- Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
- / ISBN・EAN: 9784750517544
作品紹介・あらすじ
《本を愛するすべての人へ》
人気校正者が、書物への止まらない想い、言葉との向き合い方、仕事に取り組む意識について——思いのたけを綴った初めての本。
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〈本を読む仕事〉という天職に出会って10年と少し。
無類の本読みでもある校正者・牟田都子は、今日も原稿をくり返し読み込み、書店や図書館をぐるぐる巡り、丹念に資料と向き合う。
1冊の本ができあがるまでに大きな役割を担う校正・校閲の仕事とは?
知られざる校正者の本の読み方、つきあい方。
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校正者にとっては百冊のうちの一冊でも、読者にとっては人生で唯一の一冊になるかもしれない。誰かにとっては無数の本の中の一冊に過ぎないとしても、べつの誰かにとっては、かけがえのない一冊なのだ。
感想・レビュー・書評
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校正の仕事が 丁寧に描写されている。著者の誠実・真摯な姿勢に、読んでいる方も襟を正す…身が引き締まる思いがした。「本の裏方、縁の下の力持ち」の存在が本の世界を支えているんだな~。
目次から~
特に印象に残った章
↓
「他人の誤植を拾わない」
「かんなをかけすぎてはいけない」
「残る本」
「すべての本に」p100~抜粋します。
これまで個人で100冊以上の本に携わってきましたが、わたしにとっては100冊のうちの一冊でも、読者にとっては人生で唯一の一冊になるということはあり得るのです。(中略)誰かにとっては無数の本の中の一冊にすぎないとしても、誰かにとってはかけがえのない一冊である。その価値を否定することは誰にもできない。著者自身でさえも。(中略)本は人間よりも長く生きるのです。そうした可能性を考えたとき、すべての本が等しく手をかけて作られていてほしい。理想論かもしれませんが、そう願わずにはいられないのです。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
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「文と向き合うほど、唯一の正解が世の中にどれだけあるかわからなくなる」校正者・牟田都子が語る、仕事論|Real Sound|リアルサウンド ...「文と向き合うほど、唯一の正解が世の中にどれだけあるかわからなくなる」校正者・牟田都子が語る、仕事論|Real Sound|リアルサウンド ブック
https://realsound.jp/book/2022/09/post-1127283.html2022/09/17 -
「読む力」は「書く力」言葉のアップデートどうしてますか?人気校正者!牟田都子さんに学ぶ | from mi-mollet community...「読む力」は「書く力」言葉のアップデートどうしてますか?人気校正者!牟田都子さんに学ぶ | from mi-mollet community 今日の〔ミモレ編集室〕 | mi-mollet(ミモレ) | 明日の私へ、小さな一歩!
https://mi-mollet.com/articles/-/39872?layout=b2022/12/17 -
2月12日(日)まででした、、、
「しみじみと面白い」人気校正者・牟田都子さんの本屋と本の「歩き方」 『(イベント名)SPBS BOOKT...2月12日(日)まででした、、、
「しみじみと面白い」人気校正者・牟田都子さんの本屋と本の「歩き方」 『(イベント名)SPBS BOOKTALK FESTIVAL』 | BOOKウォッチ
https://books.j-cast.com/topics/2023/02/07020405.html2023/02/14
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本などを読んでいて、よく誤植を見つける私は校正者に向いているのではないかと思っていたが、とてもとても無理だと思った
何が正解か、答えのわからない
胃が痛くなりそうな気の遠くなる様な大変なお仕事
普段表には出ないけれど、大切である事がひしひしと感じられた
特に子供の頃親しんだ「モチモチの木」の三日月の話しは興味深かった -
活字中毒気味の私にとって、ずっと文字を読んでいていい仕事があるなんて夢のよう!と思いましたが100点が当たり前でだれも褒めてくれないのに、たったひとつの間違いはとても責められる厳しい仕事で、私にはとても勤まらないと思った。これから本を読んで誤植を見つけても、その裏にある努力を想像しあえて拾わないで読み進めていこうと思う。
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ブクログに書くときは1~2回校正するようにしていますが、後から誤字を見つけてこっそり直している私です…。
◎◎◎
本書を無理やり「セブンルール」風にまとめますとこんな感じでしょうか…。
1.黒鉛筆を使う
2.かんなをかけすぎない
3.校正をされてみる
4.人の誤植は拾わない
5.辞書は全て見る
6.天職と思わない
7.旅先ではかならず書店と図書館に立ち寄る
(その他のルールは本書でお確かめください)
印象的だった言葉。
校正は「建築物の筋交いのように見えないところで文章を強靭にする」(p27)。
それでも「落と」してしまったときの悔しさといったら…図り知れません。
世の中には校正されていない出版物がたくさんあることも驚きでした。だとすればお金と時間をかけてまで校正することに何の意味があるのか?
著者は悩みますが、その答えは爽快でした。
◎◎◎
校正の神様の名言、
「人の誤植は拾わない」はいろんなことに当てはまりそうです。もちろん本書にも。
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ああ、おもしろかった!
