ベルリンに一人死す

  • みすず書房
4.61
  • (14)
  • (9)
  • (0)
  • (0)
  • (0)
本棚登録 : 176
感想 : 19
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (616ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784622077039

作品紹介・あらすじ

死後60年以上たって全世界で再発見されベストセラーとなったドイツ人作家の遺作長編。実話にもとづくこの小説は、息子の戦死を機にヒトラー政権への密かな抵抗を開始した一介の庶民を主人公に、執拗に彼を追うゲシュタポとの息をもつかせぬ闘い、逮捕拘留からギロチン刑に至る人生を、徹底したリアリズムで描き切る。プリモ・レーヴィが「反ナチス文学の最高傑作」と評した話題作を読みやすく力強い翻訳で刊行。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 先日は600年以上を経て発見された日本の古典『とはずがたり』、なんと今回は60年余りを経て完全版が再発見されたハンス・ファラダ(ドイツ*1893~1947)の『ベルリンに一人死す』。
    時空を超えてわたしの手の中にやってきた本にわくわくして読みはじめると、ハラハラどきどき息もつかせないサスペンスに目が離せなくなった。

    ***
    1940年、ナチス政権に染まったベルリン。政権批判をすれば即座に逮捕され、拷問の末に処刑されるという恐怖政治が敷かれていた。ゲシュタポ(秘密国家警察)や密偵だらけの巷で人々は言動に気を配り、息をひそめて暮らしている。
    ある日、木工職人オットーと妻アンナのもとに、一人息子の戦死を告げる一枚の紙が届いた。その日を境に彼らの命がけの抵抗がはじまる。政権を批判する葉書を、ビルや公共の建物に一枚ずつそっと置いて立ち去るのだ。

    本作は1940年に起こった実話(ハンペル夫妻)をモデルにしたものらしく、ものすごくリアルで細部も見事だ。でもそれだけではないことは読み始めるとすぐにわかる。ぐいぐい引きつけるストーリーテラーぶり、軽やかな展開、生きいきとした躍動感、さすがハンス・ファラダの面目躍如といったところ。
     
    そのうえ登場人物のキャラクター構築には、もはや脱帽するしかない。もうこの作品には憎むべき悪人というのはいないのではないか? ひどく残虐で歯噛みしたくなるゲシュタポであろうと、その執拗で小汚い密偵であろうと、女にだらしないギャンブル狂いの輩であろうと、まったくもって憎むことのできない哀愁にまみれた人々。まるで金貸しのクィルプ(『骨董屋』チャールズ・ディケンズ)のようなむごたらしさと切なさ。それはある意味でリアルな人間象でもあり、虚構の文学が真実と交錯する瞬間なのかもしれない。当時の社会状況がいかに人々を蝕んでいたのかが伝わってくる濃厚なリアリズム小説だ。

    『彼らは「こんなことは何でもない。自分たちの身に実害が及ぶはずはない。国家に敵対するようなことは何もしていないのだから」と勝手に思いこんでいた。「考えることは自由だ」と彼らは考えていた。だがこの国では考えることさえも自由でないことを、彼らは知っておくべきだったのだ』

    ふと思い浮かぶのは、徹頭徹尾、全体主義を糾弾した『1984年』の作家ジョージ・オーウェル(1903~1950イギリス)。考えてみれば彼とハンス・ファラダは全体主義がはびこっていた同じ時代を生きていた。もしかしたらオーウェルは完全版ではないにせよ、1946年に出版されたファラダのこの作品を読んだかもしれない!? どうかな?
     
    オーウェルの描いた陰惨な監視社会とディストピア世界の恐怖を地でいくナチスドイツ、ファラダはナチス政権から「好ましくない作家」というレッテルを貼られた。厳しい監視下に置かれ、自由に表現することなどできるはずもなく、考えることさえままならない日々はさぞつらかったのではないかと想像する。ノーベル賞作家トーマス・マンのように他国へ亡命していれば、ファラダの作品はもっと早く、もっと広く世界中に広まり、彼の新たな作品にも出会えたかもしれないな……そんな妄想をしながら残念に思ったりする。

    せめてファラダが残した作品をじっくり味わうことにした。おそらくこれからも時々読むことになるだろう作品をながめていると、ごく普通の人々のリアルな息づかいや温もりを感じることができて泣けてくる。彼らの心の中に蒔かれた「一粒の麦」がしだいに芽を出しはじめる。たとえ踏まれてもきっとまた芽を出すにちがいない、そこに込められたオットーの叫びと、死を予感したイエスの言葉を彷彿させるファラダ自身の想いをみごとに描いている。不思議なことに、読み終えた後は爽快な愛(かな)しみに満たされた。

