争うは本意ならねど ドーピング冤罪を晴らした我那覇和樹と彼を支えた人々の美らゴール

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  • 集英社インターナショナル
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  • Amazon.co.jp ・本 (304ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784797672015

作品紹介・あらすじ

一通の手紙が、我那覇のもとに届いた…。彼は、なぜ立ち上がったのか?冤罪事件の真実が、いま明かされる。

感想・レビュー・書評

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  • 【感想】
    「争うは本意ならねど」。自らが所属するJリーグからドーピング冤罪を着せられた我那覇は、最後まで組織を憎んではいなかった。できることなら話し合いで決着をつけ、チームに迷惑をかけたくない。一方的な裁定と処分によって人生の崖っぷちまで追い詰められてなお、我那覇は闘いを避けたかった。
    しかし、我那覇は最終的に提訴に踏み切った。その決め手は、今後のスポーツ界を思ってのことである。「この間違った前例が残ると、今後の全てのスポーツ選手が適切な点滴医療を受ける際に、常にドーピング違反に後で問われるかもしれないという恐怖にさらされます」。
    我那覇はJリーグと争おうとしたのではなく、Jリーグを救おうとしたのである。それも、他の人々を巻き添えにしたくないがために敢えて孤独を抱え込み、たったひとりで何千万円もの私財を投じて。

    その献身的な思いが、たくさんの人々を動かした。

    本書は2007年、ドーピング違反により出場停止処分を受けたJリーガー・我那覇和樹と、彼の潔白を証明するために動いた人々のドラマを綴ったノンフィクションである。

    我那覇が無実であることは最初から明らかだったが、ドーピング違反の処分が覆るのは絶望的だった。JADAから「我那覇はドーピング違反をしていない」という趣旨の回答をもらい、それを3、4回話し合いの場で提示するも、Jリーグ側は「処分は撤回しない」の一点張り。読んでいて、「こんなに無実が明らかなのに、何度提訴しても聞く耳すら持たれないのか」と気が滅入るほどだった。最終的には3,000万円近くの負担を我那覇個人が負い、国際機関であるCASに持ち込んで勝利したのだが、明らかに話が大きくなりすぎている。こうなる前にどこかで落としどころをつければ、Jリーグも我那覇自身も無駄に負担を背負うことはなかったのではないか、と思えてしまう。

    本書の読みどころは、チームドクターや同郷の人々からの献身的な支えである。特にチームドクターたちの働きは目を見張るもので、多忙な業務が終わったのち、睡眠時間を削ってまで意見書の草案をまとめていた。ドクターの一人は勤務中に過労で気を失っているほどだ。しかも、解雇通告された後藤以外の30人のチームドクター「全員」が我那覇を支援している。協力したところで、何か見返りが得られるわけでもなく、むしろ所属しているJリーグからの反発を食らうにもかかわらず。
    「サッカー選手たちを幸せにしたいから」という思いひとつで、ここまで人々が一丸になれるのか、身を粉にしてまでひとりの選手に尽くすことが出来るのか、と本当に感心してしまった。現場でサッカーに触れている人々は、いつだって真摯で誠実である。そう実感できる一冊だった。

    ――仁賀が初めて我那覇弁護団と会ったときのことであった。相談を終えて、帰ろうとしたとき、一人の弁護士に呼び止められた。「最後に教えてほしい。どうしてここまで頑張るんだ?何の得にもならないだろう。何か理由があるのか?」なぜこんなことを聞かれるのか。仁賀は不思議に思えたが、チームドクターの声を代弁する形で答えた。「僕たちは選手の病気や怪我を治すのが目的でチームドクターをしているんじゃないんです。選手たちがサッカーをして少しでも幸せな人生を送れるよう、そのために治療をしているんです。だから医者が治療した結果、そのために選手がドーピング違反で不幸になるなんてあってはならないんです。僕はどうしても我那覇をクロのままにはしておけません。我那覇が時分のチームの選手でなくても、僕にとっては自分が治療したのと同じことなんです」

