関係としての自己

著者 :
  • みすず書房
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感想 : 9
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  • Amazon.co.jp ・本 (312ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784622071440

作品紹介・あらすじ

「私」とは何か。「自己」とは何か。豊富な臨床経験と、生命や存在への透徹した眼差しをとおして、自己という奇妙なあり方の謎に迫る、木村人間学の到達点。

感想・レビュー・書評

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    https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/37838

  •  この本は以前「はみだしの人類学」という本を読んだとき『統合失調症とは「わたしはわたしである」という確信が持てないときに生まれる病気だ』と精神科医の木村敏が著書で書いているとあって、木村敏がどんな本を書いているのか気になったから、図書館で借りた。知人に統合失調症を患っている人がいて、その人がどうしてこの病に罹ったのか知りたかった。
     内容は精神医学だけでなく哲学、言語学にも触れて語られていたためとても難解だったから、読み終えても内容の5割も理解できていないと思う。
     しかし読む価値は十分にあっただろう。とりあえずはこの本で気になった箇所を写して、これからも統合失調症に関する本を読み、知識を蓄えていきたい。

  • 意識に現象しているこの世界は、すべて健全で有用な錯覚から成り立っているのではないか。p5

    関係内在的な自己 p94

    キルケゴール「自己とは関係が関係それ自身と関係するという関係である」p99

    ハイデガーによれば、現存在の特筆すべき特徴は、存在するということを理解しながら存在者と関わる点にあるのだが、こうして存在論的差異を成立させている「差異化しうる」ということ自身の可能性の根源を、現存在はみずからの本質の根拠のうちに確保している。そして存在論的差異のこの根拠のことを、ハイデガーは現存在の「超越」Transzendenzと名づけ、《超越において、現存在ははじめて、みずからそれであるところの存在者に、つまり自己「自身」として現存在に到達する。超越が自己性 Selbstheit を構成する》という。つまりハイデガーにおける基礎的存在論の眼目は、個々の存在者にあるのではないことはもちろん、それらにいわば「通底」する「存在そのもの」にあるのでもなく、この両者を隔てつつ結びついている「差異」そのものに、それも自己の「自己性」を構成する「超越」としての差異そのものにある。p191

    【西田幾多郎「場所的自己同一」】p238
    「自覚ということは自己が自己に於て自己を見るということである。...自己が自己に於てとなることである。すなわち場所そのものとなることである。」(『哲学論文集』1965年、427頁)

    これは要するに、われわれが自己のノエシス的な世界ないし主観と呼んでいるものの根底に、周囲の他者(たち)のノエシス的な世界ないし主観の根底と、反省以前、意識以前、さらにいえば両者の「あいだ」以前の段階で、直接無媒介的に「通底」する場所があることを物語るものではないか。
    この「場所」は、西田幾多郎が「自覚」を《自己が自己に於て自己を見ること》と規定したときの、「自己」が「於てある」場所と同じものであろう。のちに西田は「自己の根底」であるこの場所を、「私」と「汝」という絶対に他なるものを「結合」する共通の場所として「絶対の他」と呼んだ。p250

    自己が個別主体として成立するためには、それはその根底において、西田が「絶対の他」と呼んだ自他未分で非人称の集団主体性に基礎づけられていなくてはならない。特殊人間的な個別的主体性と普遍生物的な集団的主体性との「あいだ」ないし境界に、人間的であるだけでなく生物的でもあるような「差異」としての一人称的自己性が、差し挟まれなくてはならない。ある種の生来的な脆弱性のために、この一人称的「差異」がその十全な実現を阻まれるとき、そこに統合失調症の病理が準備されるのではないか、とわたしは考えている。だから、これはすでに現象学的精神病理学を離れた実証的研究レベルに属するべきことだけれども、人間を含む生物一般がどのような生理的機構によって(おそらく遺伝子レヴェルで)集団としての世界への適応と個体としての世界への適応を調整し、集団の一員である自己主体と単独の個別である自己主体を両立させているのか、その解明が統合失調症の病因論に迫る唯一の道であろうと考えている。p.270

  • 2016年5月新着

  • 精神医学と生命論、哲学が交わる点が見えた。
    よめば読むほど自分が精神分裂症と離人症を併発しているように思えてきて、色々と苦しい本だった。
    病気を病気だと言うこと、それの「解決」に向けて骨を折るほど、その人を「病人」にしてしまうというベイトソンの指摘はしっかりと心に留めてある。

  • 読んだ。

  • 木村敏さんの最新の著作になるのかな?
    あいかわらず敏さんの本はすばらしい。
    たくさんの刺激に満ちているし、ここからいろんな本を訪ね歩くこともできる。
    木村敏さん、精神医学に限らず、日本の思想界でもっと注目されないかな。

  • 敏はえらいです。現象学的な精神分析は非常に好きです。「あいだ」ですね。でも、この本はあんま覚えてないな。結構難しかった気がする。

  • 難解。いや、何回読んでも理解できたとは思えない。

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著者プロフィール

1931年生まれ。京都大学名誉教授。著書に『木村敏著作集』全8巻(弘文堂)、『臨床哲学講義』(創元社)、共訳書にヴァイツゼカー『ゲシュタルトクライス』(みすず書房)ほか。

「2020年 『自然と精神/出会いと決断』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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