妊娠を考える ―〈からだ〉をめぐるポリティクス (NTT出版ライブラリーレゾナント)

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  • NTT出版
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  • Amazon.co.jp ・本 (304ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784757141643

作品紹介・あらすじ

不妊治療、出生前診断、人口政策など、出産に関わる文化、経済、政治について医療人類学の見地から深く考察する。

感想・レビュー・書評

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  • 495.5-ツゲ  300152915

  • 出生前診断の章があったので、借りてきていた本。けっこう厚く、字が多く、読めるかな~と思っていたが、読みはじめたらおもしろくて、一晩で読んでしまった。著者は、量的データも見つつ、質的調査を続けてきていて、その一つひとつの事例の紹介に際しては、自分自身を通した問いかけがあり、そのときどきに感じたことが率直に書かれていて、読んでいてその姿勢に好感をもった。

    ▼この本では、「赤ちゃんが生まれること、生まれないことがその社会や文化においていかに意味づけられ、それが一人ひとりの女性の人生にいかに作用するか」を紹介しながら、妊娠・出産、避妊や中絶、そして不妊をめぐる政治、経済、社会・文化について、いろいろな軸から読み解いていきたいと思っています。(p.v)

    ▼この本は、子どもを妊娠すること、出産することに関わる医療や生命科学の発達が、それぞれの社会や文化において、いかなる問題を解決しようとしているのか、その応用によってどんな新たな課題や問題をもたらすのかについて、医療人類学や社会学、女性学/ジェンダー論、生命倫理学などのアプローチを用いて、答えようとするものでもあります。
     さらに、数多くの社会問題の中で、科学技術によって解決しようとする課題や問題はいかに選ばれるのか、なぜその課題の解決が必要だとされ、それ以外の課題は生命科学や医療の対象として見向きもされないのか。それについても考えようとするものです。(p.vii)
     
    ▼本書で取り上げるテーマのほとんどは「善悪」「賛否」で切り分けることは困難ですが、女性の語りに寄り添って話を聴いた後で、少し距離を置いて、それがなぜなのか、ではどうアプローチしたらよいのかといったことについても考えていきたいと思います。女性が子どもを産むこと、産まないこと、あるいは産みたいのに様々な理由によって産めないことは、この社会においてどのようにみなされているのか、それが医療の選択や医療技術の発達といかにつながっているのか、そして、女性の人生にいかに影響しているのかを考えていきましょう。それは、私たちが生きているこの世界を、これからどうしていきたいのかを構想する手がかりになるのです。(p.xii)

    出産が医療化されていった、つまり、ほとんどの女性が自宅で産んでいたのが、1960~70年代以降はほとんどが病院で産むようになったということは、過去にもいろいろ本を読んだりして知っていたが、中絶の合法化が出産の医療化に大きな影響があったという話は新鮮だった。

    戦後、1948年に優生保護法が施行され、条件付きで不妊手術と人工妊娠中絶ができるようになった。この時代には避妊の知識や手段が普及していなかったので、望まない子を避ける確実な方法は中絶だった。

    ▼妊娠・出産では病院や診療所に行かなかった女の人も、中絶するのに産婦人科へ行きました。当時、結婚していてすでに子どもが何人もいて、経済的な理由から中絶を受ける女性が多かったのです。妊娠出産は今でも保険の適用外ですが、国民皆保険制度が導入されたのが1961年のことですから、それ以前は、病院に行くということは特別なことでした。(p.58)

    出産の医療化は、お産がどうのとか産婆さんの話をまとめた本などでは管理が進んだと問題視されることが多い。そのことには著者ももちろんふれているが、医療化した一番よい点は、緊急の手術が必要な場合などに赤ん坊や母親を救命できることだと書いてあるのも、そうやなと思った。不治の病だと恐れられた結核が「治る病気」になったことも、医療の力を人々が心に刻んだできごとであろうというのも。

    医療の力がなんでもいいようにしてくれると人々が思ったように、原子の力が登場したときにも多くの人はいいようになると思ったのかもしれない。

    この本では、出生前診断にまつわるいろいろについて考えるのと同時に、なんで「子どもをもつこと」を目標にする技術が発達し、それが受け入れられていくのか?を考えている。代理出産や、卵子・精子の提供によって"自分たちの子"を持とうとする技術とそれを使って子どもをもとうとすることは、ニュースなどで聞くたびに、"自分たちの子"って何なんやろう?とよく思っていた。そこまでして、もうけようとする"自分たちの子"という思いの根っこは、やはり血なのか?とも思っていた。

    そうした技術をつかった人、それで妊娠した人、しなかった人…そのインタビューを読みながら、「医学モデル」というのは、能力の個人モデルにどこか似てるなと思った。

    ▼医学的モデルに基づいて、何日周期で排卵する【はず】、薬を投与したらこう反応する【はず】、こういう技術をつかったらこうなる【はず】と考える医学の論理が、すでに「自然な身体」から外れているとみなされた人を追い詰めていきます。そして、努力せざるを得なくなる。努力すれば報われるはずなのに、そうならない。そんな構造が不妊と不妊治療をさらにつらくしているのだと思います。それは医療化についての論文が指摘するように、医療が異常な状態から正常な状態に「治す」というメッセージがもたらす功罪ともいえるでしょう。(p.288、【】は本文では傍点)

    不妊治療を何度もやって「あきらめたいのにあきらめられない」という言葉。医者はうまくいかなかった原因を医学的に説明しているつもりなのだろうが、「基礎体温が二層になってない」とか「精子の状態がいまひとつ」といった説明を受ける側は、自分の身体が悪いという気持ちになる、という指摘は、わかる気がした。「自分の体外受精の腕が悪かった」と言う医師はあまりいないという指摘も、こうした医学モデルが、操作の対象はあくまで患者やと思ってることを示していると思った。素朴に「うまくいかないのは患者のせい」「うまくいったのは自分の腕」と医者が思っているだけかもしれないが。

    不妊治療にかぎらないが、すでに「当たり前」と思われている治療法と、それを後ろ盾する医学の力はなかなかに強く、それ以外の選択をすることは、かなり難しい。そして、治療の対象となってしまったら、あきらめずにがんばることが強要される感じ。

    「様子をみましょう」と時間をかけていくことが減ってる感じがするのは、医者のせいばかりではなくて、「早くどうにかして」という患者の要求もあるのだろうし、例えばリハビリ治療にオカネを出してやるのは原則180日というように、医療保険制度とオカネの誘導もあるのだろう。

    著者は、あとがきで、この本では十分に書けなかったことを二、三あげている。それも、ぜひ時間をかけて、次の本を出してほしいと思う。

    (7/24了)

  • 私の授業をとらされている全ての学生さんに是非一読頂きたい本。代理母は「子どもを産めないかわいそうな女性のために子どもを与えてあげる」という精神的に優位な位置に立っている(=代理母は経済的な「弱者」である一方で、「産めない女」を憐れみ助ける位置にいる)(ともに193頁)とか、結婚している女性は産むのが当然で、結婚していない女性は産むべきではないという日本に根強い考え(296頁)など、要所要所にぴかりと光ることばを数々発掘できて、読んでいてすごくわくわくできる。

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著者プロフィール

明治学院大学社会学部教員。専門は医療人類学。東日本大震災後女性支援ネットワークの調査チームメンバーとして「支援活動の経験に関する調査」と「『災害・復興時における女性と子どもへの暴力』に関する調査」に携わった。

「2016年 『BIOCITY ビオシティ 67号 災害とジェンダー』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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