校正の現場でおこる、さまざまなエピソードに、声をあげて笑ったり、胸をギュッとつかまれたり。
私は、長いあいだ専門書の編集者として働いていたから、そもそもの発行部数が少ない本の場合は、どうやったらこれから先もより良い本づくりが実現していけるのか、考えこんでしまった。
発行部数が少ないと、どうしてもかけられる予算・時間・人員が少なくなってしまうから。
私自身も、尊敬する校正者の方のお仕事に何度も助けられてきたのに、はたして十分な仕事環境を用意できていただろうか、と振り返ってみても、自信がない。
その本、その本でつじつまをあわせるのに精一杯なまま、現場を離れてしまったと思う。
人の良心や誠意は、本をつくるのに大切だと思うけれど、編集者の立場にいるなら、もっと各現場にいる人たちが、無理をせずに働ける環境そのものを、つくっていく必要があるなあ、と感じる。
印象深かったのが、著者の丹念なテーマのひろい上げ方と、ふくらみのある考察、そして受け取り方を読者にけっして強制せずにそっとゆだねる結び方。
赤入れではない、「鉛筆」の文章そのものが、個々のエピソードに加えて、ひとりの校正者が見ている世界を、読者にシェアしてくれていると感じます。
いろんな気持ちが錯綜して、誰目線?な日記になってしまいましたが……。
本が好きな人に、ぜひぜひ手に取ってほしい1冊です。-
workmaさん
わーありがたいお言葉ですー。
ブクログを書いていると、ついつい熱くなってしまいますよね、ふふふ……。
workmaさんに...workmaさん
わーありがたいお言葉ですー。
ブクログを書いていると、ついつい熱くなってしまいますよね、ふふふ……。
workmaさんにも、楽しんでいただけたらいいなあ。
もし機会がありましたら、また感想お聞かせくださいね(^^)2023/01/09 -
「文にあたる」
まだ途中ですが、一章が4ページと短いので、寝る前に読むというのが最近の入眠儀式のようになっています…
まず、文章が...「文にあたる」
まだ途中ですが、一章が4ページと短いので、寝る前に読むというのが最近の入眠儀式のようになっています…
まず、文章が「端正」「真摯」「誠実」という印象がひとつ。そして、短い事柄の奥にまだ道があるような印象。著者は、「ひとつのことをちゃんと丁寧にやりとげる」人かな…文章に人柄が表れてるな~と思ってます。また、続きをつぷやきますね( ・∀・)2023/03/23 -
workmaさん、
「端正」「真摯」「誠実」。
ほんとにそう!とうんうん頷きながらコメント読ませていただきました。
「謙虚」と「矜持」も、感...workmaさん、
「端正」「真摯」「誠実」。
ほんとにそう!とうんうん頷きながらコメント読ませていただきました。
「謙虚」と「矜持」も、感じます。
コメントいただくと、自分の中でもまた新しい視点が増えて、とても楽しいです、ありがとうございます。2023/03/23
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校正者である牟田都子さんが、日々の仕事の風景、そして本への愛について言葉を紡ぐエッセイ集。
「サバをめぐる冒険」「アシカを疑えるか」「ためらい傷」「真夜中の三日月」等々。同業ということもあり、思い当たる節が並ぶ目次を読んでいるだけでも好奇心がくすぐられる。
校正という仕事はなかなか孤独で、ほかの校正者がどのように鉛筆を入れているかということを知れる機会もめったにないので、一文一文がとても貴重なエピソードでした。同じように誤り、同じように悩んでいる姿に励まされる。
牟田さんは二十八歳のときに長らく勤めていた図書館を退職してから校正の仕事を始めたそうで、私と同じだ。
最終章の「天職をさがす」では、こうして自著を出版するに至るまでの経緯が綴られていて、我が事のように真剣に読み入ってしまった。
言葉を選び大切に扱われているのが、牟田さんの文章から滲みでているので、読んでいて安らぐというか、すごく落ち着きます。
この仕事を始めて、私はやっと一年。
勉強して合格したとはいえ、未経験なのにはじめから在宅校正を選んだので、最初の案件では家にやってきたゲラを前に、右も左もわからず途方に暮れるような状態だった。大人になってから自分の成長を感じることってもうあまり無いけれど、こと仕事に関しては一年でずいぶんの成長を実感している。
とはいえ、この仕事は日々勉強である。慢心がすぐにミスに繋がる。熟練だろうが職人にはなれず、新米もベテランも関係なく誤植を落とす。
天職かはわからない。でも"全部読む"という校正が好きで、それを仕事にできたことは望外の喜びで、一生続けられたらいいな、と思っている。 -
誤植は、おもしろい。
子供の頃、ニュースの「汚職事件」は「お食事券」だと思ってたり、社会に出てからも「数パーセント」を「スーパー銭湯」だと思って笑われたり。。学生の頃「VOW」を授業中に読んでいて先生に取り上げられたコトを思い出しつつ、書籍の誤りを無くすために日々努力されているのが、本著のテーマである校正者さんのお仕事です。
私も、世に出したものにもし誤りがあると、「すみませーん!間違ってましたー!」と大声で言わないといけない仕事(比喩です)に携わってもいるので、かなり共感しながら読ませていただきました。
①校正の奥深さ
②校正の未来
①校正の奥深さ
単なる間違い探しではない、というのが本著を読んで感じたところです。
「正しい表現」に越したことがないのは当たり前だけど、それが「著者の意図」とは違うとしたら、例えばひらがなで「さぼる(語源からすると"サボる"が正解)」と書くのは許容すべき?
