- Amazon.co.jp ・本 (386ページ)
- / ISBN・EAN: 9784622031970
作品紹介・あらすじ
19世紀と20世紀を通して破竹の勢いで進展してきた帝国主義。イギリスやフランスをはじめとした西洋諸国は、世界地図のアジアやアフリカの部分を「われら」の土地として塗りつぶしていった。宗主国の国民は、また植民地化された「原住民」は、それぞれこの事態をどうとらえていたのだろう。そして文化は、帝国主義とどのような関係にあるのか。とりわけ、ルカーチによれば「近代」の形式である小説、それもその最高の芸術的成果が帝国主義とどう絡みあってくるのか。サイードは、歴史意識を前提としつつも、文学の地政学ともいうべき方法論を駆使して、両者の関係を考察する。
感想・レビュー・書評
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西洋の「物言わぬ他者」たるオリエントを考察した『オリエンタリズム』から一歩進めて、抵抗・攪乱する存在としてのオリエントにまで注目した著作の上巻。もう書かれてから20年は経っているはずですが、テクスト分析のみならず、例えば「乖離する経験」の章に出てくるアラブ人のキリスト教聖職者の話が、相互経験の困難さをあらわしていて面白い。
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いまさらですが、サイードの『文化と帝国主義』を拾い読み。
いつも拾い読みで、なかなかまとめて読めてないけど、おもしろい。
今回いいなと思ったのは、「物語と社会空間」の章で、コンラッドの『闇の奥』を取り上げている部分。
マーロウがイギリスの植民地支配はやがて「不可視」になると感じていることを、サイードは明らかにする。
マーロウ(コンラッド)は、植民者と被植民者は「ことごとく一体化」することを夢想する。
「あなたが最初にこしらえたものによってあなたは完璧に囲い込まれ、おまけにあなた自身それを崇拝してしまう」。
このような状況が当然のことになると、それは植民地支配は「不可視」となる。
コンラッドが、植民地支配の領土簒奪と、その行為の隠蔽までを帝国主義として捉えていたことがあざやかに示される。
コンラッドの視点を無批判に肯定することは無論できない。
それでも、帝国主義は「不可視」される、それゆえに我々は救われる、とマーロウというまぎれもない一人の植民者が20世紀初頭に高らかに語っていることにあらためて気付かされた。
「我々」の論理に、観念に、植民地に生きるすべての者が巻き込まれる。
いまも、帝国主義的な力は常に「不可視化」されつづけている。
文学だけではなく、さまざまな表象の場において。
小さな部分を読み逃さずに、問題をきちんと抉り出すような読み方をしなければ。 -
2003年。「物語こそ議論のかなめであり、わたしの基本的な観点とは、探検家や小説家が世界の未知な領域について語ることの核心には、物語がひそむこと、また物語は、植民地化された人びとが、みずからのアイデンティティとみずからの歴史の存在を主張するときに使う手段ともなるということである。p.3」
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サイードの専門分野である文学がいかに帝国主義と表裏一体の関係にあったのか、
帝国主義的思想が西洋思想を支配し、
現在にも受け継がれているのかが記されています。
我々もそれから逃れられているだろうか。