日本の「安心」はなぜ、消えたのか―社会心理学から見た現代日本の問題点

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著者 : 山岸俊男
  • 集英社インターナショナル (2008年2月1日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (261ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784797671728

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日本の「安心」はなぜ、消えたのか―社会心理学から見た現代日本の問題点の感想・レビュー・書評

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  • 挑発的なタイトルに思わず購入を躊躇いましたが、流石は山岸先生。文章は解り易く、そして現状分析に留まらずに先生独自の解決方法まで記載していて、文句なしに秀逸の作品です。
    これからの時代には社会心理学がその地位を確かなものにし、そこから見える世界によってどう行動するか。そこが問われているような気がします…(少なくとも読後感は)。
    『日本人は集団主義』『欧米人は個人主義』のステレオタイプが誰にでもあると思われますが、著者はそれを科学的手法を用いて否定。欧米人より日本人の方が個人主義的である。しかし、『みんなに合わせて行動する方がトクをする』もっと言えば『集団に合わせなければならない』外部環境にあると指摘。そこで現在の日本社会はエポックにあると述べています。
    さらに上記の論を敷衍して、『安心』と『信頼』をキーワードに据え、いじめ問題や武士道精神について言及しています。
    特筆すべきはいじめが起こる要因は傍観者の数にあると指摘している項。まさに瞠目に値します。
    かの有名な糸井重里氏が、自身の運営するほぼ日刊イトイ新聞にて、『ほぼ日の母』と称する程の著作。やっぱり山岸先生は凄い!という事で、断然おすすめします!!

  • ▪︎ 精神論を一旦留保してシステム的に利他性を考える

    倫理とは社会システムの構造によって決定されるものではないか?「昔は良かった」とされる「昔」はどうやら白昼夢の中にしかなさそうである。
    倫理教育に熱心だった中国やソ連の失敗。資本主義的な原理によってこそ道徳が達成されるのではないか?社会主義体制においても「利己心」が消えたことはあるだろうか?徹底した利他精神、奉仕の精神を植え付けようと教育したにもかかわらず大失敗している。社会主義体制においては真面目に働いても報われず、逆に怠けていれば攻撃もされないし、食いっぱぐれもない。「働かないものは食うべからず」と脅迫で罰したにもかかわらず、最後には崩壊した。

    マザーテレサのようなごく一部を除いて、どれだけイデオロギー教育をほどこしても何の見返りもないのに人間の心に純然たる博愛精神を植えつけることはできなかった。

    ▪︎ 「いじめ問題」

    いじめをしない子供を作ろう、教師の子供に対する監視を厳しくしよう、として失敗した。「いじめのない国」は未だかつてどこにも存在したことがない。

    いじめをなくす最も確実な方法は親や教師が子供たちを徹底的に監視し、彼らの行動をコントロールしてしまうこと。(いや、彼らもいじめをしているじゃないか)もっと確実なのは子供たちが一箇所に集まって集団行動するのをやめて家庭教育にすればいい。(大人になるまで集団生活をさせないのはどうなのだろう。)

    世の中からいじめがなくなったらどうなるか。
    暴力、そしてその対極にある無視。

    秩序形成としての「排除」。迷惑行為をされた場合に訴えても無駄な時、無視(集団からの排除)ぐらいしか選択がない。間違った排除行為は許されるべきではないが、集団秩序を守るためのいじめは許されるべき。(なにが間違いで、なにが正しいか、というのが恣意的ではないか)極度の平等教育によってリーダー(いじめを抑える存在)がなくなった。

    日本のいじめ問題はいじめをする側ではなく、「いじめを許す環境」の方にあるのではないか。お説教では世の中は変わらない。

    似たような不祥事が起こるようになったら、社会構造上の問題を疑った方がいい。ーまずは「人間とは何か」ということを理解すること。

    「日本人らしさ」などというものは初めから幻想では?日本人は会社人間であるというのは江戸時代以降に作られた概念。(戦国時代までは結構実力主義で、自分の頑張りを認めてくれない「上司」ならばさっさと見切って転職した。w)

    日本人が会社人間であるかのように振舞うのは、そういう姿勢を見せるのが「社会適応的」だから。滅私奉公も同じ理由。「日本人らしさ」とは生き抜くための戦略にすぎない。社会環境の変化と共に「日本人らしさ」の概念も変化している。

    田舎(集団主義)では相互監視によって集団内部にいれば「変なことはしないだろう」という一般信頼が成り立っていて、内部の人間ならば無条件に信頼した。しかし都会では相手が信頼できる人間かどうかを常に考えなければいけない。これが和の民族である日本人が容易に他人を信頼しない理由。集団社会における日本人にとって「よそ者」とは自分を騙して利用する油断ならない存在。アメリカは契約型社会、万が一相手が契約を守らなかった場合のリスクを常に考えておかなければならなくなる。

    ー安心社会の終わり
    安心社会から信頼社会へ。いまや変えるべき安心社会はどこにもない。日本社会全体の信頼社会への移行は決してうまくいっていない。これが企業の隠蔽につながっているのでは?

