キリスト教成立の謎を解く: 改竄された新約聖書

  • 柏書房
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感想 : 7
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  • Amazon.co.jp ・本 (350ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784760138722

感想・レビュー・書評

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  • 「捏造された聖書」が良かったので、続編として読んでみて、現在のキリスト教の教義である三位一体説を歴史の流れとして理解できた気がした。

    (1)初期キリスト教時代に、イエスは神でなく人間である養子説、キリストは神であり人間でない仮現論、人間のイエスと神であるキリストは分割されているというグノーシス派など、数多くの流派が覇権を争っていた。
    それら流派を打ち倒して、ローマ・カトリックが主流派となった歴史がある。
    そういう異端を打ち倒してきた歴史の中で、イエスは神であり人間でもあるという三位一体説が確立されたので、とても分かりにくい理論になってしまったわけだ。

    (2)面白いと感じた一節は、ヨハネの福音書が作られた背景を推測したお話。
    ヨハネの福音書では、他の福音書と違って、イエスが神性を持つことを明確に記載しているが、なぜそのような記述になったのか?

    (2-1)概略としては、ヨハネの福音書を生み出した共同体は、元々シナゴーグに属していたが、イエスがユダヤのメシアである信仰を持ち続けたために、シナゴーグから去ることを強いられて、独立した共同体を作った。
    しかし、彼らはこのいきさつについて、自分達自身を納得させる理由を持つ必要があった。

    そこで、この新しい共同体では、真実を知っているのは自分達だけで、他の共同体にはその真実は見えないのだ、だから、我々の共同体だけが真実を知っており、天から降臨したイエスだけを知っている、その他の共同体にはそれが見えないのだ、と。

    (2-2)学者は、そういう背景を元に、ヨハネの福音書にある「人間味のあるイエス」の物語、つまり「低いキリスト」は最古の言い伝えであり、一方、「神であるイエス」の物語、つまり「高いキリスト」は彼らの共同体が体験した言い伝えに基づく新しい伝承である。
    それら二つの伝承が混じっているので、この福音書はイエス像の落差が激しく、分かりにくくなっている、とのこと。
    つまり、学者は、ヨハネの福音書を生み出した共同体の歴史を再構築することによって、理論として提示した、というストーリー。
    このストーリーは、まさに、心理学・社会学などの知見をフルに使って、そういうストーリーを再構築したのだろう、と思わせて、非常に面白かった。

  • キリスト教会(カトリック)が、いまの形になるまでに、さまざまなキリスト教があったこと、それらの間で、生き残りをかけた「戦い」があったことを、新約聖書や初期キリスト教会文書の研究から明らかにする。

    面白いのは、カトリックとして統一されたキリスト教は、イエスの教えや、初期キリスト教を確立したパウロの教えとも異なるものになったのではないかという点。確かに、三位一体は、聖書にはない。著者によると、天国と地獄ももともとは無かった概念だという。

    とかく宗教は極端になりがち。イエスの神性を重視する人たちは、神性を重視するあまり、肉体を持ったイエスを遠ざけてしまう。一方、ユダヤ人だったイエスを重視する人たちは、異邦人にもユダヤ人であることを押しつける。4つの福音書も、別々のグループの主張が響いているという。イエスの神性を重んじるヨハネ。ユダヤ人であることを重んじるマタイ。見捨てらて、捧げられる子羊としてのイエスを描くマルコ。神に守られて最期まで平静を保つイエスを描くルカ。確かに、違うよなぁ。

    カトリックにつながる初期正統派が、この4つの違うイエス像を、省くことなく残したのは、アリストテレスの中庸を重んじる思想が関係しているのかもしれない。そして、この中庸から、なかなか理解は難しいが、教会を支えることになった三位一体などの教義が確立していったのったのかもしれない。

    ニューヨーク9/11からはじまった21世紀は、まさに、原理主義、極端・エクストリームになりがちな時代に、中庸の知恵が求められているように思う。

  • 聖書自体、ほとんど読んだことはなかったが、それでもその成り立ちについて学術的かつ中立的に説明が書かれており、勉強になる。
    聖書の矛盾点、成立にかかわる諸説が整理されているので、内容を理解するのに役立つと思うが、そもそも聖書自体に興味がない人にはチンプンカンプン。キリスト教信者にとっては聖書を否定されたような気になってしまい、拒絶反応が出るのではないかとも思う。そういう意味では、かなりニッチな読者層向けと言える。
    本気でキリスト教を信じている人たちが、本書を読んだときにどのように思うのだろうか?否定、拒絶、矛盾、容認…いろいろな感情が想像される。
    聖書に限らず、あらゆる宗教のよりどころとされている各種の書物(仏教の経典とか)についても、このように冷静な視点から分析されているものが出てくれば良いのにと思う。
    そういった意味では、キリスト教の奥深さ、強さがあるのかもしれない。

  • まえがき
    第一章 信仰に突き付けられた歴史的挑戦
    第二章 矛盾に満ちた世界
    第三章 山積する様々な見解
    第四章 誰が聖書を書いたのか?
    第五章 嘘つき、狂人あるいは主?歴史的なイエスを求めて
    第六章 いかにして私たちは聖書を手に入れたのか
    第七章 誰がキリスト教を発明したのか?
    第八章 それでも信仰は可能か?
    原註
    訳注
    翻訳にあたり参考にした文献
    訳者あとがき

  • 新着図書コーナー展示は、2週間です。通常の配架場所は、3階開架 請求記号:193.5//E36

  •  「捏造された聖書」の著者によるキリスト教と聖書の成立について
    の考察。テキストを客観的、歴史的に評価判断する「本文批評」の
    威力。
     
     私にとっては今までの確信を補強するような内容だったが、中には
    この本を読んでショックを受ける人もいるのだろうな。まぁ日本人には
    いなさそうだけど。

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