- Amazon.co.jp ・本 (261ページ)
- / ISBN・EAN: 9784794208002
作品紹介・あらすじ
1998年2月、「県民の総意」による長野冬季オリンピックが開催される。2週間にわたり、世界の選手たちが美しい白銀の上でさまざまな競技を繰り広げる-はずではあるが、その内幕は決して美しいものでなかった。仕掛けられた招致運動、破綻の見えてきた財務内容、変更に次ぐ変更の施設計画。「オリンピック」はあらゆることに優先し、市民から子供たちまで総動員される翼賛体制のなかで、少数の反対意見は封殺されていく。どう考えても、何かおかしいのではないか。13年もかかったという長野五輪の開催に至る道筋を、そもそもの発端から解き明かし、大イベントに振り回される地方自治体と地域住民の笑えない実態をつぶさに描き出す。
感想・レビュー・書評
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長野オリンピックの開催に至る道筋を「混乱」ととらえて、ネガティブな立場から、その内幕をまとめている。
長野オリンピックの開催は、「官主導」の五輪翼賛体制ともいえる状況で進められ、県民・市民が不在だったと指摘する。IOC委員には金と女を使わないとダメということであったり、消えた会計帳簿の問題であったり、オリンピックの黒い側面についても糾弾している。
そして、オリンピック開催にあたり、果てしなく経費は増えるという実態があり(長野オリンピックでは、400億円→1040億円)、IOCの商業主義もあって、「五輪を開催すると儲かる」というのは幻想であると指摘する。
そもそも自治体の役割はスポーツ興行を行うことではなく、自治体の本来の役割に立ち返るべきであると主張する。非日常のイベントよりも、住民生活の基盤となる部門をまず豊かにすることが先であって、施策の優先順位を取り違えていると指摘している。
本書は、ちょっとバイアスがかかった論調である気はするが、オリンピック開催の一面の真実をとらえていると思う。オリンピックに限らず、大規模イベントの開催や誘致をしようとする自治体にとって、教訓となる内容であると感じた。詳細をみるコメント0件をすべて表示