暇と退屈の倫理学 増補新版 (homo Viator)

著者 :
  • 太田出版
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  • Amazon.co.jp ・本 (440ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784778314378

感想・レビュー・書評

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  • 前書きからめちゃくちゃ面白くて2章くらいまではバーッと読んだものの、それ以降は似たような話を、ちょっとずつ形を変えながら説明していて、だんだんくどいな…と感じた。
    しかし前半だけでも、人の真理を明かすというか、目から鱗がポロポロ落ちる話がもりだくさんでよかった…。

  • 年を取るにつれて感じる退屈感の正体は、環世界移動の頻度の低下であると思う。同じ場所に留まろうとする(安定と均整)のに快楽を感じつつ、退屈に苦しむ相反した二つの感情を同時に持ってしまう。それはひとえに、環世界を移動することが少なくなり、自らの強力な自意識の下に留まってしまうからだ。幼少期は何もかもが新鮮である(サリエンシー)ため、自意識の外で環世界を頻繫に飛び回ることができた。しかし年を重ねるにつれてその快感ループを阻害する要因(受験と部活など)が増えてきてしまい、その飛び回る感覚を忘れてしまう。「今何にハマってるの?」は「今どこの環世界を生きているの?」に言い換えられる。第一第三形態に逃げ込むのはそこそこに、第二形態で「待ち構える」姿勢と「浪費」することを大事にしたい。

  • 読了。人がより良く生きるとはどういうことだろう。何をしたらもっとより良く生きることができるのだろう。そんな問いを考えるヒントをたくさんくれる一冊。
    「贅沢を取り戻す」とは、なんと素敵な言葉だろう。「消費」ではなく「贅沢」(浪費)。終わりのない消費に身を投じて永久に刺激と欲求のいたちごっこをするよりは、しっかりと身体いっぱいに「贅沢」をする。そうして人が人として充実した生を送れるのだというのはとても納得。僕らは「贅沢」を敵視しがちな割には永久の消費レースにいとも簡単に身を投じてしまう。だから改めて、「贅沢」(浪費)について考えて、「暇と退屈」と付き合う生き方を身につけるべきなのだな、と思った。

    そして、「人はパンのみにて生きるにあらずと言う。いや、パンも味わおうではないか。そして同時に、パンだけでなく、バラももとめよう。人の生活はバラで飾られていなければならない」(p362)という箇所は、この本から得られる宝物。

  • 最近、友人が読んでたりで目にすることが多かったけど10年前に出版された本なのか。とても面白かった。ここ数年で人生は楽しむものだっていうような考えが分かるようになってきたけど、今読めてよかったな。通読して、私の日常がとても贅沢で幸福なものだと改めて気付かされ、じんわり涙してしまった。

    分かりやすい語り口で、これまでの哲学者の議論受けて筆者が考察していく様を追体験できるようで、わくわくしながら読んでいた。自分だと素通りしてしまうような矛盾点にツッコミがどんどん入れられていて感動してしまった。笑

    退屈は苦痛だと言うけれど、やはりそのような人間的な悩みを抱けることはとても贅沢なことだと思う。どんな状況でも苦悩はあるだろうけど、自分なりに精一杯立ち向かいたい。受け取ること味わうこと贅沢すること、すごくありきたりだけど自分を満たしていくことが上手にできるようになりたいなと思った。

    「環世界」に関する話題はなんとなく自分で考えていたことがあったので、ぼんやりイメージしていたものをはっきり言語化してもらって眺め直すことができたのも面白かった。私が見ている世界とあなたが見ている世界が同じだなんて、思えなかったんだよなあ

