神社の起源と歴史

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  • 吉川弘文館
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  • Amazon.co.jp ・本 (245ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784642084000

作品紹介・あらすじ

古い由緒をもつ伊勢神宮や出雲大社、磐座祭祀で知られる沖ノ島、地域の氏神として祀られる隅田八幡宮、柳田國男の紹介により有名になったニソの杜。こうした大小さまざまな形態の神社が、全国に存在することになったのはなぜか。民俗伝承学に考古学・文献史学を織り成し、新視点から神社祭祀を比較検討。神社が歩んだ歴史とその重層性の解明に挑む。

感想・レビュー・書評

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  • 神社の語が使われるようになるのは725年の詔や777年の太政官符。
    古くからの和語では宮(みや)と社(やしろ)。神の宮、神霊を祀る場所や建物。
    「稲の王」である天皇の祈年祭と新嘗祭など豊作祈願の髪まつりの対象の定置。
    古墳時代に各地の「稲の王」が磐座、禁足地、聖樹などを目印として神籬、注連縄、仮設の宮や社を設けて祀る形で4世紀中期頃を起源とする。
    日本の神事祭礼が稲作だけでなく狩猟にも関係する収穫感謝のまつりでもあった歴史が重層している。
    律令制神祇祭祀の形成は600年の遣隋使派遣による文化衝撃を起点とする。沖ノ島遺跡の22号遺跡出土の金銅製紡績具や金銅製人形が神宮祭祀や大祓の神事に通じる祭具であることから推察できる。
    律令制神祇祭祀の整備は天皇のシャーマン的な性格からの脱却とイミビト的な性格からの脱却と洗練の実現。神祇伯が管掌する御巫や卜兆の職掌。
    伊勢神宮、天武の皇女、大来皇女が673年泊瀬の斎宮にこもり、翌年に伊勢へと出発した時点。
    内宮が北緯34度27分、外宮が北緯34度29分、持統天皇が造影した新益京の大極殿のは北緯34度30分、神宮の天照大神が宮都の持統天皇のまつりごとを守る。
    20年ごとの遷宮は神鏡の東西軸の往復運動であり、動き続ける神としての性格であり、太陽の運行に沿う東西軸の往復運動の継続。
    出雲大社の祭具は弥生時代の翡翠の勾玉と青銅器の祭具(銅鐸、銅戈、銅矛、銅剣)であり、淵源は古い。巨大な社殿の造営は6世紀なかばの欽明朝であった可能性が高い。
    磐座祭祀、禁足地祭祀、動態祭祀(社殿や柱が祭祀の中で更新される)
    春日社の祭地は756年には神域はあったが社殿はなかった。社殿は768年に左大臣藤原永手が創建したという伝え。祭神は777年の藤原良嗣の病気平癒を祈った段階では常陸国の鹿島神と下総国の香取神の2柱。
    836年の藤原常嗣の公開安全祈願では2柱に加え天児屋根命と比売神の四柱大神へと変わっていた。
    律令制神祇制下では延喜式の神名帳に載せられている式内社を基礎とする。
    畿内658座と王権の基盤的な範囲に多く、それ以外では陸奥が100座と多い。
    畿内の安全祈願、蝦夷征討、朝鮮半島に対する防衛と安全保障という配置。
    平安祭祀制下では王城鎮守としての22社、国鎮守としての一宮という体制が成立。

  • 執筆者の「たくさん書きたいんだ!」という気迫を感じる本。
    読み手も一定以上の知識を求められる。

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著者プロフィール

1948年、広島県生まれ。早稲田大学第一文学部史学科卒業、同大学院史学専攻博士課程修了。国立歴史民俗博物館教授・総合研究大学院大学教授。民俗学(社会学博士)。『神々の原像』『柳田民俗学の継承と発展』(吉川弘文館)、『なぜ日本人は賽銭を投げるのか 民俗信仰を読み解く』(文藝春秋)、『日本人の縁起かつぎと厄払い』(青春出版社)など多数の著作がある。

「2022年 『民俗学がわかる事典』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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