監視文化の誕生 ―社会に監視される時代から、ひとびとが進んで監視する時代へ―

  • 青土社
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  • Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784791771622

作品紹介・あらすじ

『監視社会』の著者がもたらす新たな知見
ビッグデータ時代のいま、監視されることは当たり前になった。わたしたちは常に「監視される」存在である。しかしまた一方で、われわれは常に監視する側にも立っている。SNSなどでわれわれは、さまざまな監視を日々行い、人々の行動を制限している――意図して注視しているばあいもあれば、漠然と無意識的に行っていることもある。「監視社会」論の代表者である著者が、21世紀の新たな監視社会論を提言する。

感想・レビュー・書評

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  • 事前に予想したよりもずっと面白い本だった。
    監視社会研究の第一人者である著者(カナダのクイーンズ大学教授)が、2010年代の状況をふまえて綴った、〝デジタル時代の監視文化論〟である。

    「監視社会」といえば、ジョージ・オーウェルのディストピア小説『1984年』や、ミシェル・フーコーが〝少数者による社会管理システム〟の比喩として用いた「パノプティコン」(元は英国の哲学者ベンサムが構想した、「一望監視方式」の監獄の名)のように、巨大な国家権力が民衆を監視する超管理社会がまず思い浮かぶ。

    「スノーデン事件」が示唆するように、そのような国家権力による民衆の監視は、いまの社会にもある。だが、今日の監視はそれだけではなく、もっと多様で両義的だ。

    たとえば、Amazonは購入履歴を通じて、利用者のあらゆる面の好みを知り尽くしている。Amazonのようなネット上の巨大プラットフォームは、世界中の膨大な利用者をある意味で「監視」しているのだ。

    また、ツイッターなどのSNSを通じてつながり、頻繁にやりとりしている見知らぬ相手のことを、私たちは時にその人の隣人以上に深く知っている。
    その場合、私たちはSNSを介して相手を監視し、自らも相手に監視されているとも言える。

    それらはいずれも、『1984年』的な〝強者が弱者によって監視される〟一方通行の監視ではない。私たちは、利便性や承認願望と引き換えに、ネット上に個人情報をアップするなどの形で、進んで自らを監視にさらしている。そして、他者を監視してもいるのだ。
    本書の副題に言うように、「社会に監視される時代から、ひとびとが進んで監視する時代へ」と変わったのである。

    そのような、ネット社会になって初めて生まれた監視のありようは、「監視国家」「監視社会」という古びた言葉にそぐわない。ゆえに「監視文化(Culture of Surveillance)」と呼ばれる。

    「監視文化」の時代に、監視は「日常化」し、「ハイテクによるクールな衣装をまとって現れ」る。監視は、ある意味で〝娯楽化〟すらしている。
    本書はそのような「人々の日常経験としての監視を考えようとした」刺激的な論考である。

    著者自身の研究以外にも、すでに監視をめぐる研究の蓄積は膨大にある。著者はそれらに随所で言及。本書は監視研究の概説書/カタログにもなっており、資料的価値も高い。

    著者は、スマホなどを介した「日常経験としての監視」が、その利便性の陰に孕んだ危険性について、さまざまな角度から警鐘を鳴らす。
    その一方、最終章(6章)「隠れた希望」では、今後の「監視文化」が実り多きものになるための方途を模索する。つまり、監視文化のプラス面にも目を向けているのだ。

    「監視を考える上での必読文献」(訳者あとがき)であり、日常の中に監視が遍在する時代を生きる我々に、多くの示唆を与えてくれる。

    なお、著者はデイヴ・エガーズの小説『ザ・サークル』(エマ・ワトソン、トム・ハンクス主演で映画化もされた)を、「監視文化」社会の危険性をリアルに描いたフィクションとして高く評価する。
    それはそれでいいのだが、本書には『ザ・サークル』への言及がかなり多いため、同作を読んでいない者にはわかりにくい面がある。そこが難点。

  • 国家や特定の企業が監視を行う「監視国家」「監視社会」ではなく、我々生活者自身も監視の主体者になっているような世界を「監視文化」と呼び、それがどのような意味を持つのか解説した本になります。冒頭にも書いてありますように、著者の一番主張したいことは、ジョージ・オーウェルの『1984年』を超えた世界が登場したこと。そしてそのシンボルとなる小説としてデイブ・エガーズの『ザ・サークル』を紹介しており、これこそ監視文化の象徴であります。『ザ・サークル』はエマ・ワトソンとトム・ハンクス主演で映画化もされていて、私はそちらの映画を見たことがあったので、著者のいわんとしていることは十分伝わりました。

    本書は現状分析だけでなく、よりよい監視文化を作り出すための提言をしており、その点に関しては好印象を持ちました。監視といっても利他的な「良き眼差し」をむけること、日本語的に言えば「見守り」になると思いますが、我々が意識すればそれも可能であろうと述べています。それで私の脳裏に思い浮かんだのは、近所にいる独居老人に対する見守りなどでしょうか。良き見守りと悪しき監視は紙一重であって区別が非常に難しいのですが、そのような両義的な監視文化を理解する意味で本書は参考になりました。

    興味深かった反面本書を星3つにした理由を述べます。最後の訳者あとがきにも似たようなことが示唆されていましたが、本書は文章的にまとまりがなさすぎて、正直3割くらいしか頭に入ってきませんでした。これは読者の理解力の問題ではなく、著者の文章力の問題でしょう。著者は知識も知的レベルも高い方だとは思いますが、コミュニケーション能力(文章力)は大きな課題を抱えている気がします。その意味では誰か査読者が大幅に文章を校正したら質がグーンと高まると思い、勿体無いなあと感じた次第です。

  • SNSやビッグデータが活用されるにしたがって、自ら進んで監視を受け入れる社会が形成されていく。本書に言及はないが、医療にかかわるデータが収集されるようになるとおそらくこの傾向はさらに拍車がかかる。情報技術の活用により利便性が高まるのは確かだが、その問題点にも自覚すべきであろう。

  • 明治薬科大学図書館 ベストリーダー2019 49位
    https://bit.ly/2A1MVCh

  • カナダの例が多い。小説(映画)のザ・サークルを前面に出している。日本にとってピンとこないのは、74年前まで日本は隣組という組織ですでに監視社会であり、監視文化であったからである。食べるもの、着るもの、しゃべること、水道電気の使い方、箸の上げ下ろしまで、全て監視されていた。
     ネット社会になったからといって監視が特に多くなったとは感じられないであろう。

  • 東2法経図・6F開架:316.1A/L99k//K

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著者プロフィール

デイヴィッド・ライアン David Lyon
1948年、スコットランド・エディンバラ生まれの社会学者。イングランドのブラッドフォード大学にて学士号および博士号を取得(社会科学・歴史)。カナダのクイーンズ大学社会学教授、同大学サーベイランス・スタディーズ・センター前所長。監視社会論の代表的論者として世界的に知られ、『監視社会』(青土社)、『監視スタディーズ』(岩波書店)など多数の邦訳書がある。

「2022年 『パンデミック監視社会』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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