解明される宗教 進化論的アプローチ

  • 青土社
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  • Amazon.co.jp ・本 (609ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784791765621

作品紹介・あらすじ

宗教は人類至高の精神的所産なのか?それとも不幸な軋轢をもたらす躓きの石なのか?現代哲学の重鎮デネットがついに宗教の謎と矛盾に取り組んだ。指向的構え、ミーム、信念の思考など諸科学の概念を駆使し、人類史の精神過程をあくまで科学的・論理的に解明する、瞠目の書。

感想・レビュー・書評

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  • 宗教は性選択とも異なるものであり、進化論ともかけ離れている気がします。
    宗教は拠り所的側面も大きく、科学だけではなく感情も入るものだからです。

  • 金大生のための読書案内で展示していた図書です。
    ▼先生の推薦文はこちら
    https://library.kanazawa-u.ac.jp/?page_id=18451

    ▼金沢大学附属図書館の所蔵情報
    http://www1.lib.kanazawa-u.ac.jp/recordID/catalog.bib/BB03094828

  • 宗教を自然的な現象として科学的に研究しようという姿勢の本なのだが、著者が冒頭で述べている通り宗教というよりアメリカの社会(と福音主義だよね?)という狭い世界が中心の話になっていると思う。特定の宗教界からの反論をなだめようとする第一部が長い長い(笑)

    第二部のミーム論で宗教の誕生と発展を見ていくあたりは面白かった。
    自然現象に誰かの行為の意図を想定する能力から始まり、自分の知らない重要事項を知る、父のような存在を想定すること、その存在とかかわるための儀式が生まれる。被催眠性の高さという適合因子があったり、儀式の存続性を高める集団や繰り返し、リズムといった継承されやすい形態が洗練されていく。集団の統制と宗教の相性の良さから、それは結び付いて管理者のもとで発展することになる。

    宗教の価値について論じる第三部はちょっとなあと思う箇所が多かった。宗教信者の「呪縛を解く」ために説き伏せようという著者の意図は伝わるが、宗教の効能は他のものでも代用可能なはずだと論じたところで何の意味があるのかと思う。テレビゲームよりテニスのほうがより有益な趣味ですからゲームは捨てましょうとか、あなたの妻よりこちらの女性のほうが器量よしで評判もいいですよとか言われたって困るだけだろう。そこで著者が持ち出してくるのがイスラムテロ等が社会に有害であるというから宗教は代替させるべきなのだという理論で、最後には世俗の学校をマドラサに競合させて子供がイスラムの教義に耳を貸させないようにすればいいとまで言っていてやばかった。著者はマドラサをすべてテロ養成機関だと思ってるのかもしれない。ムスリムがそうした学校へ喜んで通うわけないし、さすがにそこまで言ったら、宗教者の科学アレルギー以前に当然あなたは反発を受けるでしょうよと思ってしまう。第一部の長さもここにきて納得。
    全般的に科学と人権と民主主義と自由主義価値観は全世界で推し進めるべき「真理」という前提で話が進むが、そうしたリベラル的価値観の正義はアメリカ国内ですら必ずしも通用するわけでないから福音主義教会が成長し続けているのだろう。ましてや著者が攻撃するイスラムではその反対表明こそがテロなのであって、欧米的価値観を持つのは一部のリベラルだけだ。欧米式人権教育と科学研究は「正しいのだから」受け入れろと言う前に、そもそもの価値観が根底から違うこと、啓蒙主義の焼き直しをやってもしょうがないことを認識しなければ話は通じないだろうと思う。

  • 哲学的なアプローチが成功しているとは思えない。ところどころに面白い発見があるので★四つ。筆者のミームに対するこだわりも、文脈的に腑に落ちなかった。

  • デネットによる宗教批判―というよりも宗教研究の本です。
    英語版のタイトル「呪縛を解く」の「呪縛」とは、「宗教は研究されるべきではない」というタブーのことを指していて、これを打ち破るべく書かれています(日本語版の『解明される宗教』もいいタイトルだと思います。「される」は「された」ではないのですね)。

    全3部の構成で、1部は前述の「呪縛」は科学によって解かれるべきであるし、自然現象としての宗教を科学は解くことができるのだ、という立場表明。
    アメリカで宗教を論ずることのめんどうさが伝わってきます。

