- Amazon.co.jp ・本 (211ページ)
- / ISBN・EAN: 9784791760435
感想・レビュー・書評
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山田うんさんのソロダンス「ディクテ」を拝見して、いつか読もうと思っていたらもう二年近く過ぎようとしていて、近々また、うんさんが来福されてソロダンスを踊られると聞いて「それまでには読まなければ!」と思い、やっと読めた…
読み始めてみると日本の韓国併合やら出てきて一瞬、政治的な本なのかと敬遠しそうになったが、よくよく考えてみたら社会的な動物である人間にとってあらゆるものは政治的に解決を迫られる問題であった。どうやってエッチをするかでさえも戦略的になる必要がある。
政治といえば支配と被支配である。まぁ〜わたしなんかは専ら支配される側であらゆる場面でこづかれまくって他人の言う事ばかり聞いている。それがため、時として鬱憤が溜まりに溜まって爆発、暴走してしまうことも多い。さすがに最近は歳をとってそんな元気も衰えては来ているが…
言葉が支配の道具であるというのは内田樹さんが書かれていたからうすうす知っていた。韓国出身のテレサ・ハッキョン・チャさんにとって、英語、フランス語を修得するということはそれら支配の道具を自らの身体に刻み込んでいくことだったのであろうか?
その彼女の書く文章はわたしを支配しようとするものでは全くなかった。どこか知らないところ、でも、そこには行ってみた方がいいようなところに誘い…連れ出してくれた。
たぶん、わたしが望んだところなのだろう。わたしが読んで彼女が語っているはずなのに、いつの間にかわたしが語っていたりする。そして、わたしは夢を見ている。本当に眠ってしまったことも何回もあった。睡眠不足だったのか?それだけではないような気がする。彼女の言葉がわたしの奥底にあるなにかに触れ、ノックするそして連れ出される。
映画館に入ったと思っていたら、いつの間にか身体内部を巡っていたりする。気味が悪いとかそういうのではない。むしろなんとなく穏やかである。ただ、日常的な逸脱ではないのでそこに至るまでのエネルギーは膨大なのであろう。繰り出される言葉、描かれる文字。おかれた図版等々すべてが圧倒的である。何度もヱヴァンゲリヲンの爆発シーンが目に浮かんだ。
解説にもあるように普通の本というよりも、一個の芸術作品なのだろう。すごかった…
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とても微細な振動をずっと与えられているような読書体験。
言葉のダブりに、常に「わたし」の言葉が疑われていることを思い知らされる。 -
難解…なのに、なぜか惹きつけられる。文学でもあり、詩でもあり、自身の、母のライフストーリーでもある。文章が錯綜するのみならず、複数言語(英語だけでなく、ハングル、仏語、伊語…)が介入し、その錯綜のなかに政治的に刻印された痕跡があることを知る…といった様相。筆者は、既に20年ほど前に30代の前半で暴漢によって殺されてしまっている。昨今のポストコロニアリズムの影響で、読み直しが進んだらしい。読む本、というだけでなく、パフォーマー、アーティストであった筆者の痕跡を文字で、あるいは写真のコラージュを眺める手もアリかも。個人的には難解で、未消化…というのが率直なところ。