狩猟サバイバル

著者 :
  • みすず書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784622075004

作品紹介・あらすじ

「サバイバル登山を通して感じる存在感とは、自分が間違いなく地球の生き物の一種類だと実感する喜びのようなものだ」。自分が食べるものは自分で殺す。ケモノとおなじこの地球の生命体として、自然の掟を前によりフェアに生きるために。著者独自のサバイバル思想と行動につらぬかれた、前代未聞の山岳ノンフィクション。

感想・レビュー・書評

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  • 「サバイバル登山家」服部文祥の存在を知ったのは、今年1月、朝日新聞に載った彼へのインタビュー記事だった。一般的な登山の装備を拒み、テントもコンロも燃料も持たず、わずかな食料だけで冬山に分け入り、あとは自ら鹿を撃ち食いつなぐ、という登山に衝撃を受けた。生命のダイレクトな感触から遠い生活をする私たちに示唆に富む内容ではないかと、彼の著書を取り寄せた。◆自然のシステムの中に入り込む登山をしたいと、リスクを向き合い、できる限りフェアな登山、フェアな狩猟を目指す。一方で、鉄砲を使うことや、無人の小屋に入り込むなど、自分の弱さ、言動の矛盾にも向き合う。Amazon の書評でもそのことが批判の対象になっている。確かに、筆者の自然観、生命観に賛同するかどうかは自由だが、たった一人で鹿を撃ち、ナイフで止めを刺し、解体し、その肉を食べる、という一連の行為を経験し、私たちに伝えることの意義は大きいのではないか。そして何より、登山、狩猟、獲物の解体、といった行為の記述が、私たちに具体的な「手触り」をイメージさせることこそが、この本を読む大きな意義だと思う。たとえば、この部分。「赤とピンクとクリーム色のモザイク模様の内臓から、むっとする生ぐさい湯気が立ち上ってくる。手を入れると、温かいを通り越して熱い。哺乳類を殺したという事実が、五感を通して、のしかかってくる」◆前著に『サバイバル登山家』がある。(K)

    紫雲国語塾通信〈紫のゆかり〉2010年7月号掲載

  • 情景が浮かび楽しく読める

  • 服部文祥さんのサバイバル登山本。
    コンロとかテント持たずに、山で獲れた(採れた)ものだけ食べて山行する。
    ロマンあるし、狩猟興味あるなあ。
    本読んでるだけでなくて、体験しないとね。

  • 2020/04/26

  • 行動の裏付けがあるから説得力を持つというのは否定できまいと思う。

  • 『狩猟サバイバル』は山行中の食料調達を銃による鹿狩りで賄う記録だ。
    夏のサバイバル登山では渓流で岩魚を釣り上げ山行を続けていたが、冬季は岩魚釣りができないので、銃による狩猟を食料調達手段に選んでいる。
    しかし、1週間の山行で鹿を2頭仕留めて携行食料にする思考に付いていけない。自然の中での自身の在り方、狩猟にたどり着いた必然性が書かれており、狩猟についての考え方は理解できるが、1週間の山行で鹿2頭を狩る必然性が理解できない。

    また、山行記の中でしつこいくらいにサバイバル登山とは何か、を主張され、目について仕方ない。こだわりの押し売りのようになっている。著者の初めての登山記、『サバイバル登山家』では、新しい登山の形を見つけ出したキラキラした興奮が読み手に伝わってきていたが、本著ではそれはなくなっている。

