独り居の日記

  • みすず書房
3.85
  • (16)
  • (16)
  • (19)
  • (1)
  • (1)
本棚登録 : 234
感想 : 19
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (275ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784622045458

作品紹介・あらすじ

1960年代の後半、はじめて自分の小説のなかで同性愛を表白したサートンは、大学の職を追われ、予定されていた本の出版も中止され、折しも愛の関係の降下と父親の死の直後で、失意の底にあった。やがて彼女は、世間の思惑を忘れ、ひたすら自分の内部を見つめることで新しい出発をしようと決意して、まったく未知の片田舎で生活をはじめる。本書は、その頃の一年間の日記である。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 「夢見つつ深く植えよ」より、サートンの苦悩や抑鬱、怒り、同性の恋人との個人的な関係、世俗的な物事への関心が多く書かれていて、特にその負の感情の部分が良かった。この「独り居の日記」があることで「夢見つつ深く植えよ」もより陰影を強めて深まる気がする。

    「夜と霧」で「誇りをもって苦しみ、死ぬことに目覚めて」ゆくべきだという話があったけれども、サートンはまさにその苦しみの只中に入り、正しい苦しみとの向き合い方を探しているのだと思った。
    「けれど、どんなに辛かろうと、その嵐は真実をたくわえているかもしれない。時には気持ちのふさぎにただ耐えて、それが明るみに出すもの、要求するものを見つめるほかない。」
    苦しいことが、鬱が怒りが問題なのではない。むしろその中に独り留まって見つめることが必要なのであって、そこから「創造の種子」が、「人間であるとは何か」への内察が生まれる。

    自然と動物たち、光への愛情、愚痴。終わりのない日常と人との交流に耐えられない精神。ほとんど独りでその全てと取っ組み合っている姿をむき出しにさらす姿勢を尊敬する。
    「もし私たちが人間の条件を理解しようとするなら……私たちはたがいについて知りうるかぎりのことを知らなくてはならないし、裸で歩くこともあえてしなくてはならない。」
    同性愛を告白することで大学の職を追われながらも、他人との付き合いに繊細な精神をすり減らしながらも、自らをさらすことを決してやめなかったその覚悟。

    「私には考える時間がある。それこそ大きな、いや最大のぜいたくというものだ。私には存在する時間がある。だから私には巨大な責任がある。私に残された生が何年であろうと、時間を上手に使い、力のかぎりをつくして生きることだ。それは私を不安にさせはしない。不安は、私が知りもせず知るすべもない多くの人々の生活と、アンテナかなにかでつながっているという自分の生活の感覚を失ったときに起こるのだ。それを知らせる信号は、常時行きかっている。」

    彼女の精神に根を張った美しい、高潔な大木。その言葉に何回も胸を打たれた。きっとまた何回も読む。最近、世界と「アンテナかなにかでつながっている」感覚が無くなってとても不安定だったけれど、信号はたくさんある、大丈夫、と思えた。自分を含めた全てのものとこんな風に戦った人がいたのだ。しかもその戦いをこうして素晴らしい文章で私たちに見せてくれている。教えてくれている。
    そのことが私にはとてもうれしい。

  • 58歳(当時)の著者が田舎町で暮らした1年間のこの日記には、筆者の見る情景の美しさと共に、付き合っていた友人や恋人との関係や著者批評をめぐる苦悩や怒り(時には社会に関するものの)が平等に書かれている。ごくごく個人の日記だからこそ書けるのだろうけど、美しいことや感動したことだけでなく、悲しみや怒りもその人の考えである。このSNSの時代、とかく怒りを出さない文を書いた方がいいのかもしれないが、怒りも悲しみも自分を構成するのなら、感情を素直に書くことで自分を慰めることができるのかもしれない。何より歳を経ても感情を出せることが「孤独」と向き合い前向きに生きていく力になれるのだろう。

