小沼丹 小さな手袋/珈琲挽き 大人の本棚

著者 :
制作 : 庄野 潤三 
  • みすず書房
3.54
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本棚登録 : 109
感想 : 17
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  • Amazon.co.jp ・本 (280ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784622048251

感想・レビュー・書評

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  • 古書店で古雑誌をめくっていたら、ごく短い小説が掲載されていて、その場で読み始めたら引き込まれ、最後まで読んでしまった。それが小沼丹というかわった名前の小説家との出会い。

    本書は氏とも交流があった庄野潤三が編んだエッセイ集。猿のこと、庭にくる鳥のこと、ドジョウに、つくしに、知人のこと、庄野潤三のこと、師匠の井伏鱒二のこと。

    短いながら、小説と同じく飄々として軽く、戦後の焼け跡の描写でさえどこかユーモラスで、人の死だってけっして重くは書かない。けれども本書では、ほんとうに多くの死者について言及される。さんざんちょっと可笑しみのある話をしておいて、最後に、その人はもう死んだ、と告げられる。

    と、こちらはなにか、この世とあの世とのあいだに宙づりにされたような落ち着かない心地にさせられる。
    そうそう、小沼氏が庭に置いていたという、もらいものの地蔵。マイ地蔵。このどことなく据わりの悪い様子が、彼のエッセイのまとっている感じをよく表しているように思う。そう、どこまで本気なのかわからないという。

    動植物に関するエッセイが特に好きだが、その延長上に人間もいて、ひとつはそこにユーモアの源泉がある。
    彼の描く人間はよく、ちぐはぐで一貫性がないのだが、冷めた口調をしながらも、そうした理屈の通らなさに対するまなざしがとても優しいのだ。

  • 小沼丹はたくさんの幽霊を連れている人。「幽霊にいちばん似ているのは想い出ではないか」と言った人がいたけれど、読後に「その通りだ」とわたしは頷いた。個人的で、主観的で、決して他者とは共有できないのに、誰もが知っているような顔をしている。遠い過去のぼやけた視界は、突如として鮮明になる。今はここにいないものたちが、自分の裡に消えない痕跡を残していったことに気づくとき、温かく安らかな気持ちに包まれる。滅びゆくものと、生き続けるもの。終わるものと、また巡ってくるもの。出会いと別れのきらめきは、確かにそこに在ったもの。

  • 庄野潤三編ということで、初めて小沼丹の作品を読む。
    日常の一コマを柔らかく切り取る作風は、たしかに近い。挟まれるユーモアもいい。
    昭和のある時代、いまや文豪とも言われる人たちのささやかな一コマ。
    いい。

  • 知人からの紹介で、著者を知った。
    淡々とした文章なのだが、不思議と読者を引き込む魅力を感じた。

    「長距離電話」は、その中で秀逸。
    要約すれば「間違い電話をかけたが、思いのほか会話が成立した」話となる。
    それを、小沼丹に書かせるとこうなるのだ。
    面白い。

    導入がさりげなく、話は思わぬ方向に転がり、意外な結末を迎える。
    これが、文才というものかと納得させられた。

  • 朴訥とした語り口で、時間はかかったけど楽しく読めた。いつも酔っ払っては財布や帽子を忘れてかわいらしい。

  • この本には小沼さんの生前最後に出た随筆集『珈琲挽き』からの46篇に、最初の随筆集『小さな手袋』から選ばれた15篇が加えられて収められている。

    選者が庄野潤三さんだから、(2)**の小鳥や草花のことをメインにしたエッセイは、少し庄野さんに似ていると思った。
    ちょうど少し前に庄野さんの『うさぎのミミリー』を読んだせいもあって、そう思った。
    庄野さんと小沼さんは友達で、どちらのエッセイにも互いのことがよく出てくる。

    ふたりとも小鳥や草花を愛おしんでいるのは同じだけれど、私は、庄野さんより小沼さんの方が男っぽくて子供っぽくて好きだ。


    (1)*を読んでいる時、あーいいなぁ、いい感じだなぁ、そういう心地で読んだ。
    草の上に座ってぽかぽかした陽射しを浴びているような、美しい月夜に木々に囲まれて露天風呂にのんびり浸かっているような、ほっとしてほんわかした心地になる。

