回復まで

  • みすず書房
4.08
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  • Amazon.co.jp ・本 (304ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784622048640

作品紹介・あらすじ

66歳の1年間(1978‐79)は、サートンにはつらい年だった。パートナーとの別離、小説『総決算の時』への悪意ある酷評、乳がんの手術、ふっきれない鬱状態。しかし、「惜しみなく与える」友人たちがいて、小さな命にみちた静謐な自然があり、読書と、愛読者たちの手紙に支えられて、彼女は「あるがままの自分」を受け入れることを学ぶ。そして孤独を深めながら、ゆっくりと回復していく。『独り居の日記』『海辺の家』につづくこの3冊目の日記は、著者みずからが生前、邦訳を希望した一冊だ。

感想・レビュー・書評

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  • 「自分は見捨てられているという感情をいだく人はたくさんいて(わたしたちは早晩孤児になるが)、たいがい不当に人生に罰せられたと思っている。その人たちは、わたしと同様に、先夜わたしが夢に見た無の空間に落ち込むのを守ってくれるような母を、あるいは避難できる岩陰を狂ったように探している。しかし、最後に理解しなければならないのは、わたしたち自身を母のように守り、保護することを学んだときはじめて、どのようなレベルででも他者との交わりができ、神経症的な要求をしなくなるということだろう。ああ、しかしけっして容易なことではない!「距離をおかなければ、親密さは人を癒さない」」

    彼女はまた、日記へと戻ってきてくれた。彼女はとても傷つき、気鬱のただなかにいた。運命についての感覚も信念も、失われてしまっていて。けれどそのさなかにも、彼女は"確固たる意志で自己を律し" ようとしている。陰鬱の海で溺れずに泳ぐ方法を、つかみとろうとしている。 そしてさらりと癌であることをしるし、左の乳房を切除した。癌が怒りを生み出す源だと、肉体的な苦痛が精神的苦痛にとって変わるのだと、そう信じていた彼女だけれど、"怒りと無理解をとおして、わたしという自己を取り戻す、長く苦しい旅が始まる"ことを覚悟し、回復 へと泳ぎはじめる。そして感情について、孤独について、友人との関わりについて、なにより自己について、より深く潜ってゆき、わたしたちにその密やかな景色をみせてくれる(あいもかわらずなんというエネルギー!!)。
    一日一日が豊饒な言葉で満ちている。それは日々を生きぬくためのとくべつな哲学。一般人の相談のような手紙にも長文で真摯にこたえる、なんと慈愛にあふれたひとだろう。どれだけのひとたちが、彼女の言葉に救われたことだろう(もちろんわたしもそのひとり)。彼女が返信のさいに引用した、心にしみわたる彼女の父ジョージ・サートンの日記をここに写したい。
    「人間が暮らしてゆく主たる目的は、その人の内にあるものを他者にあたえることであると思う。それは自己中心的であるとか、ないとかの問題ではない。モーツァルトはおそらく子どもじみたやり方でかなり自己中心的だが、彼の内なるものを世界にあたえた(世界を救うことはできなかった)し、それはなんという贈り物だったろう。
    われわれが手にするのは、何者かである自分自身であり、他者にあたえるものだけだ。つまり、われわれが自分自身でありうるのは、内なるすべてを他者にあたえるという条件があってのことである。」

    そして彼女は言う「混沌状態をたえず整えなおすことが、まさに生きるということだ。」と。
    皿洗いのような日々の事々を片付けるように、感情や思考の内面世界の事々も、放っておかずにひとつひとつ整えてゆく、と。わたしも自分自身への親密な問いかけはこれからはきちんとしてゆきたい。それはすべてのものへの寛容さを深めてくれ、回復 へと誘ってくれるはずだから。
    悲しみと歓びの真なる共有によって開かれる愛 という概念への扉。そしてその扉の先にひらかれている、精神の成長と救済。これは愛すべき友にも伝えたい。
    この本はわたしの生涯でもほんとうに大切な一冊になるとおもう(まいかい言ってる、、)。

    「わたしは不満を言うだろう、けれど称賛する
    わたしは嘆き悲しむだろう、けれど同意する
    そしてすべての苦楽の日々を
    悲しみ、そして愛するだろう」
    ジョージ・ハーバート






    「苦痛から抜け出す唯一の道は、それをじっくり経験すること、つまりそれはなにか、どんな意味があるのか、よく考え、究め、理解することだと思う。」

    「感傷は、それ自体をおとしめる品位のない感情であり、陳腐でなんとない甘ったれへと感情をやせ細らせてしまう、使い古された安易な道。安っぽい衣装に安っぽい言語という感情をまとうこと。それに反してほんとうのやさしさは、わたしちが慈しまれていることを教える── たとえば、たんにおかしな愛称で呼びかけるといったかたちで。やさしさはしばしばユーモアをとおして現れる。」

    「気鬱の底波はまだけっして消えない。無防備な意識の裂け目から、<悪い考え>が忍び入ってくる。」

    「アメリカ人のエトスは、動物への感情表現には寛大なのに、人間への感情表現をしばしば自己検閲しないではおかない。それはなにかを喪失することの恐れなのだろうか?あるいは、感情の表出、とりわけ泣くことはよわさのしるしだという考えからだろうか?」

