- Amazon.co.jp ・本 (382ページ)
- / ISBN・EAN: 9784643970043
作品紹介・あらすじ
敗戦の後、日本人は「何を」守ろうと安保論議、憲法論争を重ねてきたのか。非戦の「神学」に始まり、対米関係と国内政治の葛藤の中で決定された「戦略」は、はたして真の意味の「安全保障」でありえたのか-。この一冊に、50年余の模索の果ての「沖縄」問題を解くカギがある。
感想・レビュー・書評
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自衛隊の成立過程や憲法九条との関係、国際社会での役割などについて。
以下、本書より。
防衛二法(防衛庁設置法および自衛隊法)が参議院を通過した一九五四年六月二日、自衛隊の海外出動を禁止するとの趣旨の決議が参議院で行われた。
この決議の本文は、
本院は、自衛隊の創設に際し、現行憲法の条章と、わが国民の熾烈なる平和愛好精神に照し、海外出動はこれを行わないことを、茲(ここ)に更(あらた)めて確認する。
という短いものであった。
この決議を発議した鶴見祐輔は、「自衛隊出発の初めに当り、その内容と使途を慎重に検討して、我々が過去において犯したるごとき過ちを繰返さないようにすることは国民に対し、我々の担う厳粛なる義務である」と語り、以下のように主張した。
何ものが自衛戦争であり、何ものが侵略戦争であつたかということは、結局水掛論であつて、歴史上判明いたしません。
故に我が国のごとき憲法を有する国におきましては、これを厳格に具体的に一定しておく必要が痛切であると思うのであります。
自衛とは、我が国が不当に侵略された場合に行う正当防衛行為であつて、それは我が国土を守るという具体的な場合に限るべきものであります。
幸い我が国は島国でありますから、国土の意味は、誠に明瞭であります。
故に我が国の場合には、自衛とは海外に出動しないということでなければなりません。
如何なる場合においても、一度この限界を越えると、際限もなく遠い外国に出動することになることは、先般の太平洋戦争の経験で明白であります。
戦前の帝国陸海軍が自衛と称して海外への侵攻を深めていった経験からすれば、このような鶴見の見解は、多くの国民の共感を呼んだことであろう。
しかし、ここには、国際社会の安定や平和のために、日本がなしうることがありうる、日本の自衛隊が役に立つことがありうるとの発想や、同盟関係を結ぶことが何を意味するかとの発想は全く欠如している。
依然として復興したとはいえない日本であってみれば、当然であったのであろう。
自衛隊を構想した人々の間にもこのような発想はほとんどなかった。
再軍備を唱えた改進党も、そのような任務は考えていなかった。
鳩山一郎らの憲法改正論も、吉田(茂)のような「なし崩し」に反対するための主張であって、法的にはっきりさせろというものであった。
彼らですら、まさか自衛隊が海外に出動するなどということは想定していなかったのである。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
210.7||Ta
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安全保障とは国家の生存に危害、損傷が加えられないことの保障、子㏍あの生存に脅威が発生しないように、また発生する心配のないようにすることの保障を意味する。
吉田茂は本格的な再軍備はなんとしても回避したいと考えていた。その理由は、
1.日本人の間に再軍備に対する支持がない
2.日本が最も必要としているのは経済の自立であって、再軍備の重圧が加われば、国の安全を内部から崩壊ならしめること
3.対外的に日本の軍国主義の再現を恐れる国があり、国内的にも旧軍国主義の再現の可能性に対して警戒すべき理由がある
自衛隊はその中心機能を防止力とし、その目的に沿って必要な種類の軍事力を備えるべきである。防衛力とは他国が時刻を攻撃することを不可能にさせる能力を意味していた。
冷戦中、日本は世界の国際紛争に積極的に関与する必要はなかった。冷戦後、日本も世界の遠方の事態にかかわらざるをえなくなった。