    2部はデネットによる宗教の誕生から発展~現在にいたるまでの研究。基本となっているのはミーム学です。人間が生まれながらに、あるいは発達の過程で身につける本性が原始宗教を生み、競争、反省のなかで一神教となり、宗教団体ができるまで。また、反論を封じる技術や「信仰の信仰」を広めてさらに強固になる宗教について書かれます。
    デネットはここで宗教について結論を出そうというよりも、たたき台を提出することに力を注いでいる感じがしました。

    3部は宗教の現在。ますます宗教の研究が必要だと述べたあと、とりあえずいますべきことは「正しい情報を与えられた上での選択」の原理を宗教にも適用し、とくに子どもには今ある宗教をすべて教えてから子どもに決定させるべきだ、と言っています。
    子どもにすべての宗教を教えようという提案はかなりの説得力がありますね。教義に自信があるならキリスト教の家庭に生まれた子に仏教を教えても問題はないハズなので。

  • 私事だが昨秋、生まれて間もない子を亡くした。その後、約一年の間に「自分の前世を見てみないか」という誘いが一件、霊視による因縁話を交えた供養についての意見が一件、寄せられた。相手はいずれも友人だった。私の気持ちや魂を救う手助けを、と考えた上での提言だと思いたかったが、全体として私個人への思いやりより各々の「信じるもの」への傾倒の方が強く感じられ、謝意を抱くわけにいかなかった。
    そもそも、信仰や宗教とは何だろう。人生や人格の一部にもなるし、生活背景にとけこんで意識されないこともある。強いネットワークの基盤たり得、それゆえに敬遠や嫌悪の対象にもなる。
    私と友人との間を隔てたこの川は、どこへ流れてゆくのだろうか。考えの糸口を掴みたく、本書を手に取った。
    『進化論的アプローチ』という副題にある通り、科学的・論理的観点から宗教の謎と矛盾に迫る内容だ。元々アメリカの読者対象の本のため、宗教事例はキリスト教・イスラム教・ヒンドゥー教が中心。しかし展開される理論はそれら以外の宗教にも応用可能だ。
    信仰を持たない哲学者である著者は、宗教を強力な自然現象の一つと見做す。遺伝子のレベルではなく、文化を基盤とした自己複製子「ミーム」があるとする考え方についても紹介。
    信仰や宗教もこの考え方でいけば、人間の文化や社会の変遷に伴って進化の道を進んできた、生きものめいた観念である。
    しかしこのミーム、人間に益するものなのか、寄生虫的なものなのか。ケースバイケース、結論はそう容易には出ない。だが、人がひとつの観念にとらわれると自分を思考停止状態にさせ、物事の選択の幅を狭くするのは確かだ。傍目には良いことと思えないが、本人が満足しているなら……しかし、「コレカラ利益ヲ得ルノハ誰カ?」。何かに利用されているとしても満足だろうか。
    著者は「信じることに意義がある」とする信仰者の態度に警鐘を鳴らす。宗教が崇拝に値するものなら、盲信や神秘主義のヴェールの蔭に隠れず科学的研究の対象となるべき、と説くのだ(山岸凉子の漫画『甕のぞきの色』も同じテーマを扱った秀作だ。ラストは「信じること」に少し身を寄せる形)。読後、「宗教」がスッキリ解明されたかというと、浅学のせいもありそうはならなかった。ただ、流れゆく先を知りたかった川の水の性質が冷静に分析されていて、心が鎮まった。

  • 160723 中央図書館
    分厚すぎて、片手間では通読不能。宗教的なるものに対し「ただ感じろ」という受容のやり方については、批判するスタンス? W.ジェームズの基本は押さえてから読むべきだったか。

  • ところどころいいところはあるのだが宗教批判という前提は揺らいでいないために結論決定型な感じが逆に科学と呼べない気がする。神がいないかもしれないという言説はもはや使い古された文句になっていてむしろそう確信している人たちの経緯とか、彼らから学べるとことかそういうポイントが欲しかったのだがこの本ではなぜ宗教はダメかの理由づけを科学っぽくひたすら行っているだけだ。何かがちょっと一方的と感じる。




    哲学の専門「問題を立てること」
    本当に厄介な問題に取り組んだことがある人間ならば立てられるべき正しい問題と、問題を立てる際の正しい順序を発見することがもっとも困難な作業であることを知る。発見しなければならないのは、知られていないことだけではない。知る必要があることや、知る必要がないこと、さらに知る必要があるために知る必要があること。問題の立て方によって道が開かれることがあれば閉ざされることもある。

    そんな時に別の哲学者がきて大掃除をする。

    ジョンロックとウィリアムジェイムズがヒーロー。

    宗教と学問が違うところは民主主義、合理性、公正に価値を置いているところか?

