- Amazon.co.jp ・本 (349ページ)
- / ISBN・EAN: 9784775401002
作品紹介・あらすじ
『文学とは何か』から数えること約20年-。あいまいなまま使われる「文化culture」という用語を徹底検証。政治性を失いつつある現代の「カルチュラル・スタディーズ」にもっと政治的になれ、と警鐘を鳴らす。
感想・レビュー・書評
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日本語訳が出版された時にまた「やられた」という感じを受けたが当時は研究するモチベーションがひどく落ち込んでいた時で,ライヴ通いばかりしていた頃。もちろん,読書だけは欠かさずしていたわけだが,本書はあまりに私の研究に直接に関わってくるために,この時期に読むのは避けていた。というか,この頃はあまり書籍代もケチっていた頃で,読まずにいた蔵書を片付けていた次第。なので,本書の価格もさらに読まない理由にしていた。とりあえず,Amazonの「ほしい物リスト」に入れておいて,中古品が安くなったら購入しようと思っていた。
ようやく数年前に多少安い物が出ていたので購入し,読み終わったところ。一方,イーグルトンの本は『ポスト・モダニズムの幻想』の日本語出版が1998年,『アフター・セオリー』が2005年に出て,一応読んでいるが,なんとなくパッとしない印象を受けるようになった。その後も彼の著書の翻訳は続くが,自伝なども出すようになり,そろそろ晩年かと思いきや,ここ数年で立て続けに魅力的な本を世に出している。さて,2000年に原著『The idea of culture』として出版された本書はどうだろうか。まずは目次から。
第1章 文化の諸相
第2章 危機にある文化
第3章 カルチャー・ウォーズ
第4章 文化と自然
第5章 共通文化に向けて
文化の語源が,耕作するとか,動植物の世話をするとかいうところからきていることは知っていた。それが人間を養う意味にも転化していくわけだが,教え養うという意味での教養を意味するようになる。つまり,はじめは隠喩として,生物学的な表現,すなわち自然を表す言葉が,人間に適用され,次第に自然とは対極にある意味を獲得したという。そのちょっとした発想にさすがイーグルトンと納得させられた。つまり,文化は今日自然と対比する言葉となっているが,近年の文化論者はその文化/自然という二元論を克服すべき議論をしていたが,改めて語源を再考すれば,この二元論がいかに「文化的」なのかがよく分かる。
さて,『ポストモダニズムの幻想』の時もそうだったが,イーグルトンは近年支配的になっていく社会構築主義的な思想にも一定の距離を取る。何でもかんでも社会の構築物とすることは,すなわちそれが自然なものではなく人為的な,言い換えれば文化的なものとみなすことだが,これもが行き過ぎると自然主義と同じ考えに陥ってしまうという。イーグルトンの立場は,いかにわたしたちの生活の多くの側面が人為的な,ある意味「第二の自然」的なもので満たされたとしても,自然的なものは残されるという。その典型がわたしたち人間でも避けることのできない「死」である。まあ,こうして私の拙い言葉に置き換えてしまうと,当たり前のことに思えてしまうが,イーグルトンの語り口はとても刺激的である。
最終章では英国人らしく,英国人の文化論者であったT.S.エリオットの詳細な検討が含まれ,ちょっと理解しづらくなってくる。そして随所でレイモンド・ウィリアムズも登場する。また,本文では文化概念を大文字の文化と小文字の文化などと分けて議論するところもあり,この議論はウォーラーステインの『ポスト・アメリカ』にもよく似ている。また,最終章の議論は西川長夫の『国境の越え方』にも近かったりする。まあ,ともかく文化の研究者には必読書であることには間違いない。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
[ 内容 ]
『文学とは何か』から数えること約20年―。
あいまいなまま使われる「文化culture」という用語を徹底検証。
政治性を失いつつある現代の「カルチュラル・スタディーズ」にもっと政治的になれ、と警鐘を鳴らす。
[ 目次 ]
第1章 文化の諸相
第2章 危機にある文化
第3章 カルチャー・ウォーズ
第4章 文化と自然
第5章 共通文化に向けて
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