- Amazon.co.jp ・本 (315ページ)
- / ISBN・EAN: 9784796702362
作品紹介・あらすじ
絶対的な「師」との「終わりなき対話」を通してその哲学の核心をなす「師弟」「他者」「住まい」「女性」「エロス」などの概念を明快かつ平易に解明する、きわめてユニークなレヴィナス入門。
感想・レビュー・書評
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他者はその予見不可能性で構成される限り他者である。他者は私より大きな力をもって私に対峙するのではない。(比較可能な力であれば他者は私とともに全体の一部ということになるから)
他者は私の全能性の翳りのうちに住まう。p78
レヴィナスの「家」概念はそこにいる他者が自分のために「場所を空けて」くれる「歓待」によって、姿を消すことによってその存在をあらわにする。
おのれを顕現することなく顕現するこの方法を、現象「フェノメーヌ」に対して謎「エニグム」とレヴィナスは規定した。
姿を消すことによって、それを探求する無窮の運動を起動するもの。人目を逃れて暗がりへ退去する「慎み深さ」を本質とするような「他者」、「いかなる住人よりも早くからの住人」であり、「歓待の最たるもの、歓待それ自身」(TIp131)であるような「他者」、それをレヴィナスは「女性」と名づける。(p192)
レヴィナスが「女性」と名づけてきたものは経験的な女性ではなく、存在論的カテゴリーである、ということを私たちはここまで繰り返し書いてきた。それがどのようなものであるのか、ようやくその輪郭が少しはっきりしてきた。「女性」とは受動性を糧とする主体性―あらゆる主体性に先行する主体性―の別名なのである。(p297)詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
「愛の現象学」と銘打っているが、「女性」が出てくるのはしばらく読み進めた後である。
序盤はフッサールとの比較を主に行い、三章に入ってようやく「家」「糧」そして「女性」が登場したのもつかの間、三章のⅡではボーヴォワールとイリガライという二人のフェミニストによるレヴィナス批判、及び二人が立つフェミニズムの立場を扱う。何故ボーヴォワールが活躍していたその時代に、レヴィナスは旧時代的な言葉をあえて選んだのだろうか? その根拠をタルムード講話に求めつつまとめた一冊。
語り口は柔らかく、また構成も判りやすく工夫されているように思えた。 -
本の「中身」は文字だけではなく、
愛は愛しあうふたりの内側にだけ確かに存在している。
客観的立証はできないそういうものに
どれだけせまれるかで人生の豊かさは決まるのかもしれない。 -
重い.読んでいて,息切れしそうだ.論理と思考のアクロバシーでフラフラになれる一冊.笑いあり感動あり,ストーリーありのエンタテインメントです...嘘じゃないですよ? 正しくはないけれど.
一読では理解しきれない.むしろ,読む自分次第で理解が変わるのでしばらくお手元に置いとくしか.. -
レヴィナスのエロス論が全体の半分弱を占める。
それが一番難しくてかつ面白かった。 -
これまでの人生で一番ちゃんと読んだ現代思想の本。
たった300ページちょいなのに読むの10時間以上かかった。
値段も2500円ちょいして、結構かかった。
がしかし
それだけお金と時間をかけてでも読むべき本。
と思えた。
レヴィナスの弟子という立場から繰り広げられる師についての話。
引用されているレヴィナスのテクストたちはものすごくアツくてクールでカッコいい。
ある種の使命感を帯びた、信念のこもった数々のテクストたちが内田先生の手によってもっとありありと、立体的な迫力をともなって鮮やかに立ち現れては、僕をズバズバと斬る。
絶対的な「他者」なんていわれて現実世界に置き換えようと思ってもやっぱりイマイチしっくりこないのはまあ今も同じなんだけど、けど両先生の書いたテクストの海はなぜかとてもスリリングに泳ぐことができた。
いつかは現実世界もそんなふうにスリリングに生きていく日が訪れるのかしら。 -
他者と主体と有責性。
不完全な間主観性、目指すということ。
矛盾する複数の要請に引き裂かれてあること。 -
共感する部分が多い。こういったものは好き