中世ヨーロッパの農村世界 (世界史リブレット 24)

著者 :
  • 山川出版社
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  • Amazon.co.jp ・本 (90ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784634342408

感想・レビュー・書評

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  • 教科書のようだと思ったら、山川出版社。世界史の副読本的なものらしい。先に読んだ「中世ヨーロッパの城の生活」がある時代、ある地域の生活を描いたものにすぎないと気付かせてくれた。資料はたくさん読まないと駄目ですね。

    ・繰り返された小氷河期(5世紀~8世紀半ば、12世紀半ば~14世紀前半、16世紀後半~19世紀半ば)がヨーロッパ農業に大きく影響した。
    ・12~13世紀のフランスワイン生産地はパリ盆地とその北部、イギリスでもワインが製造されていた。
    ・6世紀半ばの「聖ベネディクトゥス会則」で修道士1人あたり1日にパン1ポンドとワイン1ヘミナを割り当て。当時の中部イタリアの食生活を反映したこの会則のため、各地の修道院がローマ時代の農業書をもとに小麦とブドウを栽培。パンと赤ワインは聖体としても必要不可欠。
    ・地中海地方では地表を浅く引っかく程度の犂でよかった。ニ圃制はローマ時代から。
    ・8世紀後半のカロリング時代の遺跡から、ライ麦、小麦、燕麦、大麦、そら豆、えんどう豆、にんじん、りんご、ブドウ、亜麻の痕跡がみつかっている。
    ・7世紀から11世紀まで、狩猟で得られる野鳥、野うさぎや鹿などの骨がほとんど発見されていない(領主の独占のためか)、8世紀ごろを境に馬の骨が倍増。

    カロリング時代の新しい農業経営とは
    ・穀物栽培中心のローマ的経営と牧畜中心のゲルマン的経営の融合
    ・温暖化に助けられて9世紀にはブドウ栽培が西欧に定着
    ・製粉用水車の普及、三年輪作の開始(大所領のみ)

    ミレニアム後
    ・水車の利用拡大(11世紀以後)、鉄の生産拡大による鉄の農機具の普及(12~13世紀)
    ・アルプス以北の湿った重たい土壌を耕作するため、重量有輪犂が普及(西欧では11世紀に初めて資料に現れる)。引き具の発達、飼料の燕麦栽培で耕作に牛ではなく馬を使えるようになった(12世紀)
    ・13世紀前半に、村の耕地を区画整理して村落共同体として共同耕作を行う三圃制が出現。
    ・温暖な気候も幸いして収穫率が3~4倍に向上。
    ・人口増加と大開墾運動、領主との関係の変化。

    一年の起点は国や地方ごとに異なっていて、それぞれクリスマス、復活祭、聖母受胎告知の祝日(春分の日)におかれていた。
    12月は豚を屠殺して塩漬け肉やソーセージ作る月、
    1月はクリスマスから公現祭まで宴会
    2月は謝肉祭、灰の水曜日からは肉食を断って復活祭を待つ
    3月は農作業の開始
    4月は家畜の放牧、鷹狩、復活祭
    5月は五月祭、聖霊降臨祭
    6月は休閑地の犂耕や羊の毛刈り、干草刈り、聖ヨハネの誕生日(夏至)
    7月は冬麦の収穫(中世後期までは小鎌で刈り、茎や株を家畜の飼料に)
    8月は冬麦の脱穀、夏麦の収穫
    9月はリンゴやブドウの収穫
    10月はブドウ搾りやワインづくり、貢租や賃貸料等の決算
    11月は冬麦畑の耕作と種まき