「校正がなくとも本は作れる」とは言いつつ、こういった配慮が行き届いていないと、読者が本を読む目的(正確な情報だったり、感動だったり)を減殺する結果にはなるよな、と。
その立ち位置を間違えると、「的外れな鉛筆、出過ぎた鉛筆」になってしまう。校正者とは本全体のアドバイザーでもあるのだなと感じました。また同時に、校正者→著者の片想いの関係性はちょっと切ないなと。
②校正の未来
出版社が本にかけられるお金はどんどん減ってるのでは?が外野から見た感覚で、校正者というお仕事の未来も決して明るくはないのかなと思いました。
とは言え、「単なる間違い探し」部分をAIにアウトソースして、大量に見つかった間違いを著者に伝えるべきかを判断する仕事のスピードが上がるなら、校正者の付加価値は生きてくるのでは。
(あるいは、校正者の判断基準をAIに取り込んだら新しいサービスが生まれますが、それによって市場が破壊されてしまって、例えば全く新しい形式の情報をチェックしないといけない際に、校正者が生き残ってない…みたいな事態が想像されます。)
紙→電子の流れに伴って、「刷ったらもう直せないからキッチリ校正する」というロジックが弱くなってきているのも校正という立場からは悩ましいところ。
インボイス制度導入なども見据えると、かなり絶望的な感じがしますが、ノウハウが途絶えないことを祈りつつ、消費者の立場から少しは出版業界に貢献(この表現はおこがましいですね…)していけたらなと思います。
校正という未知のお仕事の「背骨」の部分を学ぶことができる、面白い1冊でした。 -
完璧であることがデフォルトで、一つも落とさないことが至難の技である、校正というお仕事。
ああ、これは私には無理だなと思った(笑)
単に、誤字脱字を見つけるだけではなく、ファクトチェック(事実かどうか)を調べる。
調べることよりもまず、引っかかるかどうか。
牟田さんが、他者が赤入れしたゲラを読みたいと思うのは、自分にはない「引っかかり」を知りたいかだ。なるほど、と思う。
読むこと、距離を置いて読み返すこと、引っかかること、調べること、考えること、直すこと、直さないこと。
この仕事が持つエッセンスは、すごく学問的なんだなぁと感じた。
それから、他人の書いたものに手を入れる、ということの、躊躇もなんとなく、分かる。
書いた人の現したかったもの、その息遣いを、自分が掻き消してしまわないかと思ったりする。
それでも、仕事だし、と密やかに声をあげる牟田さんは、いいなあと思う。
オビには人気校正者とあったのだけど、校正者として人気であるとは、どういうことを意味しているんだろうか?
仕事が正確ということだろうか?
仕事への姿勢ということだろうか? -
〈本を読む仕事〉という、一冊の本ができあがるまでに大きな役目を担う校正・校閲の仕事。今日も校正ゲラをくり返し読み込み、書店や図書館をぐるぐる巡り、丹念に資料と向き合う。単に字の間違い、誤植の訂正だけではなく、内容まで踏み込んでのどこまを「校正の範囲」とするのか悩ましい問題にぶち当たる。
短歌を詠う時でも悩むことだが、同じ言葉でもひらがなかカタカナ、漢字かアルファベットか、表記によってイメージは異なる。カボチャはカンボジア原産で辞書の見出しは「カボチャ」。料理本で、「肉じゃが」とくれがば「カボチャの煮物」でゃなく「かぼちゃの煮物」と書きたいもの。「サボる」と置けば目立つけど「さぼる」と書けば薄らいでしまう。(「サボる」は元々『サボタージュ』の「サボ」を動詞化したもの)。著者の表現なのか単なる間違いなのか著者の気持ちになって校正をしていく、大変な仕事です。
この春、岸和田の短歌会で短歌を発刊したのですが、その歌集づくりにおいても、何度も何度も校正を繰り返して、作者本人が居るのだから本人が全責任をもてばそれで良いのではと思っていたのですが、校正という作業がいかに大事なことと理解致しました。
それを裏付けるのが「辞書」、学生時代よりも引く機会は増えたのですが、持ち合わせてないのが「広辞苑」と「大辞林」、どちらも欲しくなりましたな・・・・。