    この作品を書き終えた数か月後、ファラダは世を去ったらしい。残された命を燃やし尽くしたといっても過言ではない渾身の作品だと思う。そんなファラダと長く険しい道のりを伴走した翻訳も素晴らしい。興味のある方はぜひ手にしてほしいな~。またこの本を薦めてくれた知人にも感謝している♪(2022.12.22)

    「俺はすくなくともまともな人間でいられた。俺は共犯者にはならなかった」
                          (職人オットー)
    ***
    「フィクションは常に、ある種の真実だ」――アリストテレス『詩学』

    • kuma0504さん
      こんばんは、アテナイエさん。メリークリスマス♪

      コレ映画になっています。以下その時の感想。

      「ヒトラーへの285枚の葉書」

      予告を観て...
      こんばんは、アテナイエさん。メリークリスマス♪

      コレ映画になっています。以下その時の感想。

      「ヒトラーへの285枚の葉書」

      予告を観ていたので、大きな驚きはない。原題「Alone in Berlin」私流に訳すると「ベルリンで2人きり」。1番大きな驚きは、ゲシュタポに把握されたカードが、267/285枚だったことだ。1940年から1943年にかけて、93.6%のベルリン市民は、カードを見つけて直ぐに警察に届けたのだ。日本の愛国心教育は知っていたが、ドイツのそれも、愛国心に洗脳があり、監視社会の徹底があったということだ。72年経って、やっとこういう映画が出来るのは、カードを拾った人物が既に死に絶えた事を見越したということなのか。ファシズムをつくった一般市民の罪がやっとこういう形ではあるが、出て来ている。

      まだ遅くない。日本も続けと言いたい。反対に言えば、続かないのは、日本の成熟度がまだドイツに遅れているからだ。

      事実を元に作られているのだろうが、ラストは脚色だと思う。また、いくら巧妙に置いたとしても、2年間も犯人を見つけることができなかったのは何故か。捜査官の見逃しは本当になかったのか?それも疑問だ。

      夫婦2人の演技は素晴らしく、見応えがあった。

      (解説)
      ペンと葉書だけを武器にして
      ヒトラー政権に抵抗した
      ごく平凡な労働者階級の夫婦の驚くべき物語

       戦後70年以上経った今も、第二次世界大戦下におけるナチス・ドイツの恐怖政治を題材にした映画は絶え間なく作られている。製作国もジャンルも切り口も多様なそれらの作品は、それぞれが現代に通じる独自のテーマやメッセージを打ち出し、日本でも幅広い層の映画ファンの興味を引きつけてきた。このたび新たにお目見えするイギリス、フランス、ドイツの3ヵ国合作映画『ヒトラーへの285枚の葉書』は、ナチの非人道的な全体主義に立ち向かった男女を描くヒューマン・ドラマだが、これまでのレジスタンスものとはまったく趣を異にする。主人公は戦時下のベルリンで慎ましい生活を営み、どの組織にも所属していない労働者階級の夫婦。特別な知識や力を何ひとつ持たない一般市民が、ペンと葉書だけを武器にして命がけの抵抗運動に身を投じていく驚くべき物語である。

      戦時下のベルリンの
      緊迫した市民生活を今に伝え、人間の尊厳を問いかける
      ベストセラー小説を映画化

       本作の原作は、ドイツ人作家ハンス・ファラダがゲシュタポの記録文書を基に、わずか4週間で書き上げたと言われる「ベルリンに一人死す」。実在したオットー&エリーゼのハンペル夫妻をモデルにしたこの小説は、アウシュヴィッツ強制収容所からの生還者であるイタリアの著名作家プリーモ・レーヴィに「ドイツ国民による反ナチ抵抗運動を描いた最高傑作」と評され、1947年の初版発行から60年以上経た2009年に初めて英訳されたことで世界的なベストセラーとなった。

       この反戦小説に深い感銘を受け、自らメガホンを執って念願の映画化を実現させたのは、1990年代に『シラノ・ド・ベルジュラック』『インドシナ』『王妃マルゴ』といったフランス映画の歴史大作に相次いで出演し、美男スターとして一世を風靡したヴァンサン・ペレーズ。ペレーズ監督自身、父親がスペインの出身で祖父はフランコ将軍のファシスト政権と戦い処刑され、母親はドイツ系でナチスから逃れて国外へ脱出したという過去を持っている。本作では、息子の死をきっかけにナチの独裁政権に反旗を翻した平凡な夫婦が、ゲシュタポの捜査網をかいくぐりながら2年間にわたって孤独で絶望的な闘いを繰り広げていく姿を、静かな畏敬の念をこめて映し出す。