    「おそらく、ひとはみずからが必要とするものを認める強さをもたなくてはならないのだろう、心から人間的であるために。」

    「おそらくことしは、紙を細かく裂くようにいろんな希望を裂いて、新たな出発をする年なのだ。」

    「これそこ詩がなしうること、耐えがたいものを耐えられるようにし、哀しみを解き放ってくれる。」

    「わたしたちはメディアによって誤ったヴィジョンに惹きつけられ、実際わたしたちがになにが起き、いかにやすやすと欺されたか、それを知ることすらできない。」

    「偶然に起きることから逃げたり、意識下に押し込めようという人は成長を恐れていると思う。本能は、成長を可能にするかもしれない危機にぶつかったときに、「とまれ!わたしは知りたくない、あまりにも苦痛だから」と告げるのだ。」

    「詩の発生ははるか大昔にさかのぼり、舞踊と関係があることを、おそらくをしたちは忘れてしまっている。詩の韻律は、いかに人間のからたが潜在意識のレベルに深くかかわっているかを示す。わたしたちはもう、詩に合わせてダンスをしなくなったし、詩そのものに耳を傾けないけれど、意識の下ではビートがその扉を開く。」

    「深いレベルで結ばれる関係は多くの犠牲をともなうので、めったに存在しない。でも、突発的な怒りは危険で、未然に防がなければならないから、身を引くこと、検閲すること、表面的な平静さを保とうとするなど、代償もまた大きい。」

    「肉体は魂によって満たされ、愛を交わすときにそのことを忘れると、シニシズムや絶望が生まれる。」

    「手術をとして得たひとつの直観は、身体的不自由さは意志の力を呼び出すということ。」

    「わたしは死ぬとき、毎年春になれば種を散らし、それを損失とは数えない木々のように、自分をさらけ出して生きてきたのだと信じたい、それは損失では無く、未来のいのちに加えられることだから。それが木の生きる道だ。力強く根を張り、その宝を風に散らしながら。」

    「ある人にどんな感情をもつかではなく、彼あるいは彼女自身として見ることには、賢さが求められるし、それは愛のはじまりのころの情熱や欲求を超えて真実の愛へと育ちゆく過程の一部なのだと思う。」

    「痛みや辛い体験が相手に完全に理解されていると感じられるとき、自然に笑いは生まれる。理解されていないと感じれば、笑うことはできない。そして怒りがとって替わる。自己憐憫も生まれる。それがわたしにはこわい。」

    「愛を表現できない人は生の流れを止めていて、わがままとか、おのれをさらけ出す恐れ、という検閲のかたちをとって、無意識に自我の実現を抑圧している。」

    「みずからの苦痛を見つめるのに耐えられず、そこでもがいている人はセンチメンタリストであり、その経験を拒んであっさり締め出す人は臆病者だ。」

    「それぞれがまったく異なる環境だけれど、彼女にも、わたしと同様、道は開けていると思う。それぞれが変えにくかったものを受け入れ、流れに逆らう代わりに前へ進むことによって。」

  • 傷を負って、少しずつ光が差し、かと思えば後戻りしてまた絶望する。人が回復するまでにたどる道すじが日記の中で表現されている。固有名詞が多く読み取りづらいところもあったが、それでも普遍的なことは伝わってきた。
    才能があり、たくさんの人たちに囲まれていても、人生の冬は訪れる。いてつく寒さに立ち向かわなければならないとき、今までにその人が経験してきたこと、その人の中に降り積もってきたものが生きてくるように思った。

  • メイ・サートンが66歳から67歳にかけて書いた日記。恋人のジュディの老い、作品への酷評、乳がんなどから精神的に辛い状態から始まる日記は、終わりにかけてだんだんと力強く生命力にあふれる文章になっていく。訳者あとがきにもあるように、乳がんの手術を潔く行なった時期に、過去とも切り離したかのように日々の状況が良くなっていくのがわかった。どんなに忙しくても精神状態が混乱していても、毎日の風景や動物、植物、友人たちに気を配りながら大切にしていることが伝わる。

  • メイ・サートンの66歳から67歳までの日記。たった1年間に愛する家族との別離、乳癌の手術、作品の酷評、鬱状態などに見舞われる。そんな中でメイは友人との交流や、動物・草花との触れ合い、読書などに癒しを得る。だがそれ以上に大きな喜びであったのは、渇きを訴える人々へ自らを差し出す事だったようだ。日記は痛みを持つ人々への真摯な眼差しに満ちており、時に与えすぎて葛藤しながらも、日々の出来事を風のように受け入れ自分を取り戻す姿に深く胸を打たれた。長い旅をしたような読書体験であった。

  • ブックオフ練馬高野台、¥1500.

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著者プロフィール

(May Sarton)
1912-1995。ベルギーに生まれる。4歳のとき父母とともにアメリカに亡命、マサチューセッツ州ケンブリッジで成人する。一時劇団を主宰するが、最初の詩集(1937)の出版以降、著述に専念。小説家・詩人・エッセイスト。日記、自伝的エッセイも多い。邦訳書『独り居の日記』(1991)『ミセス・スティーヴンズは人魚の歌を聞く』(1993)『今かくあれども』(1995)『夢見つつ深く植えよ』(1996)『猫の紳士の物語』(1996)『私は不死鳥を見た』(1998)『総決算のとき』(1998)『海辺の家』(1999)『一日一日が旅だから』(2001)『回復まで』(2002)『82歳の日記』(2004)『70歳の日記』(2016)『74歳の日記』(2019、いずれもみすず書房)。
*ここに掲載する略歴は本書刊行時のものです。

「2023年 『終盤戦 79歳の日記』 で使われていた紹介文から引用しています。」

メイ・サートンの作品

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