- Amazon.co.jp ・本 (176ページ)
- / ISBN・EAN: 9784620317748
感想・レビュー・書評
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脳出血と癌という大病を患い、死を目の当たりにして内側から迸る書かずにはおれないことを書き綴った遺書のような言葉の数々。
まどろっこしい文章と、どこかカッコつけたような文章がとても読みづらい。
小泉元総理が何より嫌いらしい。コイズミとカタカナ書きするあたり、今のアベガーに通じるものを感じて苦笑を禁じ得ない。
日本のファシズムが上からではなく下からの、「天皇制という日本型の協調主義的ファシズム」であるという部分には肯首できるし、率先してポピュリズムを先導するマスコミの恥については激しく同意。
だけど、資本を否定し、天皇を断罪し、あえて自衛隊派兵という言葉を使うステレオタイプの左翼思想に凝り固まった筆者の思想にはため息しか出ない。
どこをとってもどこかで見たような放言で、特筆すべきこともない。せいぜい、余生は自らの物書きとしての来し方を反省し、恥を噛み締めているがいい。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
時間があれば
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辺見庸の思想的な遺書。重い、なかなか通読できず。
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2009年3月21日購入
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本書で繰り返し、辺見氏は境界をこえること、内側に踏み込むことの重要性を述べている。
大阪での講演を聴いていたこともあり、私が一番衝撃を受けたのは、1章の「炎熱の広場にて」である。辺見氏自身の体験から綴られたこの文章から、我々が考えさせられることは非常に多い。
外延の安全圏から見る者であるだけの我々に突きつけれれるものがある。内側に踏み込むことが、全ての人に求められている。
しかし、これは本当に難しい。今、私にできることは恥を感じることだけだ。外延にいながら評することしかできない自分自身への恥をただただ噛み締めることしかできない。
恥とは何か?講演録を読むと良く分かる。内容は、大阪で聞いたものと大筋では一緒だったが、実際に聞いたものと、講演録をあわせて考えると、余計とよく分かる。
辺見氏にとっての恥とは、舌ぺろりの元看護婦であり、江藤淳のいうところの、形骸ではないということである。この考えには私も全面的に賛同する。
人間の恥とは、そんな目に見えるような恥ずかしさではなく、もっと深く根深いところに依拠していると思う。
我々が今やらなければいけないことは、「炎熱の広場にて」の言葉を借りるならば、
『書くのでも撮るのでも評じるのでもなく、内周の闇に割りこみ、ひたすら黙して運ぶのでなければならない。
(中略)斃れた他者を運ぶか拭うか抱くかして、沈黙の闇と臭気に同化するよう心がけよう。書くのではなく。見るのではなく。語るのではなく。』
http://ameblo.jp/use04246/entry-10015267454.html -
作家やジャーナリストという呼称を超えてある一つの分厚い精神の塊として存在し始めている辺見庸。重たい一冊だ。