      《出演》
      エマ・トンプソン
      ブレンダン・グリーソン
      ダニエル・ブリュール

      《監督》
      ヴァンサン・ペレーズ

      2017年9月21日
      シネマ・クレール
      ★★★★
      2022/12/24
    • アテナイエさん
      kuma0504さん、こんばんは♬メリークリスマスです。
       
      コメントをいただきありがとうございます!
      そうです、この本を薦めていただ...
      kuma0504さん、こんばんは♬メリークリスマスです。
       
      コメントをいただきありがとうございます!
      そうです、この本を薦めていただた方が、本と映画のことを話されていましたが、本を読み終えて感動のあまり、ほぇ~~と恍惚状態になってしまい、すっかり忘れておりました(笑)。
      よかった、kuma0504さんのおかげで思い出すことができました! しかも素敵なレビューを拝見することもできたので、これはぜひDVDを入手して観ようと思います。もしかしたら市立図書館にもあるかもしれませんので探してみましょう。本とは違った映像の魅力がありそうです。主人公オットーはなかなか気難しいキャラなんですよね。また同じアパートに元裁判官も暮らしいるのですが、これがちょっと不気味なキャラクターです。ゲシュタポの連中も気になります、わくわくします!

      素敵なクリスマスプレゼントをいただきました。
      ありがとうございます(^^♪ 
       
      2022/12/24
  • ナチス恐怖政治支配下のベルリン。静かな生活を望んでいるだけの政治には無関係だった職工長オットーは、一人息子の戦死をきっかけに、妻アンナとともに思いもかけぬ抵抗運動を始める。

    ナチスへの抵抗を呼びかける文章を書いたハガキを人の出入りが多い建物内にこっそり置いていくというもの。作中にも書かれているが、「小さい」抵抗だが、嗅ぎつけられたら最後、命はない。

    失敗に終わった彼らの抵抗運動にどんな意味があったのかを問いかける。

    “まっとうな人間”でありたいという思い。

    原題は、「誰もが一人で死んでいく」
    死ぬ時は一人なのだ

    (実在ではない架空の登場人物である)女好きで競馬狂いの夫から逃れたエヴァと、ゲシュタポの密偵の父親から逃げてきた少年クーノが、偶然巡り合い、そうして家族になっていく。クーノが播いたライ麦の種が見事に実を結んでいることが描かれたところで物語の幕は閉じる。

    大きな流れの中で、人間性を失わないためには、どうしたらいいのだろうか。希望を持つためには。実際に渦中にある時に自分自身を信じられるかといったことを考えさせられる作品。

  • <寡黙な男の小さな抵抗>

    重厚な群像劇である。

    時は1940年、ナチス支配下のベルリンが舞台である。
    オットー・クヴァンゲルは熟練の家具職工長。几帳面に真面目に日々の職務をこなしてきた。堅物で特段の趣味もなく、節約しながら、妻と息子とともに暮らしてきた。
    総統への忠誠を誓って生きてきた彼に、ある日、従軍していた息子が戦死したとの知らせが届く。絶望するクヴァンゲル夫妻。そしてオットーは、体制に疑問を抱き、ささやかな抵抗を思いつく。ささやかな、けれども露見したら必ず破滅が待ち受ける抵抗を。
    この小さな「レジスタンス」を軸に、ユダヤ人富豪夫人、元判事、ゲシュタポ警部、競馬狂い女好きのちんぴら、ろくでなしの亭主に手を焼く郵便配達人、共産党運動家など、さまざまな人々の戦時下の人生が描き出されていく。

    出てくる人々は等身大で、小ずるかったり、欲張りだったり、飲んだくれだったり、保身に走ったり、小心者であったりする。そして多くは、幸福とは言い難い最期を遂げる。
    著者のファラダ自身、順調というにはほど遠い人生を送ってきている。アルコールや薬物に溺れ、事件も起こし、精神病院も拘置所も経験している。そして最終的には、薬物中毒を克服しきることができず、本作完成の数ヶ月後、53歳でこの世を去っている。
    彼は多くの作家が亡命する中、ナチスに「望ましくない作家」とラベリングされてもドイツに留まった。ナチスドイツを内側から観察し続けたことになる。
    彼がつぶさに見てきた社会の暗部が、この物語のぞっとするほどのリアリティの源である。

