- Amazon.co.jp ・本 (131ページ)
- / ISBN・EAN: 9784773814149
作品紹介・あらすじ
「マッチョ」の意味をまだ知らない日本人は多いかもしれない――
「娘/子どもと話す」シリーズ第21 作!
「マッチョ」って、筋肉モリモリの人のこと? いいえ、もっと幅広い問題を含んだ言葉です。本書では、女性が権利を獲得していく歴史から、トランスジェンダーのこと、男女の役割分担のあり方、母親・父親の役割、宗教の関わり、女性器切除、男女平等への歩み、法律の変化、現在の男女不平等、フェミニズム運動、中絶、性教育、売春についてなど性をめぐるさまざまな問題を、姉と弟が率直に、幅広く語り合います。
日本ではまだまだ女性は知らないうちに男性の欲望をかなえる方向に動いてます。気づいてても、そういうものなんだろうしな~と波風を立てないために仕方なくやってるときもある。だけど時々「あれ?」と思うのです。この違和感は何だろうと。
-内田春菊 解説より
感想・レビュー・書評
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力強いです。社会が変わるのを待つより自分が変わるしかないのか
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「生物学的なことでわたしたちの人生が決まるわけじゃない。自然はあらゆる点でよき指針とはかぎらない。もしも仮に生物学的なメカニズムにあわせなきゃいけないとしたら、中絶やピルは…」
そもそも、何世代にも渡って固定的役割分担に養成されていたら、身体に影響がないなんてあり得ないっていう考えは面白い。
その影響された身体が自然ということであれば、そりゃそっちの歴史のが長いし前時代的な感じになるってことなのかな。
私には読みやすいとは言えなかったけれど、勉強になった。 -
著者と弟の素朴な会話のやりとりで、男女についての様々なことが語られていた。
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姉と弟の対話形式で語られる本。
「もともと男は狩猟、女は家を守る云々」「男は強く、女は弱い」とはよく聞くけど、「そう何千年も刷り込まれてきたから体つきに影響したのでは」みたいなことが書いてあったのが新鮮だった。明らかにするためにもう一度読みたい。
そういえばスパルタの女性は戦闘訓練受けてたから体つきが違うとか、どこかで読んだような気もする…。 -
(8/26一読、11/11二読)
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フェミニストである著者と弟の対話形式でつづられるフェミニズム入門、というかさわりかな。
読みやすいような読みにくいような。
親しみやすい書き方だけど、つくりは不親切。
本当にまったく知らない人にはわかりにくく、多少の知識をもっている人には得るものが少ない。
フランスの人が書いたものだから、日本しか知らない私にはぴんとこない部分が多い。
たとえば言語のジェンダー。
フランス語には男性女性があってうんぬんとか、女性は既婚未婚で敬称が違うとか。
雑学として知ってはいても身に付いているわけではないから、著者が意図する「気づき」にたどりつけない。
「今まで疑問に思わなかったけど言われてみれば…!」ではなく「ヨーロッパ語めんどくせえ」としか思わないや。
そもそも訳が適切ではないような気がする。
タイトルの「マッチョ」は日本語では単純に「筋肉ムキムキ」を意味する。(と思う)
そこに本来の意味を持たせようとすると、一般的な意味なのか社会学的な意味なのかまぎらわしくなってしまう。
ほかにも「女性サラリーマン」という変な言葉がでたり、下の方の階級を表す言葉が「下町」だったり、大陸の話なのに「海外」という言葉がでてきたりする。
話し言葉が「~だわ」「~なのよ」などの女言葉じゃないのは気をつけている風なのにな。
言葉の選び方もしっくりこないけれど、本当に嫌なのはヨーロッパ人の上から目線。
きちんと書かれている部分もある(イスラム教イコール女性蔑視ではないよとか、ヨーロッパだから進んでいるとは限らないよとか、同性愛のこととか)けれどナチュラルにマジョリティ臭が漂う。
フランスしか知らずにアジアアフリカを下げたり、「イタリアスペインより進んでいるはず」のフランスに遅れている部分があることに驚いて見せたりする。
フランス人が読めば発見があるのかもしれないけれど、私はひいた。
「島国根性」的な感覚って大陸にもあるんだな。
で、シリーズ名は「子どもと話す○○」。
べつに子供と話し合う教材にしましょうという作りでもないのに。
後ろにある既刊タイトルは「子どもと」もしくは「娘と」。「息子と」は載ってない。
ジェンダーに気づこうというコンセプトがタイトルで見事に台無し。