- Amazon.co.jp ・本 (408ページ)
- / ISBN・EAN: 9784758437899
作品紹介・あらすじ
前漢の中国。大きな戦果をあげてきた大将軍・衛青を喪った漢軍は、新たな単于の下で勢いに乗る匈奴に反攻を許す。今や匈奴軍の要となった頭屠の活躍により、漢の主力部隊である李広利軍三万はあえなく潰走した。一方、わずか五千の歩兵を率いて匈奴の精鋭部隊が待つ地に向かい、善戦する李陵。匈奴の地で囚われの身となり、独り北辺の地に生きる蘇武。そして司馬遷は、悲憤を越え、時代に流されようとする運命を冷徹な筆でつづり続ける-。北方版『史記』、慟哭の第五巻。
感想・レビュー・書評
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北方版「李陵」であることは公表されているので、そのつもりで読んでいる。だとすれば、この巻がクライマックスになるはずである。どうしてあとニ巻も残っているのか不思議なくらいである。
李陵は遂に匈奴と全面対決をして捕らえられ「族滅」(武帝の逆鱗に触れ一族皆殺し)を受けて、慟哭する。
司馬遷は李陵を擁言し宮刑(睾丸を抜き取られる刑)を受け、慟哭する。
匈奴に捕らえられた蘇武はバイカル湖の畔で哭くことなく独り三冬を越す。
漢(おとこ)は、それでも立ち上がる。どのように立ち上がるのか。それがこの小説の最大の見せ場である。
自分は生きている。漢の李陵は死んだが、匈奴の李陵として生きている。そして、男としての誇りも、失っていない。
男らしく生きたかっただけだ。そのために、幼いころから武技を磨き、軍人になった。もっとも男らしく生きられる場所は、そこだと思ったからだ。
戦に出るのは、死ぬことだ、と教えてくれたのは、祖父の李広だった。祖父は自裁というかたちで死んだが、それもまた戦だったのだ、と衛青は言った。
男らしく生きられる場所が、いまはもう、ここしかなくなった。(356p)
日々は過ぎていく。
なぜ死ねないのか、ということも、少しずつわかってきた。男ではなくされた。しかし、心の男まで失っていない。心の中の男は、志を持っていた。憤りの中で死んでいった、父から受け継いだ志である。
(略)父が記述したものを、再び読み返した。自分が記述したものも、読んだ。
なにかが、足りない。そう感じた。
それからは、足りないものがなにかを、見つけようとする日々になった。
もっと、いいものが、書ける。書けるはずだ。ただ記述すれば、人は感情に左右される。思いこみたい、という欲求もある。しかし、それは歴史の記述ではない。(184p)
「生き延びたのか、蘇武」
「ああ」
「羊も、食わなかったのだな?」
「食わない。あれが仔を産んだら、俺は帰れるのだから」
「雄が仔を産むかよ」
「産むさ、いつか」
捜牙支は、呆れたような顔をしていた。(略)
それから捜牙支は穹盧の中を見回した。
「こりゃ、大したもんだ。これだけできるとはな。まあ、俺は望みはない、と思っていたんだが」
「運がよかった」
「運だけじゃねぇさ」(164p)
そして、武帝は独り老いてゆくのである。
2014年1月20日読了詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
1~5の中で一番面白い巻。動きとしてはそんなに大きなものはないのだけど、司馬遷、李陵、蘇武、劉徹それぞれの闇が明らかになり、そしてそれぞれのやり方で許容・克服していく様が面白い。特に司馬遷の私見を混ぜず、私見を言わず、職業人として「歴史を記述すること」に徹する姿勢が逆に小気味よい。
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司馬遷、蘇武、李陵、それぞれがそれぞれの場所でこれまでと違った輝きを放ち出す。
しかし、ついに出た。
中国史では必ず出てくるゾッとする刑罰。 -
図書館で借りて読んだ。
蘇武の生活に憧れる。 -
ストーリーは退屈。
でも李陵がとても魅力的に描かれていた。 -
想像を絶する不幸や災難、理不尽に直面してもなお、自分の中にある芯を貫いて生きていく男達のなんと格好良いことか……。
でも、これを成し遂げることがこの世に生をうけた意義なんだ、って信じられるものがあると、強くなれるんですよやっぱ。さて6巻。 -
盛者必衰の理あり。
トップにというのはあれだが、長くトップに立ち続けてしまうと、国だろうが会社だろうが、疲弊してしまう。
そして、有能な人がどんどんと去っていってしまう。
漢は劉徹は今後どうなるのか…?
李陵、司馬遷、蘇武それぞれがそれぞれの思いを抱いて、生きていく。
彼らの生きざまも注目していきたい。