- Amazon.co.jp ・本 (275ページ)
- / ISBN・EAN: 9784622045458
作品紹介・あらすじ
1960年代の後半、はじめて自分の小説のなかで同性愛を表白したサートンは、大学の職を追われ、予定されていた本の出版も中止され、折しも愛の関係の降下と父親の死の直後で、失意の底にあった。やがて彼女は、世間の思惑を忘れ、ひたすら自分の内部を見つめることで新しい出発をしようと決意して、まったく未知の片田舎で生活をはじめる。本書は、その頃の一年間の日記である。
感想・レビュー・書評
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58歳(当時)の著者が田舎町で暮らした1年間のこの日記には、筆者の見る情景の美しさと共に、付き合っていた友人や恋人との関係や著者批評をめぐる苦悩や怒り(時には社会に関するものの)が平等に書かれている。ごくごく個人の日記だからこそ書けるのだろうけど、美しいことや感動したことだけでなく、悲しみや怒りもその人の考えである。このSNSの時代、とかく怒りを出さない文を書いた方がいいのかもしれないが、怒りも悲しみも自分を構成するのなら、感情を素直に書くことで自分を慰めることができるのかもしれない。何より歳を経ても感情を出せることが「孤独」と向き合い前向きに生きていく力になれるのだろう。
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『フィールド・オブ・イノセンス』より「この本の訳文の端正さには感服した」。翻訳は武田尚子。
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「孤独」ってネガティブじゃないんだよね、と改めて。「孤独死」という言葉すらイメージかわる。
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新装版が出されたが、古本屋で見つけたのでこちらで。
孤独は、けっしてマイナスでも悲観するものでもない、詩作を生業とするような著者にとっては、特に。
一方で、独りでいること、特有の苦しみがある。それも含めて、独りでいることの価値があるのだ。自由であると同時に、それ以外のものを疎ましく思い、考える時間が多すぎる。 -
(当時)60歳のアメリカ女性詩人、メイ・サートンの日記である。彼女は、孤独と向き合うために、ロバ・羊・オウム・猫を友として、アメリカの片田舎で、一暮らしをし、庭造りに精を出し、花を愛で、四季を味わい、訪問してくる友人らとのひとときと大事にした。こういうと、人生の黄昏における達観した老女(?)の枯れた日記を想像するかもしれない。しかし、彼女は、人一倍、愛憎が強く、進行形で恋愛(レズビアンでもある)をし、芸術に対するどん欲さ(名誉欲)、パートナーとの関係を破壊するほどの癇癪を持ちあわせる、激情家なのであって、日記の上でも、それを隠そうともしない。それにもかかわらず、静謐な、透明感を持った日記となりえているのが、この本の素晴らしさである。
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同性愛を表白したために大学の職を追われるなど様々な失望の後に、独り田舎暮らしを始めたサートンの日記。
植物を、自然を、猫を愛したサートンの、孤独と向き合うさまは、哲学的で唸ることしばし。涙に溺れることなく、かと言って強がっているようでもなく、かっこいいと思う。 何かを捨てることで成長する‥‥だっけ?ーーー納得。
すがりつこうとするほど、愛を殺す確実な道はない。ぎゅっとしめつけられるのを厭がる子猫か、固く握られた手の中でしぼんでしまう花のようなものだ。41ページ
訳者のあとがきも良い。
たとえ私の創造の力が衰えても 孤独は私を支えてくれるでしょう 孤独に向かって生きてゆくことは 終わりに向かって 生きてゆくことなのですから -
原書を読む補足に読んだ。なんだかとても哲学的な文章の日記。文体の静かな佇まいがとても高尚なカンジ。
翻訳がじつに上手くて、この日記自体が散文詩のよう。 -
Amazon、¥664.
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人との関係に疲れると、ああ誰とも関わらず独りっきりで暮らしたい!などと思うものですが、実は自分とだけ向き合って暮らすことのほうがしんどい。
自分自身と向き合い、自分をいなし、何もあきらめず意味を捨てず、過剰に打ちひしがれることなく、誇り高く。
…難しい。