    閉鎖的な集団社会において人々が一緒に暮らしていけたのは社会の仕組みそのものが人々に安心を提供していたからしかしここ10年ぐらいで「安心保証のメカニズム」が日本社会から急速に失われていった。日本では不信が連鎖している。

    日本が長年生きてきた社会は「他人を迂闊に信じない方がいい」社会であり、「正直者である」ことや「約束を守る」ことを美徳としない社会だった。安心社会では社会そのものがメンバーに正直さや律儀さを強制する仕組みになっていた。

    その証拠に、その集団の外に出れば「恥のかき捨て」をする。

    安心社会から信頼社会にうまく適応していない。安心社会の崩壊によって、日本人の多くが「他の人たちは「旅の恥はかき捨て」をやるのではないか、と疑い出した」

    他人に不信の念を抱くことは結局不信の連鎖を招く。アメリカ的には信頼していい人とダメな人を見分ける能力を身につける。低信頼者は悲観主義者。

    多少の失敗は気にせずに前向きに他人との協力関係を結んでいくこと。集団社会では信頼性認知能力よりも関係性認知能力が求められる。「ビクビク人間」がもてはやされる。「空気を読む」とは集団主義時代の名残。社会主義において利他的な方がより「ただ乗り」利益を多く得られられる。

    似てるなーって思ったら、やはりジェイコブズの話が引用されてた。

  • 複数の方たちが「この本は重要な本だ」とおっしゃるものですから、私も読んでみようと思った次第ですなのですが、いやー、これは確かに重要な本です。
    私の実感ベースでも社会心理学のアプローチで切り込んだ山岸先生の日本人論、日本組織論には大いに共感、納得するところ大です。俗論を真っ向から覆すところ大ですが。
    色々な意味で必読ですね。特に日本の組織をマネジメントする立場の人は必読。これを読まずして日本の組織の特質は…などと語るなかれ。

  • ふたつの驚き!日本人は個人主義!そして他人を信頼していない!単なる意見ではなく、データに基づき解説されているのでグウのねもでない。
    「ムラ」社会に基づく「安心」社会、他人を信頼するところから始まる「信頼」社会。クローズ社会とオープン社会とも言えるかな。
    現実的に起きている事象、ニュースレベルから個人レベルまでこのような説明されると納得。そして自分の考え方もムラ的発想をしていることあるなあ。
    日本と欧米(といってもアメリカ!)の考え方の違いをこのように明確に解説され脱帽です。
    そして、武士道と商人道も。武士道をよしとする考え方(これは私もそう)と商人道が混ざった状態!最悪のシナリオ!日本はまさにこの状態に陥りつつある。あいかわず武士道で運営される政府・行政と民間。なかなかくるしい。日本にある外資企業というのも微妙なポジションかな。しかし安心社会から信頼社会にむかっているとはおもう。
    純日本企業はまだまだ安心社会かな。でもそれではこのすべてがつながっている世界での未来は。。。。。マグレブ商人と同じ運命をたどらないように!

  • 日本はお互いに監視し合う安心社会から、協力し合う信頼社会への移行期にある、という本。


    社会のあらゆる問題を心のせいにする考えは間違ってるし、それを教育によって解決しようというのは不可能だ。イデオロギー教育が上手く行かなかったのは社会主義国が証明している。

    お説教では世の中は変わらない。心がけを改めるなんてスローガンは問題外。人間の心の働きをしり、人間性の本質を理解する事が重要。

    そもそも人間の心の動きとは、与えられた環境に対応する形で生まれてくる。環境に合わせて行動したほうが何かと得だから、そのように行動する。

    武士道は安心社会の中で生まれた素晴らしい倫理体系だか、オープンで共存共栄を目指す信頼社会には合わない。

    情けは人の為ならず。


    安心社会、統治の倫理、武士道、すべき

    信頼社会、市場の倫理、商人道、したほうが得

  • 「武士道」は企業価値を高めるか?
    この本を読んでいて、そんな問いを考えたくなった。

    著者は、企業不祥事や凶悪事件が相次ぐ日本について、
    「社会心理学」という見地から、
    西欧諸国との価値観の違いに焦点を当て、
    日本が「安心」できなくなってきた理由を明らかにしている。

    「ムラ社会」と呼ばれるような、日本の伝統的な
    集団主義社会においては、裏切り行為には「村八分」という「制裁」が
    間違いなく下されることから、「相互監視」による「安心」を生む。
    これが日本の「安心・安全」の本質だという。
    著者はこのような社会を「安心社会」と呼んでいる。

    一方で、個人主義的な欧米社会では、
    集団主義的な相互監視がないため、相手が信頼できるかどうか、
    その場その場で判断しなければならない。
    著者はこれを「信頼社会」と呼ぶ。

    「安心社会」に住む日本人は、同じ安心社会に住む相手が、
    信頼できるか人間かどうかなど、考える必要がなかった。
    逆に、「安心社会圏外」の「よそ者」に対しては
    「人を見たら泥棒と思え」というように、
    「信頼できない」ことを前提にしてしまう。

