでベータ読みの力が付く。
知識だけ身につけて思考力を殺すのはよくない。
生きる力を付ける読書をすべき。
軽い気持ちで読み始めた本で案外忘れられない読書体験をする。
失敗を恐れず身ゼニを切って本を買えばいい。
違う畑の人と乱談すると楽しいし、活力が湧く。
知的メタボリックシンドローム。
一晩寝て忘れて頭を掃除する。
散歩をして頭をすっきりさせる。 -
「手当たり次第、本を買って、読む。読めないものは投げ出す。身ゼニを切って買ったものだ。どうしようと、自由である。本に義理立てして読破、読了をしていれば、もの知りにはなるだろうが、知的個性はだんだん小さくなる。」(引用)
潔よすぎて笑ってしまいました。また、自分が考えていた小さな悩みが吹き飛びスカッとしました。
最近の読書は、仕事に直接関係するものではなく、本屋さんで気になった本を手当たり次第買うパターンでした。「もっと仕事に役立つものを読んだ方が良いのではないか…」「これを読んで何に活かせるのか…」と自分に問う事もあったので、この本で勇気を貰えました。そして外山先生の仰るとおり、実際「乱読」でセレンデイピティが起こってた事も再確認出来たので、これからもどんどん「乱読」を続けたいと思います。
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外山滋比古先生の訃報を知り、読んだ
1月に40歳になり、1年間小説を読まないと決めて半年。小説以外を多読して良き本にも沢山出会ったけど、どう活かしていくかということに囚われ過ぎてたなぁ
忘却してもいいんだ!
それにしても90歳を過ぎての著書だなんて!