- Amazon.co.jp ・本 (165ページ)
- / ISBN・EAN: 9784624010065
作品紹介・あらすじ
“マルクス=ウェーバー問題”を初めて提起した初期レヴィットの代表的論文で、資本主義社会の自己疎外=合理化にかんする両巨人の分析批判と理念の相異を比較検討した名著。
目次
緒論
一 問題の提起
二 ウェーバーとマルクスの一般的特徴
第一篇 「合理化」を手引とするウェーバーの市民的資本主義的世界の解釈
第一章 マックス・ウェーバーの探究の本来の動機
第二章 近代世界の問題的表現としての《合理性》
第三章 普遍的隷従状態の真只中における個人の自己責任への自由としての合理性
第二篇 人間の自己疎外を手引とするマルクスの市民的資本主義的世界の解釈
第一章 その解釈の史的展開-ヘーゲルよりフォイエルバッハを経てマルクスへ-
第二章 人間の自己疎外の経済的表現としての《商品》
第三章 人間の自己疎外の政治的表現としての市民社会
第四章 人間の自己疎外の直接に社会的な表現としてのプロレタリアート
第三篇 唯物史観にたいするウェーバーの批判
シュタムラーとの対決のうちに間接に現れたウェーバーのマルクス批判
宗教社会学におけるウェーバーのマルクス批判
原註
訳者後記(弘文堂版)
訳者後記(未来社版)
感想・レビュー・書評
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カール・レーヴィットによる、ウェーバーとマルクスの研究の根本的動機を探る試み。ウェーバーがいう「合理化」とマルクスのいう「自己疎外」が実は同一の事態を指していることを明らかにしている。
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マックス・ウェーバーの本は一冊も読んだことないけど、何となく彼のことはわかったような気がした。あくまでも妄想ですけどね。マルクスさんに関しては…あいまいです。なんせヘーゲルさんをまだちゃんと理解してないもんだから。でもまぁ辞書で調べるいい機会だったんで史的唯物論やら疎外やら、マルクスの重要キーワードはちゃんとマークしました。それにしてもレーヴィットさんの着眼点はすごいなって。『ウェーバーとマルクスの探求の根本的な動機を比較分析することによって、経済と社会の基礎としての人間に関する両者の見解の共通性とその理念の相違とを明らかにする』。まぁ両者とも研究領域は同じ「資本主義」ですからね。また読まなければいけまへん。
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読み切らなきゃなぁ。
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ヤスパースのヴェーバー論を引いて、「われわれのみたところマックス・ヴェーバーは、それこそ生きた実存哲学者だった」 と評価したことはまさに正鵠を得ている。「実存哲学者としてのヴェーバー」。これは多くの実証主義的な社会科学者に対して挑戦的な言葉であろうが、しかし事実であろう。「実存哲学者」として到達した自らの「生き方」として、彼は社会哲学者と成り、さらに社会科学者と成ったのである。ヴェーバーの宗教社会学研究もこの文脈で捉えなければならないのではないか。1917年のロシア革命以来、マルクス主義の波はヨーロッパにも押し寄せてきたが、戦後賠償問題をはじめとする「ヴェルサイユ条約」の重荷に喘いでいたドイツの中産市民層の中から、次第に共産主義者に対する「匕首(あいくち)伝説」が語られるようになった。匕首伝説とは、共産主義者の背後からの卑怯な匕首による一突きがドイツを不幸に陥れたと考える、一種のルサンチマンである。ここに目をつけたのがナチスの党首ヒトラーであったことは言うまでもない。ヴェーバーが晩年に提起した「人民投票によるマシーンを伴った指導者デモクラシー」(『職業としての政治』)が、このナチス台頭に親和的であることは、しばしば語られるところである。出版された1932年、ナチスの足音は徐々に近付いていた。