    それに対して「信頼社会」では、
    まずは相手を「信頼すること」を前提にコミュニケーションし、
    信頼に足るかどうかを個別に判断する習慣が根付いているという。
    このことは、著者が行った綿密な実験によっても実証されている。

    さらに、「安心社会」では「武士道」のような
    「統治者の倫理」が道徳となり、
    個人主義の「信頼社会」では、地中海貿易において
    イスラム系集団主義のマグレブ商人との覇権争いに勝った
    ジェノア商人のように、「市場の倫理」が道徳となる。

    いうまでもなく、今日のグローバル化した世界においては、
    これまでの日本のような「安心社会」は成り立ち難く、
    マグレブ商人が地中海貿易の舞台から消えたことに、
    現在の日本を重ね合わせてしまう。

    相互信頼のためのコミュニケーションという点において、
    日本人は今日でも、「仲間内」を前提にした
    コンテクスト偏重のコミュニケーションから脱し切れていない。

    さらに著者は、道徳面において、
    「統治者の倫理」である「武士道」を、
    国の規範として浸透させるべし
    との論調が広がっていることに批判的である。

    この点については議論が分かれるだろう。

    行き過ぎた金融資本主義の崩壊によって、
    企業の倫理観が問われる中、
    そこに日本の武士道がフィットする面はあるかもしれない。

    ただし、「市場の倫理」において稚拙な企業や経営者が、
    ことさら安易に「武士道」を持ち出すことは、
    ともすれば、二宮尊徳のいう「経済なき道徳」になる恐れがある。

    また、そもそも著者は「品格」といった抽象論が、
    「個人としての心がけ」であるならばいざ知らず、
    ルールとして社会を律することは不可能であると述べている。

    「信頼社会」への適応と「武士道」の精神は、
    どのような関係性にあるのか。
    今だからこそ考える価値のあるテーマではないだろうか。

  • 日本人は自分たち日本人のことを集団主義的な傾向があると考えているが、ただし「自分だけは例外」と考えている集団である。
    実は日本人よりアメリカ人の方が他者一般への信頼が強い。それは、失敗(裏切られる)リスクが相対的に小さく(これは本当か?アメリカには村八分的制裁は無いのか?)社会をベースに、積極的な協力関係構築を通じて他者の信頼性をより正確に検知できるようになり、正のスパイラルを生じてきたから。一方日本では、一定範囲の閉鎖的な関係性の中では、相互監視と村八分の仕組みが安心を担保してきたため、他者一般への信頼は必要とされず、信頼性検知能力も発達してこなかった(人を見たら泥棒と思え) 。代わりに身につけてきた、上のような関係性の有無実態を把握する関係性検知能力=空気を読む力で、グローバル化圧力で開放度を増しつつある最近の日本社会を無理やり処理しようとしているために生じている歪みが、「現代日本人のモラルの崩壊」の正体。
    閉鎖社会時代の名残である他者への不信を乗り越えて、信頼性社会に移行するためには、失敗リスクを小さくすべく、正直者が得をする社会を構築するために、法制度を整備すべき。

  • タイトルの印象をいい意味で裏切ってくれた。
    著者はグローバルな時代の流れから、古きよき日本、農村部などに見られる「安心社会」から都市型(西欧型)の「信頼社会」へとシフトしている、と書いている。「安心」という言葉が物語っているとおり、そこには落ち着きがあるが、安心社会は決して人達の信頼の上になっているわけではない、と説いている。説得力はあるが、完璧に同意しづらい部分もあった。
    納得できる部分としてはやはり、日本人らしさに代表される、以心伝心的なものは、そのほうが得だ、という利己主義の上に成り立っているということ。
    そして、あまりに教育に頼ると、時代の流れによってはイデオロギーになってしまので、教育に期待を寄せすぎないこと。
    その上で著者が言う「信頼社会」は浅はかなモラルではなく、「情けは人のためならず」社会だという。わかる。しかし、「なぜ消えた」かについてや、その信頼社会へのシフト方法はいまいち薄い感じがあった。
    そして、著者が言う社会感に生理的無理がある人ははじかれてしまうのか、との問いもある。
    しかし、目指す方向性としては好き。「情けは人のためならず」社会がいい。
    そういった意味ではこの本は、日本社会関係が停滞している今、読む価値があるのではないかな。

  • なぜテレビやネット上で異常なまでに曝し上げが行われているか(精神面ではなく社会面で)分かった。今の社会はまさに「赤信号 みんなで渡れば 怖くない」で、このままでは悪循環だが巧く改革すれば良い循環にもなると感じた。個人的には「アメとムチ」に対して詳しく解析してある文章がためになった。

  • 最後のジェイン ジェイコブスの『市場の倫理 統治の倫理』が紹介されてましたが、商人道と武士道に対比されるこれら二つのモラル体系は、混ざると、救いがたい腐敗をもたらすとされている点がもっとも驚かされた。

    最終的には、何をやってもかまわないという究極的な堕落を産み出すことになってしまう。

    内部監査としては、市場の倫理と、COSOの土台が同じなのかどうか。

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