政党内閣の崩壊と満州事変: 1918~1932 (MINERVA人文・社会科学叢書 157)

著者 :
  • ミネルヴァ書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (406ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784623055722

作品紹介・あらすじ

なぜ陸軍が権力を掌握したのか-田中義一、浜口雄幸、若槻礼次郎、犬養毅…陸軍改革の試み、その意図せざる挫折を描く。初めて解明される政軍関係の角逐。

感想・レビュー・書評

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  •  事実関係を細かく追っており、自分には難解だったが、流れは把握しようと努めた。
     対象期間は原内閣成立の1918年から。政党政治に積極参与する田中−宇垣路線が陸軍の主流となり、田中内閣発足時の田中は自らが陸軍を統制できる自信があった。しかし第一次山東出兵をめぐる混乱でその陸軍支配は揺らぎ、張作霖爆殺事件で田中は辞任。
     浜口内閣を経て第二次若槻内閣での満洲事変発生時、若槻は初動では追認するも、次いで幣原と金谷参謀総長など陸軍穏健派ラインの連携により抑えにかかる。しかし幣原のスティムソン談話事件と、連立の協力内閣構想の非実現で関東軍の統制は困難となった。そして政友会の倒閣運動で若槻内閣崩壊。犬養内閣では第一次上海事変後、最終的に陸軍積極論(と、海軍艦隊派も?)を抑えられなくなる。
     なお、永田鉄山自身は一貫して陸軍穏健派として扱われており、皇道派の失墜後に軍部内統制を強化しようとしていたが、相沢事件で死亡。以降、「永田なき統制派は現地軍に引きずられる形で華北分離工作にのめり込んでいく」とある。
     軍人の政治関与というと否定的なイメージが強い。しかし、政党内閣の意を汲んで軍の統制に努力した陸軍穏健派の存在はどうだったか。

  • 日本のことをよく知らない欧米人に1930年代の日本では複数の首相と複数の財務大臣と三井グループのトップ一人が暗殺されたんですよという話をすると驚かれることがある。

  • 小林道彦『政党内閣の崩壊と満州事変』ミネルヴァ書房、読了。政党政治と国際協調体制と国際金本位制といった政治経済、国際システムはなぜ崩壊したのか。本書は第一次大戦後から満州事変に至るまでの政軍関係を分析した一冊。著者は実証的政治過程分析によって鮮やかにその系譜を浮かび上がらせる

    陸軍は内部での権力争いがすさまじく、暴走しやすい体質。著者は史料からその襞に分け入る。政党内閣が機能するためには「強力な首相」と「強力な陸相」の組み合わせがベスト。田中義一は、首相になると軍をコントロールできなかった等々。

    全体として、「政党内閣がなぜ崩壊したか」という答えにはもう少し踏み込みが欲しかったのは事実。しかし、政治/軍「関係」が別々に議論される所論が多いなか、複雑な相関関係を丁寧に整理していく力量に驚く。

    長い序論は、原敬論といってよい。吉野作造との関係でここに注目してしまう。筆者によれば原敬は軍の「漸進主義的制度改革」を粘り強く目指した人物。参謀本部の解体論も横行するが、皇室を担ぎ上げる軍の「軽挙」を退けようと努力する。

    盛岡藩出身の原らしくその忍耐力はすさまじい。伏魔殿に入ってまで、人事的協力を取り付け、ことを運んでいく。軍人が統帥権を振りかざすのは危険であり、皇室は「慈善恩賞等の府」であるべきとの論、現在の象徴天皇制を先取りする構想。

    http://www.minervashobo.co.jp/book/b56126.html 「田中義一、浜口雄幸、若槻礼次郎、犬養毅……陸軍改革の試み、その意図せざる挫折を描く」。おすすめの一冊です。


    以下は、フリートーク?
    「何かと云うと人を売国奴呼ばわりする自称愛国者」は昭和初期にもいたようだ(画像は『読売新聞』1929年8月8日付、朝刊、4面)。尚、この文章を書いたのは吉野作造である。 http://photozou.jp/photo/show/2590045/170746439
    https://twitter.com/jemappellety/status/308417214770458626

    一概にはいえないけれども、民本主義者吉野作造には、原敬批判も少なからぬ存在するし、政論に関しては是々非々であってしかるべきだからだ。しかし、吉野がもっとも嫌ったのは、政治家よりも、民間における極論の流行であったのではあるまいか。原敬がテロルによって暗殺されたのは極めて残念

    「原首相の政見に対しては兎角の批評もあつて、僕自身も服し得ざる多くの点を有つて居る。が稀に見る偉才として不時の兇変を愛惜するの情に於ては、僕と雖も人後に落ちるものではない。…只斯くの如き不祥事は絶対に繰り返させたくないものだ」。吉野作造「原首相の兇変に就て当局の一官人に与ふる書」

    大正期にもテロルは少なからず存在する。しかし昭和前期と比べれば、少ないし、吉野作造自身、(まさに現在の“行動する保守”以上に「実力行使」をしてはばからない)浪人会と立ち会い演説会をするなど、時代感覚としてテロルに対する温度差はあったと思う。そしてそれが言論の自由と伴走していた。

    そういうものが、いわば、民間の露払いが先に先行する。そして後になって政府が、抑圧的になっていくことが「いたしかなし」として許容されていく。……そこに恐ろしさは覚えてしまう。 v

    戦後のマルクス主義系歴史学は大正デモクラシーを「あだ花」と嘲笑う。しかしながら、そこには、戦前昭和にはない「言論の自由」が保証され、担保しようと努力した人間は存在した。吉野作造は、常にどのような暴論であったとしても「言論には言論」で向かい合った。手を挙げる前に心に留めたい。

    民主主義の水脈としての戦前日本の系譜。このあたりは、武田清子先生にも直接話をきいてみたいところだけど、知己を得ないままなのであった

    「天皇制は、私の一貫した研究課題です。15年戦争のころの天皇は神として絶対化され、キリスト教の信仰にとって一番の障害でした」。武田清子「天皇観の相剋」 外国が映す日本の二重性:朝日新聞 http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY201204260392.html 昨年のインタビュー。まだお元気です。

    「船底の四人」(鶴見俊輔、鶴見和子、都留重人、武田清子)も、もはや二人ですよ。

  • [ 内容 ]
    なぜ陸軍が権力を掌握したのか―田中義一、浜口雄幸、若槻礼次郎、犬養毅…陸軍改革の試み、その意図せざる挫折を描く。
    初めて解明される政軍関係の角逐。

    [ 目次 ]
    政党による陸軍統治
    第1部 二大政党制と陸軍統治の動揺(田中政友会と山東出兵;相対的安定と破局への予兆―浜口幸雄と宇垣一成)
    第2部 政党政治と陸軍統治―その同時崩壊(政党内閣と満州事変;政党内閣の崩壊)

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著者プロフィール

北九州市立大学教授。

「2011年 『上原勇作日記 大正六年~昭和六年』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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