    最後の「傷と運命」では「<責任>の生成」で触れられていたような議論がでてきて嬉しくなった。

  • 暇つぶしかどうかってのは、心動かすものに出会おうとする姿勢があるかどうかだろ、って思いながら読み進めていった。意外と同じ考えでちょっと嬉しい。記号や観念の受け取りである消費と、浪費の違いはハッとさせられる人も多いのでは。「広告は消費によって『個性的』になることを求める」っていうボードリヤールのパンチライン。個性的になりたい!と思って人と違うことをしようとする自分そのものやん!たしかに際限ないと思ってたけど!もともと個性があるんだから自分の色付けとして何かと向き合うのをやめてみる!心動かすものを受け取る気持ちだけ持って生きていくよ、うん。

  • 最後まで通読し、増補新版である付録の『傷と運命』でボロボロと泣いてしまいました。読んでよかった。

  • 『退屈は犯罪です』とうたうTVCMが流れている丁度その頃に、図書館で借りて読んでいた。
    図書館で借りたあと、購入して再読した。
    良い本だと思った理由は3つ。

    とても論述が丁寧であること。章末でそれまでの議論の概要をまとめたり、次章の議論との接続を整理したり、そういう構成・論述に助けられた。

    議論の幅が広いこと。想像以上に広かった。古今東西の思想を引いてそこから議論を展開するという意味での幅広さだけではない。人類にとって定住の始まりとは何だったのか、労働が合理的に管理されるようになったことの功罪、消費社会への違和感、ダニから見た世界。。。
    考えることや問題を掘りすすめることの手本として、学ぶところが多い。(こんなのは完全に偏見だけれども)哲学とは部屋にこもって沈思黙考するものと思っていたが、時に科学的探求を端緒にこうも幅広く思索するものなのかと考えを改めるきっかけになった。

    ぼんやりと湧いてくるもの、拭い去れないものに対するヒントであること。衣食住事足りて、健康にも恵まれて、それでもなお気晴らしを求めてあくせくしているがこれは一体何なんだろう。
    退屈が犯罪であるかどうかはさておき、それが人生における苦労の一端であるなら、その由来を深く探ることは意義ある営みだろうと思う。

  • 退屈ということに人生で初めて向き合ったかもしれない。

    特に印象的だったのは映画「ファイトクラブ」を題材にしたくだり。浪費と消費の部分だっただろうか。あらためて映画を見直し、タイラーダーデンの考えに魅了された。

    第二形式で退屈を埋めようとするけれど、浪費ではなく消費しているから、満足は得られることはなく、延々と消費を繰り返してはまた退屈に陥ってしまう。

    楽しみ、思考し、満足することがそこから逃れる一歩だということを強く実感した。

    といいながら、今もスマホに続々と流れ込んでくる消費を促す広告やダイレクトメールに目を通し、消費へ消費へと意識を持っていかれてしまう自分がいる。

    読む前と違うのは、スマホを見ながら「ああ、自分はまた消費しようとしている。これは違うぞ」と思うことができるようになってきたことか。

    少しずつ、消費の世界から浪費の世界へ、楽しみと満足の世界へと移行できるようになれたらいい。

    ファイトクラブを観るたびに、本著のことは思い出すだろう。実に名著である。

  • ハイデガー、ルソー、ドゥルーズ、ヘーゲル(コジェーヴ)、ボードリヤール、ユクスキュルなど、多くの哲学者や思想家の思考をまとめ上げて暇・退屈を論じた著作。
    さまざまな思想を軽快な語り口で批判しつつ、それらを乗り越えた暇と退屈の倫理学を提示する叙述の明快さは哲学書とは思えないほどに本作品を読みやすくしている。
    自分が退屈さをあまり感じることが無くなってからかなりの時間がたった気がするが、それは自分がある種の「楽しみ方の訓練」を日々の生活の中で意識して行い始めたからかもしれないと感じた。
    哲学入門としても非常に良著だと思う

  • 再読。
    初めて読んだ時よりも理解できて、面白く読めた。これからも何度も読み返したい本。
    パンだけでなくバラももとめよう。素敵な言葉。まだ自分の中では、分かったつもりになっている感じがします。

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著者プロフィール

東京大学大学院総合文化研究科准教授

「2020年 『責任の生成 中動態と当事者研究』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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