    ・中世中期から後期の住居は(地域や時代の偏差が大きいが)竪穴式ないし木造だったものが、12世紀以降、壁が石造り、屋根がスレートや瓦葺。かまどが置かれた台所と寝室、家畜小屋が付属している場合も多かった。
    ・家庭内では長持ち(衣類のほか、パンや塩などを保管)、ベッド、食卓とベンチ。ベッドは大型でわらの上にシーツを敷いたり、シーツなしで寝ていた。
    ・衣服はくるぶしまである長い服が一般的、その他にズボンやシャツとフードつき上着を着る場合もあった。粗末な毛、麻や山羊、羊の毛皮製。親から子に受け継がれる晴着は財産目録にも記載された。
    ・13世紀から15世紀はじめまでブルゴーニュ地方のドラシィにあった集落の遺跡からは、貨幣、金属製の装身具、薄手の陶器、たくさんの鍵が出土。
    ・オートミールのような粥のかわりにパンが普及、そら豆やえんどう豆で植物性たんぱく質補給、牛や豚、鶏の摂取はわずか。
    ・魚は肉より高価だったので農民にはあまり身近でなかった(修道院などには養魚池)

    ・14世紀に開墾運動が停滞。開墾可能な土地の減少、地力の低下(麦畑が増えたため家畜が減って厩肥が不足)、人口増加、気候の悪化による大飢饉、百年戦争等々により農民が都市に逃亡・流出、領主や豪族の没落。
    ・14~15世紀には減少した労働力で維持できる耕地を集約的・効率的に経営
    ・休閑期が数年に一度になり、春麦栽培の代わりにクローバーやかぶなどの飼料用作物、豆類や亜麻を小麦と連年輪作
    ・イタリアでほうれん草、セロリ、アスパラ、アーティチョークなどの栽培開始、ドイツでホップ栽培が盛んに。ワインや穀物、亜麻・大青・アカネなどの工芸作物や地中海沿岸の産物など、輸出用の栽培が発展。
    ・放棄された耕地をつかった牧羊、食習慣の変化による牛の飼育。

  • 10世紀から16世紀くらいまでをざっとポイント抑えて解説した本。
    薄いし文字もデカいので3時間くらいで読める。

    一連の農業革命、世代をまたぐ気候の大変動、賦役からの貢租による人口増加、そして先進的な農業システムの発明。ここらへんを掘り下げて、時には具体的な数字を示しつつダイジェストで教えてくれる。

    ちくまの『中世の窓から』と併読していたが、都市民のように複雑な規則やコミュニティに縛られない代わりに、文化的でなく被支配的な哀れな農奴という印象を強く受けた。
    というのも、本書は彼らがおかれた状況を綴るのみで、土着的な信仰や気晴らしは何だったかなどの具体的な生活模様が書かれていないせいだろう。
    人格や人間性が伺えそうな記述はほぼない。
    それが垣間見えるのは最後も最後。農民戦争に身を投じ、彼らの指導者となったミュンツァーが平等社会を声高に唱えるその背後で――農民たちが求めたのは「古き良き法」であったと書かれた箇所。すなわち、200年前に締結された領主との法規。

    深い思慮と高水準の教育の末に掲げられた改革の御旗に群れてその実、"素朴"な農民たちの原動力が懐古と保守であったというのは何とも皮肉。
    のちにミュンツァーの元には離反者も現れ、果たして斬首という結末を迎えることになったという。

    詳細な生活様式が分からないのは、まあ前書きを読めばわかる。
    他には……14世紀のヨーロッパといえばペスト流行が真っ先に浮かぶが、人口激減の原因には飢饉・戦争・貨幣悪鋳など多くの布石があったことなど。寡聞な身としては得た知識の多い本でした。

  • 意外にそこまで「肉を食って暮らしてました!」とかいう文化じゃなかったんだ、というような目からウロコ的な発見があったのはよかったです。

  • 誤解していたところが多かった。

  • 2013/05/06

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著者プロフィール

1957年生まれ。ナンシー大学大学院歴史・人類学研究科修了。現在、早稲田大学教授。専門はフランス中世・近世史。著書に『ヨーロッパの中世5 ものと技術の弁証法』など。

「2015年 『図説 中世ヨーロッパの暮らし』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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