蒲生氏郷: おもひきや人の行方ぞ定めなき (ミネルヴァ日本評伝選)

著者 :
  • ミネルヴァ書房
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感想 : 6
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  • Amazon.co.jp ・本 (244ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784623064908

作品紹介・あらすじ

蒲生氏郷(一五五六〜一五九五)織豊期の大名。近江日野の名門武家に生まれ、信長、秀吉に仕えて活躍、伊勢松坂一二万石、そして会津若松九二万石へと栄転した氏郷。天下統一戦のなか最新の軍制導入により、近世大名へと蒲生家を転換させようとした文武両道の武将像を描く。

感想・レビュー・書評

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  • 蒲生家の騒動とその後まで記述があり、興味深い。

  • 近江日野の一領主から会津若松92万石まで栄達した蒲生氏郷について描かれています。
    氏郷亡き後の蒲生騒動についても書かれており、詳細を知らなかったので興味深かったです。
    しかし氏郷自身より豊臣政権についてに多くが割かれていたため、そこは少し残念でした。

  • 近江日野の名門武家に生まれ、信長、秀吉に仕えて活躍、伊勢松坂12万石、そして会津若松92万石へと栄転した氏郷。天下統一戦のなか最新の軍制導入により、近江大名へと蒲生家を転換させようとした文武両道の武将像を描きます。

  • 個人的に奥州時代の蒲生氏郷に興味があって手にとる。「度重なる戦争によって軍法が浸透し、転封によって大名当主の家臣団への統制が強化され、軍法と陣立書のセット受給が実現」「テレビ時代劇で見る大名や軍配者の采配で自由に展開する軍隊の成立は豊臣時代終盤以降」、奥州転封を受け容れた理由として「天下統一戦に従事しながら、氏郷は個人や一族・家臣の利益を追求することよりも、新たな国家の誕生を優先するようになったと思われる。」(p.159) 「限りあらば吹かねど花は散るものを心短き春の山風」「おもひきや人の行方の定めなき我ふる郷をよそにみむとは」

  • 猛将で文化人として知られた蒲生氏郷の伝記。近江国人の蒲生氏は幕府奉公衆や六角氏の重臣を務めた。貞秀は文化人であり 、氏郷もその家風をついだか。賢秀、氏郷親子の信長、秀吉の天下統一へ関わりから、伊勢松坂、次いで会津を賜り近世の領主として急激に成長する。軍制の変化と自立性の強い家臣団が氏郷死後のお家騒動となり、伊予松山で蒲生氏は断絶した。

    若松の由来が近江日野であり、新天地に日野という町を作るなど 、故郷を離れても日野を忘れない思いがあったようだ。一方、氏郷が街作りに軍事を優先して商人に評判が悪かったのが面白かった。

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著者プロフィール

1958年愛媛県生まれ
神戸大学大学院文化学研究科博士課程修了
学術博士
三重大学教育学部・大学院地域イノベーション学研究科教授

「2023年 『近世武家政権成立史の研究』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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