- Amazon.co.jp ・本 (88ページ)
- / ISBN・EAN: 9784622047155
感想・レビュー・書評
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真夜中の、時が今日から明日へ一歩踏み出したとき、または今日が昨日に変わった瞬間に、あたたかい飲み物ともに手に取りたい1冊の詩集。
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「いま、ここに在ること」「マイ・オールドメン」「一日の終わりの詩」という3章からなる、詩人・長田弘(おさだひろし)さんによる詩集です。
表紙とタイトルだけ見ると、70年代の画家による絵画集のようにも見えます。
そんな昭和感もある表紙でありながら、なかの詩たちはまさに「いま」を感じられるものが多かったです。
「マイ・オールドメン」の章は、正直、内容が難しい詩だな、と思うものばかりだったものの、「いま、ここに在ること」「一日の終わりの詩」は、「あ、この“感覚”、なんだかじんわりするな、好きだな」と思う詩でした。
言葉にしなければ思いは人には伝わらないけれど、その言葉を生むためには、自分の思いや感じる力がなくてはいけません。
思いや感じる力があり、それを伝えたくて考えた末に言葉ができたのではないか、と思います。
この詩集には、「感じるための言葉」があふれています。
真夜中の、時が今日から明日へ一歩踏み出したとき、または今日が昨日に変わった瞬間に、あたたかい飲み物ともに手に取りたい。
そして、自分のなかにあふれる想いや言葉を、じんわりと自分に溶かしこみながら読みたい、そんな1冊です。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
なんだか詩を読んでいることが恥ずかしいかなと今まで思っていたけれど、初めて買ってもらった詩集がこの本でよかった。
問題集の中に出てきた、言葉、という詩に惹かれた。今まで心に積んできた気持ちが初めて名前をつけてもらった気がして、心を動かされた。 -
長田弘さんの詩は、陽だまりのようだなと思う。冬の晴れた日、冷たいけれど澄んだ空気の中で浴びる、あたたかなひかり。表と裏が決して離れることのできない存在であるように、正しさと間違い、真実と嘘もそうなのであって、冷たさとあたたかさを共有する彼の詩もまたそうなのだと思う。
その相反を、受け入れるでも、抗うでもなく、ただそこに在ると知る。 -
よろこびを書こうとして、かなしみを発見する。かなしみを書こうとして、よろこびを発見する。詩とよばれるのは、書くということの、そのような反作用に、本質的にささえられていることばなのだと思う。
人生ということばが、切実なことばとして感受されるようになって思い知ったことは、瞬間でもない、永劫でもない、過去でもない、一日がひとの人生をきざむもっとも大切な時の単位だ、ということだった。
一日を生きるのに、詩はこれからも必要なことばでありうるだろうか。
(長田弘『一日の終わりの詩集』2000年)
「愛する」(いま、ここに在ること)
「鴎外とサフラン」(マイ・オールドメン)
「午後の透明さについて」(一日の終わりの詩集)
「新聞を読む人」(同)
「意味と無意味」(同) -
一つの言葉から放たれる、ひっそりとしながらも芯の太い穏やかな灯りに、一人自問自答しながら読み進める。本作は確認作業に似ている。一日の、一年の、あるいは今までの自分の生に対する確認。どうしても流れがちな日々の暮らしの中へ投入される問いかけ。
「一人の私は何でできているか?」
「ひとの一日はどんな時間でできているか?」
「一人の言葉は何でできているか?」
「一人の魂はどんな言葉でつくられているか?」
私は答えに躓く。 -
長田弘さんの言葉は全て美しい…
どの題の詩だったか、激情は言葉を美しくしない…といった事が書かれていて納得。
思ってる以上の事、口走っちゃうことあるんだよなぁ。
静かに1人で読みたい本。
長田弘さんは言葉にしたら色が褪せてしまうものをとても大切にしている。
それが伝わってくるから、そういう感覚を読んでて思い出して落ち着いたいい気持ちになる。
おばあちゃんになって、色んな感情を持ったらもっともっとしみじみ感じられるような気がする。
そんな温かい詩でした。