- Amazon.co.jp ・本 (233ページ)
- / ISBN・EAN: 9784796702805
作品紹介・あらすじ
放射能熱線を吐き、街を破壊するゴジラ、ビルを破壊し、悠然と飛翔するモスラ、音速を超えて飛ぶラドン。週末の映画館、私は怪獣たちに魅了されていた。昭和という時代、優れた大衆文化として特撮映画があった。特撮映画はいったい私たちに何を与えてくれたのだろうか。本書は原水爆イメージを手がかりとして特撮怪獣映画を読み解く社会学の「モノ」語りである。
感想・レビュー・書評
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筑波大学大学院人文社会科学研究科教授・好井裕明(社会学)による特撮怪獣映画における原水爆論
【構成】
1 特撮怪獣の終焉に出会う
2 反原水爆という鮮明なイメージ
3 リアルな恐怖としての原水爆イメージ
4 ファンタジー化する原水爆イメージ
5 脱色されたリアルとしての原水爆イメージ
6 お茶の間に定着する軽妙な原水爆イメージ
7 特撮怪獣映画を読み解く意味とは?
1954年の『ゴジラ』にはじまる東宝のゴジラ・シリーズに反原水爆のメッセージが込められているということは多くの人が知っている。本書はゴジラを中心とした特撮映画の中で原水爆がどう扱われたのかをシーン毎に取り出して論じている。そして、1960年代に入った頃からリアルなイメージから離れてファンタジー化していったと論じる。
著者の主張に新鮮味は無いし、「今さら」感が強い。議論として成立させようとするならば、その映画制作当時のニュース、流行、テレビ・ドラマ、漫画等々の社会的・文化的な背景を明らかにした上で、「なぜ原水爆の扱いが軽くなったのか?」という問いへの答えを提示するべきであろう。同時期に出た小野俊太郎『モスラの精神史』と比較しても、作品の分析は浅い。詳細をみるコメント0件をすべて表示