    『科学と宗教は共存できるか?』スティーブンジェイグールド
    自分のお気に入りの宗教を保護したいかもしくは嫌いな宗教の無益さを示したいかのバイアスを排除する必要。

    宗教の復活(ニヒリズム的な啓蒙思想の克服として)
    友好的な競争関係は専門性を生み出す。

  • 原題:Breaking the Spell: Religion as a Natural Phenomenon
    著者:Daniel Clement Dennett(心の哲学、科学哲学)
    翻訳:阿部文彦(フランス哲学)


    【目次】
     はじめに

    第1部 パンドラの箱を開ける
    第1章  どの呪縛を解くべきか
       1 何が起こっているのか
       2 宗教の定義を試みる
       3 解くべきか、解かざるべきか
       4 深淵をのぞきこむ
       5 自然現象としての宗教
    第2章  科学に関する諸問題
       1 科学は宗教を研究できるのか
       2 科学は宗教を研究すべきなのか
       3 音楽は体に良くないのだろうか
       4 無視した方が良いこともあるのだろうか
    第3章  なぜ良いことが起こるのか
       1 良いところを引き出す
       2 コレカラ利益ヲ得ルノハ誰カ
       3 何が宗教のコストを回収するのかと問うこと
       4 火星人の理論一覧

    第2部 宗教の進化
    第4章  宗教のルーツ
       1 宗教の誕生
       2 宗教の原料
       3 自然は他者の心の問題をどのように扱うのか
    第5章  宗教、その黎明期
       1 多すぎる行為主体――リハーサル空間をめぐる競争
       2 利害関係者としての神々
       3 神々に語りかけてもらうこと
       4 催眠術師としてのシャーマン
       5 口承文化における記憶工学装置
    第6章  管理運営の進化
       1 宗教音楽
       2 実践的専門知識としての民俗宗教
       3 ゆっくりと進む反省と宗教における秘密の誕生
       4 宗教の飼い慣らし
    第7章  団体精神の発明
       1 善意で舗装された道
       2 アリの群生と企業体
       3 宗教における成長市場
       4 語りかけることができる神
    第8章  信じることに価値がある
       1 もっと信じた方が良い
       2 指向的対象としての神
       3 神を讃える分業制度
       4 最小公分母
       5 信仰告白するようにデザインされた宗教
       6 レバノンの教訓――ドゥルーズ派とキム・フィルビーの奇妙な事例
       7 神は存在するか

    第3部 今日の宗教
    第9章  宗教選びの手引き
       1 神への愛のために
       2 学問的世界の煙幕
       3 何を信じているかがなぜ重要なのか
       4 宗教はあなたのために何ができるのか
    第10章 道徳と宗教
       1 宗教は私たちを道徳的にするか
       2 宗教は人生に意味を与えるだろうか
       3 神聖なる価値についてどう言えば良いのだろうか
       4 我が魂に祝福あれ――精神性と利己性
    第11章 今何をすれば良いのか
       1 理論にすぎない
       2 探求されるべきいくつかの道――どうすれば宗教的確信に至ることができるのか
       3 子供たちに何を語るべきか
       4 有害なミーム
       5 忍耐と政治

    補論A 新しい自己複製子 
    補論B 科学に関する諸問題 
    補論C ベルボーイとタックという名の女性 
    補論D 根底的解釈の不確定性の実例としてのキム・フィルビー 

    原註/訳註/訳者あとがき
    参考文献/人名索引/事項索引 

  •  宗教を進化論を軸に自然科学的アプローチで分析評論しようと
    した本。どんな事柄であろうとも原理主義的態度は忌避されるべき。

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