  • 『フィールド・オブ・イノセンス』より「この本の訳文の端正さには感服した」。翻訳は武田尚子。

  • 「孤独」ってネガティブじゃないんだよね、と改めて。「孤独死」という言葉すらイメージかわる。

  • 新装版が出されたが、古本屋で見つけたのでこちらで。
    孤独は、けっしてマイナスでも悲観するものでもない、詩作を生業とするような著者にとっては、特に。
    一方で、独りでいること、特有の苦しみがある。それも含めて、独りでいることの価値があるのだ。自由であると同時に、それ以外のものを疎ましく思い、考える時間が多すぎる。

  • (当時)60歳のアメリカ女性詩人、メイ・サートンの日記である。彼女は、孤独と向き合うために、ロバ・羊・オウム・猫を友として、アメリカの片田舎で、一暮らしをし、庭造りに精を出し、花を愛で、四季を味わい、訪問してくる友人らとのひとときと大事にした。こういうと、人生の黄昏における達観した老女(?)の枯れた日記を想像するかもしれない。しかし、彼女は、人一倍、愛憎が強く、進行形で恋愛(レズビアンでもある)をし、芸術に対するどん欲さ(名誉欲)、パートナーとの関係を破壊するほどの癇癪を持ちあわせる、激情家なのであって、日記の上でも、それを隠そうともしない。それにもかかわらず、静謐な、透明感を持った日記となりえているのが、この本の素晴らしさである。

  • 同性愛を表白したために大学の職を追われるなど様々な失望の後に、独り田舎暮らしを始めたサートンの日記。
    植物を、自然を、猫を愛したサートンの、孤独と向き合うさまは、哲学的で唸ることしばし。涙に溺れることなく、かと言って強がっているようでもなく、かっこいいと思う。 何かを捨てることで成長する‥‥だっけ?ーーー納得。

    すがりつこうとするほど、愛を殺す確実な道はない。ぎゅっとしめつけられるのを厭がる子猫か、固く握られた手の中でしぼんでしまう花のようなものだ。41ページ
    訳者のあとがきも良い。
    たとえ私の創造の力が衰えても 孤独は私を支えてくれるでしょう 孤独に向かって生きてゆくことは 終わりに向かって 生きてゆくことなのですから

  • 原書を読む補足に読んだ。なんだかとても哲学的な文章の日記。文体の静かな佇まいがとても高尚なカンジ。
    翻訳がじつに上手くて、この日記自体が散文詩のよう。

  • Amazon、¥664.

  • 人との関係に疲れると、ああ誰とも関わらず独りっきりで暮らしたい!などと思うものですが、実は自分とだけ向き合って暮らすことのほうがしんどい。
    自分自身と向き合い、自分をいなし、何もあきらめず意味を捨てず、過剰に打ちひしがれることなく、誇り高く。
    …難しい。

全19件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

(May Sarton)
1912-1995。ベルギーに生まれる。4歳のとき父母とともにアメリカに亡命、マサチューセッツ州ケンブリッジで成人する。一時劇団を主宰するが、最初の詩集(1937)の出版以降、著述に専念。小説家・詩人・エッセイスト。日記、自伝的エッセイも多い。邦訳書『独り居の日記』(1991)『ミセス・スティーヴンズは人魚の歌を聞く』(1993)『今かくあれども』(1995)『夢見つつ深く植えよ』(1996)『猫の紳士の物語』(1996)『私は不死鳥を見た』(1998)『総決算のとき』(1998)『海辺の家』(1999)『一日一日が旅だから』(2001)『回復まで』(2002)『82歳の日記』(2004)『70歳の日記』(2016)『74歳の日記』(2019、いずれもみすず書房)。
*ここに掲載する略歴は本書刊行時のものです。

「2023年 『終盤戦 79歳の日記』 で使われていた紹介文から引用しています。」

メイ・サートンの作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
デールカーネギ...
ポール・オースタ...
ポール・オースタ...
メイ サートン
メイ サートン
ジュンパ ラヒリ
リチャード ブロ...
メイ サートン
ポール オースタ...
村上 春樹
メイ サートン
有効な右矢印 無効な右矢印
  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×