    本作は実在の事件を元にして、ファラダによる換骨奪胎がなされた創作である。フィクションではあるが、著者の経験に基づいた挿話の数々には、当時のベルリンに潜り込んだような息苦しい臨場感がある。
    本作のポイントは、主人公が決して「英雄的」な人物ではないことである。インテリでもなければ高邁な思想も抱いていない、「小市民」といってもよい人物が、ささやかではあれ、巨大なものに闘いを挑んだ、そのことの崇高さをこの物語は描いている。
    一方で、体制側にいてもレジスタンス側にいても、人は卑劣にもなりうれば、気高くもなりうる、それもまた、本作のポイントであろう。
    人を作るのは立場ではなく、結局は個人の資質であり、覚悟であるということか。

    600ページ2段組となかなかのボリュームだが、意外に読みやすい。ファラダは「自分は物書きであって格調高い文学作品を書く作家ではない」と言っていたそうだが、本作は本質的には大衆小説なのかもしれないという気もする。デュマや吉川英治と通じるところがありそうである。
    地味な筋立てであり、展開も恐怖と暴力と死に彩られて重苦しいが、先へと読ませる吸引力がある。

    「ベルリンに一人死す」。原題は「誰もが一人で死んでいく(Jeder stirbt für sich allein)」。
    死刑囚は結審後、独房に入る。だから「一人で」死んでいくわけである。「反社会的」とされて処刑された人々は、それぞれが「一人」死んでいったとしても、むろん、その数は一人や二人ではない。数千、数万、数十万、それとももっと多いのだろうか?
    あらぬ疑いを掛けられて、無実の罪で死んだものも多かった。いや、そんな人が大半だったのかもしれない。その中で、体制に迎合して罰を逃れるもの、絶望して自死を選ぶものもあったが、なお、胸を張り、処刑台に進むものもあった。
    「まっとうな」指導者を持たなかった人々は、自らが「まっとう」であるためには、一人一人立ち上がらねばならなかったのだ。それぞれが小さなよき種として。たとえ、枯れ野で芽吹かぬまま終わろうとも。

    震える脚を踏みしめながらそれでもなお、一人立つことができるか。
    この物語は読者一人一人に、その覚悟を問うているようでもある。

  •  

  • 実話ベースというのが驚きです。小学生の時に「アンネの日記」を読んで以来、ホロコーストモノは何百冊か読んできました。主人公夫婦の絶望の中の勇気、そして周囲の人々の様々な反応。傑作です。映画も面白かったでした。

  • ナチス支配下の独逸、そこで生きていた草の根の ある男性の実録。
    細部迄張り詰めた狂気と恐怖が余すところなく描かれた作品は1946、ベルリンに有ったソ連占領地域内で執筆された。

    しかし、陽の目を見る事も無く2011完訳という形で世に問われることになった。
    余りの内容に、最後まで余すことなく一行一行追い続け、とても一気読みできるものではない内容、描写、一人ひとりの動き・呟き。
    仕事の傍ら、読んで読み貯めて心に問うて、彼オットー・クヴァンゲル、妻アンナへの空間へ寄り添う想いで読み上げた600頁2段組み。
    生涯のベストに入る作品である。
    この類の作品には付き物のヒトラー、幹部、SS将校は出てこない。

    当時そこいらじゅうにはびこった告知魔、ナチスと同様に非情だったソ連の抵抗勢力のやつら・・・リアルストーリーを軸のサイドストーリーをフィクションで膨らませて結果は震撼させる読み物に仕上がった。
     
    ラスト50頁余はますます一語一文たりとも見逃せないオットー、アンナ、そして弟や同房者の博士との語りで終焉へ繋がって行き、息もつけない。
    一人息子の死で始めたはがきによる告発、終えてみれば285枚の殆どは当局へ没収され、配達された数枚もどんな波紋を描いたか・・という~オットーが口に含んだアンプルは処刑直前に思わぬ結果、もっと早く呑み込むべきだったという衝撃は凄い。
    そしてアンナは逮捕されたその時間から夫の最期は全く知ること無く、「その時」へ近づいて行く・・が思う事は「オットーに恥ずかしくない行動をとらなければ」という一念。

    原題「誰もが一人で死んでいく」はラスト、同房者のラインハルト博士との語りで出てくる博士の言葉~オットーが自分らの行動は無意味だったのでしょうねというあとで「抵抗は何の為…正しきもの故救われるのです」と答えるところに凝縮されていた。