    そして、ふと、幼い頃の自分や住んでいた家や祖父母を思い出した。
    畳や木の床、でこぼこした柱、襖に障子、小さな庭、そういうのがとても懐かしくなった。
    ずっと一緒に住んでいた、もう亡くなった祖父母のことを思った。
    畳に布団を敷いて、祖母に日本昔話を読み聞かせてもらって寝たことや、毎晩呑む祖父の徳利とお猪口や、ごつごつして皺だらけの手やその手が私にいつも添えられていたことや、イナゴの佃煮や野蒜や土筆を食べるという関東平野の田舎の風習まで、昔の思い出がひどく懐かしく思い出された。


    (3)***は小沼さんに縁のある人たちにまつわるエッセイで、これも良かった。
    『町の踊り場』という徳田秋声についてのエッセイの中で、
     " 昔読んで感心した作品と云ふのは幾つもある。しかし、暫く経つて読み返してみると案外面白くない。こんな筈ではなかつたと云ふ場合も尠くない。秋声の作品は、どうもその逆ではないかと思はれる。最初読んで格別の感銘は無い。しかし、時が経つて二度三度と読むと次第に味が出て来る。殊に晩年の短篇にはそんな所があるやうに思ふが、これは読む方の年のせゐなのかしらん? "
    と、あって、そうだよなと思った。
    年齢を重ねて読むものが変わったり良いと思うものが変わったりする。

    だから、小沼さんのこの本も、ようやく草木などに興味を持ち、のんびりとした田舎暮らしに憧れるようになった年齢だからいいなぁと思うのかも知れない。若い人には退屈な本かも知れない。

    色々なことを経験してきて、尖った感情というものが擦り減って割合に静かな心持ちになってきたから、じんわり心に沁み入るのだろうと思う。

  • これは何回も読んでいるお気に入りなので本棚に置いておきたかったのです。

  • 庭の生き物、散歩、お酒にまつわる話の随筆集。ふと思い出したことをしばし心に浮かべて、またそっとしまいこむ、というスタイルで語られるエピソードは、灰色がかった、でも明るい淡色の水彩画のようだ。

    登場する片仮名アイテム(コロー、チェーホフ、ストリンドベリなどなど)が印象的。そして大正生まれにしてはいつまでもちゃめっ気がある(ふと思いついてやってみることが無茶)。小沼丹に沁みこんでいる記憶と時間を、そっと覗かせてもらうような気持がする。

    何度読んでも最後が可笑しい「コタロオとコジロオ」、亡き人とのふれあいが独特な「焚火の中の顔」がとくに良かった。いつもの井伏さんをネタにした小話も複数収録。

  • 小沼丹の第一印象は「?」だったが、これを読んでイメージが変った。
    「小さな手袋」。しっとりと落ち着いている。劇中のバーに自分もいる様な錯覚を起こす。
    もう一遍気に入ったのは「地蔵さん」。時間の流れが止まった様な気がした。

  • 小沼丹のファン。大人の本棚シリーズは良い企画だと思う。

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著者プロフィール

小沼丹
一九一八年、東京生まれ。四二年、早稲田大学を繰り上げ卒業。井伏鱒二に師事。高校教員を経て、五八年より早稲田大学英文科教授。七〇年、『懐中時計』で読売文学賞、七五年、『椋鳥日記』で平林たい子文学賞を受賞。八九年、日本芸術院会員となる。海外文学の素養と私小説の伝統を兼ね備えた、洒脱でユーモラスな筆致で読者を得る。九六年、肺炎により死去。没後に復刊された『黒いハンカチ』は日常的な謎を扱う連作ミステリの先駆けとして再評価を受けた。その他の著作に『村のエトランジェ』『小さな手袋』『珈琲挽き』『黒と白の猫』などがある。

「2022年 『小沼丹推理短篇集 古い画の家』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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