差異の王国: 美学講義

著者 :
  • 晃洋書房
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本棚登録 : 49
感想 : 6
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  • Amazon.co.jp ・本 (133ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784771024502

作品紹介・あらすじ

色も変る。心も変るときがある。芸術がわかるとはなんと多様な、日々だ!ゴッホの自画像に扮した森村泰昌の作品を見たあとで、元のゴッホの自画像を見ると、思わずゴッホが「森村している」と感じてしまった人がいる。

感想・レビュー・書評

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  • 「芸術がわかるとは違いがわかることである」ということが、例を挙げつつ丁寧に説明されています。芸術に触れた経験が少ない私でも納得できました。
    後半は哲学による説明で、かなり難しく理解不十分。これから勉強します。

  • 「差異の王国」とは「芸術」のこと。「芸術とはなにか?」という根本的な疑問に対する著者なりの美学的な返答である。大学での講義を想定して書かれているため、具体的でわかりやすい書かれ方をしている。芸術に対するひとつの(しっかり美学的根拠に基づいた)観方として勉強になる。

  • 借り物

  • 個人的な話から始めますが、十代のころ、芸術に引かれながらも、とまどいがちだったことを思いだします。

  • 最後のベルグソンの話が出てくるあたりから難解になったけれど、それまでは、なるほど、と思いながら読んだ。音楽の違いの話をされるとよく分からないと思う部分も、文学や絵画の話に敷衍されれば納得できる。
    あと、本筋ではないけれど、「純粋階段」「超芸術」という言葉に惹かれた。(多分、大学生の時にも聞いたことがあったと思うけれども、忘れていた)何の役にも立たない、純粋なる階段。それはなんと甘美な響きだろう。それなら人間は? 純粋なる人間。人生の目的だの、生きる意味だの、そんな小難しいことを取っ払って、ただ人間であること。何の役にも立たないことは負の意味を持つけれど、本当にそうだろうか。そんなことを考えた。
    それから、どうでもいいことかもしれないけれど、河野裕子の「たんぽぽのぽぽのあたりをそっと撫で 入り日は小さき光を収ふ」の「ぽぽのあたり」は、黄色い花びらの柔らかい部分だと思う。

  • 貸し出し状況等、詳細情報の確認は下記URLへ
    http://libsrv02.iamas.ac.jp/jhkweb_JPN/service/open_search_ex.asp?ISBN=9784771024502

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著者プロフィール

1950 年香川県生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。同大学院文学研究科美学美術史学
専攻博士課程単位取得満期退学。京都大学文学部助手、大阪芸術大学助教授、東京芸
術大学専任講師、京都大学大学院人間・環境学研究科教授などを経て、現在、京都市
立芸術大学客員教授、高松市美術館館長。文学博士。前美学会会長。著書に『漂流思
考─ベルクソン哲学と現代芸術』『ベルクソン─〈あいだ〉の哲学の視点から』『空海
と日本思想』『まず美にたずねよ―風雅モダンへ』など

「2016年 『講座スピリチュアル学 第6巻 スピリチュアリティと芸術・芸能』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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