私は不死鳥を見た

  • みすず書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784622046530

作品紹介・あらすじ

生地ベルギーの田舎家から、一家で亡命して最終地アメリカへ。女優になり、劇団を主宰し、挫折して自己を発見する、多感な青春の回想。充実した40代の作品。

感想・レビュー・書評

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  • 【私は不死鳥を見た/メイ・サートン】

    「詩人は真実への崇拝から出発するのですから。」

    彼女の父母のベルギー時代のなんと美しくロマンチックなこと。交わされる書簡から当時の情熱と純真さが薫り、その熱狂と無垢な青春のロマンに陶酔する。そして訪れる第一次世界大戦。イギリスへ亡命し、一時帰国したときのようすをも語ってくれる「ウォンデルヘムの田舎家」は、わたしにとって生涯でも記憶にのこる哀愁と郷愁の充溢した素晴らしい章だった(あぁ、、!)。そしてついに渡米へと、云々。そうしてこの本が、オールタイム・ベストな1冊となったのは必然だった。それはわたしが彼女をとても好きだからかもしれないけれど。
    オープンエアースクール(シェイディ・ヒル)の教育方法のすばらしさには目をみはる。日本でも多様性がひろくうたわれるようになってはいるが、果たして、子どもたちの教育はどうなっているのだろうか。うわべだけで海外から獲た流行りをねじ曲げて叫び、実情もまったく伴わない、というのが日本の常だから。
    彼女が舞台女優を目指したシヴィック・レパートリー劇団の日々もすてきだった。彼女はここでもどこまでも俯瞰して見、そしてただしく物事を吸収しているようにみえた。ここにもあった、"濱口メソッド" !! (有名な稽古法だった?)
    あぁ、、!! 「パリの冬」の章もすばらしかった。行ったこともない地だけれど、その青春の煌めきの放つ幽香をめいっぱいすいこむ。動物園で暮らすなんて夢みたい(あのにおいもふくめて)な想い出を追いかけ、そしてそしてついにヴァージニア・ウルフとのお茶会、、!!
    このうえない恍惚をもたらしたこの馥郁たる書物のおわり、「イギリスの春」もまた、さびしさをにじませながら別れを告げる。

    彼女の母はたったの7歳で、"現実に直面できる人間、それも完全な勇気をもって、彼女なりに現実と対決できる人間になっていた" 。彼女の父は、彼女の母の癇癪をその膝のうえでなだめた。彼女自身に発作がおきたとき、両親は着衣状態のまま彼女をぬるま湯につけた。わたしの両親は、わたしを風呂場へとひきずってゆき、たらいにためた冷たい水をわたしの頭からかけた。泣き止むまで、何度も。心臓が止まったりするまで、泣きやむわけなんてないのに。わたしが両親の癇癪とじぶんの癇癪を認知したのはだいぶ大人になってからだった。そのころの怒りと哀しみはもう箱にしまわれ、いまならそれを(両親とともに)抱きしめることができるようになってきた。
    彼女の人生の旅路(文字どおり旅であったわけだけれど)を辿っていて、最終的に彼女がじぶんの家をもった、という真意をわたしは反芻する。わたしはまだまだ、 旅 の途中。不死鳥はいまだ、その炎のなかに。
    「I knew a phoenix in my youth, So, let them have their day. 」Yeats





    「当時人々はいまだ、戦争を、19世紀がもたらした進歩のためにもはや不可能になった時代錯誤とか中世的な狂気だなどと考えることができたのである。人々は平和を前提に人生を設計した。」

    「なぜならアメリカでは、学生が作品を深くみずから感じとる以前に、作品を分析することが流行になっているからだ。それは、最悪の場合は、天才芸術家の純真さや欠点にたいして、若者たちにいくらか独善的な優越感を抱かせかねない方法だろう。」

    「おそらくこれは私の真の教育のはじまりだった。それは、想像力をあそばせながら現実の見本に即して人間を理解し、愛によって学ぶという教育だった。」

    「キャサリン・テイラーは、詩のエッセンスは自制にあり、自己耽溺にはないことを教えてくれた。」

    「私たちの出てきたシェイディ・ヒルでは思想を吟味し、何ひとつうのみにせず、多くの質問をし、問いかける心の尊厳、つまり人類の聖なる運命を私たちが実際に体現していることを考慮するようにと教えられた。」

    「事実、俳優は自身の魂をコミュニケートするのであり、そのためには、コミュニケートできる魂をもっていなくてはならない。」

    「すべてが終わったとき、私はもはや内気でぎこちない、演劇に恋をし、楽屋に突進したロマンチックな少女ではなくなっていた。自分自身になりはじめ、その自分がだれで何であるかを知りはじめていた。そしてその意味で、私の教育は終わった。しかしほかのほとんどすべての領域では、それはほんのはじまりにすぎなかった。」