    全世界の魂の遺産というのがふさわしい作品だった。

  • ナチスドイツ下のベルリンで、まともな人間として生きるために素朴な抵抗を続けた夫婦の物語。常に監視し合い密告し合う生活の中で、自分を貫き通した2人の姿に感動する。また、幾つになってもどんな場所でも、人生には新しい出会いがあり自分が変わっていくことができるとわからせてくれる素晴らしい話だった。現代の日本でも一度捕まればゲシュタポのような取り調べを受けるから、このままいけばこの本にあるような社会になるのは遠い先のことではなさそうだ。
    息子が戦地で人を殺したり殺されたりするのを聞いて、そんなことをさせるために産んだんじゃない!と怒るのは母親たちだ。息子が戦死したあと、夫がビラの代わりにハガキを人通りの多いところに置く行動を始めると聞いて、妻はずいぶん小さなことをするなと感じてしまう。それに対する夫の言葉。「大きかろうと小さかろうと、嗅ぎつけられたら最後、命はない」
    小さかろうと大きかろうと、命を懸けてやるからには同じで、自分の能力か才能に応じたことをやればいい。大事なのは、抵抗することだ。

  • ナチスに反抗して殺された中年夫婦の物語。実際の事件を下敷きにした小説である。楽しい話であるはずはなく、取り寄せたら思いがけず分厚い本で、読むのが憂鬱だったが、エド・マクベインの87分署シリーズを読んでいるような雰囲気で、読み出したら引き込まれた。ドキュメンタリーでは書きにくい当事者たちの心の動きを細かに書けるという点では、小説という技法は正しい選択だと思った。もちろん創作、推測ではあるけれど。当時の生きにくさ、いやらしさが改めて食い込んできた。

    主人公の中年夫婦も、巻き添えになる犠牲者たちも、正義の味方として描かれるわけではない。共感できないところも、いやらしいところもある。実際はそういうものなのかもしれない。たぶんレジスタンスにも嫌なやつはいるんだろう。あまり感情移入しなかったのが、思ったより読みやすかった理由の一つなのかもしれない。

    いずれにしても、理不尽と暴力がまかり通り、迫害と密告が幅を利かす、こういう世界には死んでも住みたくないと思った。死んでも住みたくなければ、そうなる前に命がけでも戦うしかない。 死んでも住みたくない世界を作るのも、同じ人間だと思うと慄然とする。

    戦後、ゲシュタポの連中が報いを受けていればいいな、と思う。ナチスの一員だったと知られると大事になったと聞いているので、それなりのバチはあたったのではないかと思うが。
    その一方で、日本の特高の関係者が処罰されたという話は聞いたことがないなと思い出す。出世した話は聞くんだけれど。

  • 分厚い本だけど読み始めたら止まらなくなってしまった。重い物語なのにストーリーの運びは軽快。あとがきを読んで著者は1930年代ドイツの流行作家だったと知って納得。ベストセラー作家の筆致。当時の新鮮な経験からの生々しい描写が戦時ドイツの非人間的に抑圧された社会を描き出す。裏表紙に書かれたドストエフスキーのような人間の本質をえぐるといった内容とは違うように思う。しかし、極端な、でも現実として存在した社会の中で人間がどのように行動できるかをよく描いている。

  • 「あべこべの日」のハンス・ファラダ?
    それは兎も角、此れは今読むべき本ですね。。。

    みすず書房のPR(版元ドットコム)
    http://www.hanmoto.com/jpokinkan/bd/9784622077039.html

全19件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

1893-1947。本名ルドルフ・ディッツェン。司法官僚の息子としてグライフスヴァルトに生まれる。26歳で作家デビュー、グリムのメールヒェンから取ったハンス・ファラダのペンネームを名乗る。横領罪で服役後、地方新聞の記者として取材した農民の暴動をもとにした『農民、幹部ども、爆弾』(1931年)に続いて、大恐慌と不況に見舞われるドイツ人を描く1932年刊行の『ピネベルク、明日はどうする!?』(赤坂桃子訳、みすず書房)で一躍人気作家となる。その後、ナチスによって「望ましくない作家」に分類されながらも執筆は許され、反ユダヤ的な作品や国策映画の原案などの執筆命令などをうけて困難な執筆生活を続けた。アルコールおよび薬物依存、精神病院入院を経て、終戦を迎える。1946年に『ベルリンに一人死す』(赤根洋子訳、みすず書房)を書き上げた3ヶ月後に没した。

「2017年 『ピネベルク、明日はどうする!?』 で使われていた紹介文から引用しています。」

ハンス・ファラダの作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
ジュンパ ラヒリ
原田 マハ
トマ・ピケティ
ブレイディ みか...
三浦 しをん
ピエール ルメー...
有効な右矢印 無効な右矢印
  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×