多崎つくるはいかにして決断したのか: 村上春樹「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」を読む
- 晃洋書房 (2014年2月1日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (129ページ)
- / ISBN・EAN: 9784771025158
作品紹介・あらすじ
あの『多崎つくる』をもう一度読んでみたくなる!ハルキスト待望の『多崎つくる』論。
感想・レビュー・書評
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2017/3/5読了
『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の旅』の考察本。
、本を読んでからだいぶ経つので、読み返してからこの本を読むべきだったのかな。
村上春樹の著書のミソは、深読みと解釈を合理化することだと思う。
なので、哲学(ハイデッガー)と結び付けてつくるの心情を探るのも
著者の深読みに過ぎないのだ(怒られるかもしれないが、村上春樹の解説なんてだいたいそこに落ち着いてしまう。)
つくるが死の淵からいかにして活力を得て復帰したのか。
ここがこの著者が最も解きたかった部分だろうと考察する。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
「運命」というのは、神さまが決めた「定め」のことではない。己の存在の内に、層をなして塗り重ねられているもの。ふだんは意識されていないこの「存在の襞」を自覚的に引き受けなおすことだ。
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村上春樹は大好きだけれど、こういった考察本の類はほとんどよんだことがなかった。もう一回読もうかな。春樹の長編で一度しか読んでいないのはこの本だけだ。
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時間性という言葉は時間の本質を問う時に必要となる言葉。。
人は絶望の真の理由を知らない。わかっているのはいつも人を絶望の淵へと追いやったきっかけだけだ。
現実逃避は自分自身からの逃避でもある。何かに絶望しているとき、本当は人は自分自身に絶望しているのだ。
もし自らの精神の内に逃げ込むことが自由の全てであるのならば、自由というのは人生における一時的な避難所を意味することになる。
絶望するのは人間の精神である。生命は絶望したりしない。それゆえ、自分では絶望の淵に沈んでいるつもりでも、その一方で精神の絶望状態をよそに、命はその営みをもくもくと続けているのである。
人生におけるすべてのことが、偶然のまま、時の流れに消えてしまうわけではない。消えずに自分のうちにとどまり、己の存在をなすものである。 -
「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」の主人公多崎つくるに焦点を当てています。物語の最初の場面に主人公は、死ぬことだけを考えて生きていました。この絶望の状態になっている時の主人公の思いについて掘り下げて主人公の心情を読み解く。これ以外にも物語内容について探求しています。(外国語学部・外国語専修)