    サバイバル登山のスタイルが評価を受けたため、自分自身の中にできた何かを守るために必死で言葉を塗り重ねている印象で、痛々しささえ漂う。

  • 「どちらにせよ、登録費用に加えて、弾代に約1万円、交通費その他の経費などを加算していくとひとシーズンで少なくとも10万円弱の費用がかかることになる。豚肉一〇〇グラム三〇〇円とすれば、三〇キロ強の、一〇〇グラム一〇〇円とすれば一〇〇キロ近くの肉を毎年狩猟経費で買うことができるわけだ。一人の日本人の年間平均肉消費量は四〇キロ弱だという。一日に直すと一〇〇グラム。運よく大物のイノシシを一人で仕留めることができれば、数十キロの肉が手にはいり、元は取れる計算になるが、大イノシシを毎年一人で仕留めるというのは狩猟者としてはかなりのレベルが必要だ。犬や罠などの特殊装備はもちろん、猟場に密着した地域性、ケモノを追って山を走ったり、仕留めた獲物を下ろして解体し、食肉に仕上げる労力もいる。すべてを考えあわせて、肉を得ることだけを考えるなら、もちろん経費分の肉を買ったほうが効率的だ」p.124

    基本的に現代の狩猟は経済システムからは取り残された営為だ。コストもかかるし、安定生産できないので食糧を得る手段としてはリスクが大きい。簡易の職業訓練などでは到底得ることのできない熟練した技能も必要。だから現代の狩猟は食肉を得るためではなく、主に獣害対策の駆除業務として成立する。

    ではなぜ、著者があえて狩猟をするのかというと、工業的に生産される食肉生産によってカロリー/たんぱく質を補充されるシステムへの懐疑と、野生性が削がれていく自分への焦りから。

    その心性は基本的に誰もが持っているものだとは思うが、「鉄砲と米だけ持って山に入り数週間帰ってこない」というような突き抜けのある無鉄砲さ(鉄砲あるけど)は服部文祥ならではで、本作もぐいぐい読ませる。

    一方で「ぼくは猟師になった」「けもの道の歩き方」の著者、千松伸也と服部文祥。同じ時代に狩猟を通して問題提起を行う二人だが、ふたを開けるとアプローチが全然違うのだな、と思った。

    千松さんの方はそもそも動物が好きで、どうせ食うなら自分で手を下したいと思って狩猟を始めるなかで、現代の日本で狩猟を行うことの壁に突き当たって、思考を深めてきたように見える。

    一方服部さんは、完全に「自分の限界」を確かめるために野生動物と相対している。向かっている先はもちろん自然なのだけれども、求めているのは狩猟によってはじめて見出される“他者の命をいただいて生きることを意識する”自分の写像だろう。思考のベクトルが最終的に内に向かっている。

    「私は体験を通してしか、生きることも殺すことも理解できない。それゆえ山に登り、ケモノを撃つ。鹿が死体になって目の前に転がっている事実から、その下手人である自分を強く意識する。私は鹿を殺すことで、自分の存在を確かめているのだ」p.264

    手法もそれぞれ罠猟/銃猟とで異なっているし、千松さんの場合には狩猟は生活の一部になっているが、服部さんにとっての狩猟はテキストにすることを前提にした「チャレンジングな非日常の行為」として描かれている。

    どちらがいい悪いの話ではないけれど、千松さんの本にはより現代社会を「生きる」ことについて考えるヒントがありそうで、服部さんの本にはエンタメ性とぐいぐい読ませる力強さがあって、どちらもおもしろい。個人的には前者に共感するところが大きい。

  • 会社員であり、登山家であり、鉄砲猟師になった著者の経験と想いを綴った本書。今日私たちは、つい昨日まで生きていた豚や牛や鶏を食べているのに、それが”肉”になる過程はどこか違う世界の事のように感じているのではないでしょうか?森の中で自給自足の生活をする彼は、自然の中の一部として、食物連鎖の一員として、「生きる」という事を強く体感しています。飽食の時代、私たちはこの世の全ての食材に感謝をこめて「いただきます(命を)」と言わなければいけないと痛感させてくれる。

  • 狩猟の場面は息づかいが聞こえてきそう。独特の緊張感があります。

    それはさておき、登山する方にとっては、冬季の間ノ岳アタックがかなり面白いですよ。

    雪山シーズンを前にして、雪山の静寂が待ちきれなくなりました。

  • 狩猟にいちいち必要以上の深謀遠慮を見せていて、多少内側で知っている者としては、お箸が転がっても笑ってますなとしか

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著者プロフィール

登山家

「2023年 『ベスト・エッセイ2023』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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