  • メイ・サートンの両親の話から始まって、幼少期、自主創造性を重んじた学校での生活、演劇に没頭した若い日々、作家としてのスタート……と語られる。訳者あとがきでもそのように書かれているが、後年の内省的な生活とは違う、情熱に満ちた活動的な姿に驚かされた。
    イギリスでの生活でようやく後につながるような、孤独に見いだされる幸福、光と平和について触れられていて、劇団の破綻を含めここに至るまでに彼女が経験したことが豊かな腐葉土になって芽吹きがあったのだなと思った。
    登場する人物やエピソードのみな生き生きしていることと言ったらすごかった。ティティの愛情、パリの質屋での問答、動物園の中で暮らしたことなど、面白い!

    一番好きな章は「追憶の緑野」で、母メイベルのモリーおばさんとの確執、そして共闘のお話。ひとつ屋根の下の宿敵とも言えるモリーの、彼女自身にもコントロールできない癇癪と虐待、猫に見せた不器用な優しさ。DVする人がよくやるやつじゃん、と言えばそれまでなんだけど、本人でもそれはどうにもならない、というのが現実。
    モリーはたぶん一貫してメイベルが嫌いだったし、メイベルもモリーを痛ましいとは思ったが許しも同情もしなかったろう。それでも、メイベルは彼女のあり方を受け入れることにして医者からかばったのだ。同じ癇癪持ちとして、心の地獄の窯を共有しているという意識はあったろうけど。
    モリーとのことを含めても、メイベルはその家での暮らしを幸福な思い出として大切に心にしまっていた。その人の許されないほど不完全なありようをまるごと受け入れるというのは、正しくないがゆえに、あまりに尊い。
    「少女はすでに、彼女が成長してゆくべき、現実に直面できる人間、それも完全な勇気をもって、彼女なりに現実と対決できる人間になっていたために、そのことを理解していたのだった」とメイ・サートンは結んでいるけれど、確かにこれは現実の話だ。現実、現実、現実。目の覚めるような改心もない、和解もない、モリーの行いははっきり正されることはなく、やってきた医者は追い返される。他ならぬメイベルがそれを選択し、(おおむね)幸福に暮らしたということ。心に残る話だった。

  • メイ・サートンの回顧録。『ウォンデルヘムの田舎家』は映画を見ているかのような劇的な話だった。若い頃の、演劇に対する熱量と行動力には圧倒される。わずかな間滞在していたらしいパリ、イギリスの情景をみずみずしい感性で書かれた文から想像し、まるで自分がサートンの隣にいて出来事を見ているかのような気持ちになった。

  • メイ・サートンの25歳までの回想録。

    演劇に魅了され、女優になることを夢見て
    情熱を傾けるメイさんに、
    あまり自己表現を得意としない私は
    憧れはもちろんあるけれど、
    大きな隔たりを感じてしまった。

    女優になることを両親は反対するのだけれど、
    それはその夢がメイさんの為にならないのではないか?
    と、娘の幸せを考える親心から、

    でもいつしか頑張れと背中を押して応援してくれるところ、
    とても物静かな感じだけれどしみじみと嬉しかった。

    また、特別な教育方法の学校へ通うところが
    とても興味深かった。

    また、厳しくも優しい先生にエイプリールフールに
    いたずらするエピソードは
    皆の大笑いが聞こえてくるようで
    とても楽しかった。

    メイさん自身は劇団の経営には行き詰まり、
    挫折を味わうけれど
    作家としての才能を発揮していくようになる。

    すごく感情豊かな女性と言う印象を受けるんだけど、
    筆致が落ち着いていて、
    だから余計に心に沁み込んでくる気がした。

  • 冒頭の作者の詩がすごくよかった。

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著者プロフィール

(May Sarton)
1912-1995。ベルギーに生まれる。4歳のとき父母とともにアメリカに亡命、マサチューセッツ州ケンブリッジで成人する。一時劇団を主宰するが、最初の詩集(1937)の出版以降、著述に専念。小説家・詩人・エッセイスト。日記、自伝的エッセイも多い。邦訳書『独り居の日記』(1991)『ミセス・スティーヴンズは人魚の歌を聞く』(1993)『今かくあれども』(1995)『夢見つつ深く植えよ』(1996)『猫の紳士の物語』(1996)『私は不死鳥を見た』(1998)『総決算のとき』(1998)『海辺の家』(1999)『一日一日が旅だから』(2001)『回復まで』(2002)『82歳の日記』(2004)『70歳の日記』(2016)『74歳の日記』(2019、いずれもみすず書房)。
*ここに掲載する略歴は本書刊行時のものです。

「2023年 『終盤戦 79歳の日記』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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