    ―――――――――――――――――――――――――――
    【まとめ】
    我那覇がドーピングを疑われたのは、ACLが目前に迫った2007年の4月23日。我那覇は体調不良でチームドクターに保水液の点滴をしてもらっていた。スタジアムの帰りにマスコミから質問され、点滴を打っていたことを告げたが、それが「にんにく注射」と誤って報道されてしまった。この報道が引き金となり、「静脈内注入は、正当な医療行為を除いて禁止される」と明記されたWADAの規定に抵触すると判断されたのだ。

    所属チームの川崎フロンターレは、警告を受け、我那覇のACLへの出場を自粛させる。自粛決定前日にはJリーグからフロンターレに書面による事実確認が入ったが、問い合わせを受けたのは医学知識のないクラブの関係者だった。関係者はせかされるまま、チームドクターの後藤に直接聴取をせず、報道を肯定するファックスを返してしまった。

    その後の事情聴取で後藤が弁明するも、6月8日、Jリーグ臨時理事会で我那覇に6試合の公式戦出場停止、川崎フロンターレに1000万円の制裁金が科せられることが決定した。

    ドーピングコントロール委員会が我那覇に対する治療をどう解釈したかについては、以下のとおりだ。
    「静脈注射が必要な場合とは、例えば高熱の際の解熱剤、抗生剤の点滴注射、手術、あるいはあまりないとは思いますが、極度の脱水症に対する点滴などです。このような事例は、今まですべて事後であっても承認されています。しかし、ビタミンB生理食塩水の静脈注射が有効で他に治療手段として方法がない、という病態は考えられません」
    また、TUE(使用許可申請)については、「静脈注射は原則禁止であり、内容の適切性を判断できないので、すべてTUEの提出は必要。そして提出したからといって、承認されることが前提ではなく不承認もありうる」としている。この見解は、「正当な医療行為としての点滴でTUEは不要」としている世界的な規定と乖離するものであった。

    今回の件は、JリーグDC委員会が厳正な事実の検証をせずに最初から違反と決めつけ、同じ医学メンバーで構成員されているアンチ・ドーピング特別委員会が独立パネルとして機能せずに、ドーピングコントロール委員会での認定を追認して罰を科したと言えるだろう。基準となるWADAのガイドラインに沿わないやり方では、無罪の人間を罰するだけではなく、本当に違反を犯した者を罰することもできなくなる。

    5月10日、後藤は社長とフロントから解雇通告される。
    この事態を重く見たのは、サンフレッチェ広島のチームドクター寛田司と、浦和レッズのチームドクターである仁賀定雄だ。各チームのチームドクター30人と連絡を取り意見を集約させ、Jリーグに対しての抗議文と質問状をリリースする。しかし、Jリーグ理事会はこれを無視した。

    Jリーグ内部の自浄作用が働いていない。仁賀は次に、日本のドーピング最高権威であるJADA(財団法人日本アンチ・ドーピング機構)に意見書を提出する。しかし、JADAからの回答は「今回の件については不介入」という内容だった。

    仁賀はそれでも諦めなかった。ここで膝を折って倒れてしまえばそこで終わってしまう。そうなれば、苦しむ選手を前に治療を施せない状態がこれからもずっと続く。これはJリーグだけの問題ではない。日本代表チームもJFAの直接の管轄であるから、そこに派遣されているドクターたちもドーピング委員会委員長の青木に抗うことはできず、この治療方法の縛りとも言える制約によって、国際大会で日本代表だけが適切な点滴を受けられなくなる可能性すらある。

    仁賀はさらに踏み込んだ回答をJADAに求めた。すると、7月19日に、JADAから正式な見解が発信されてきた。内容は「FIFAとWADAはアンチ・ドーピングの完全遵守に合意しており、正当な医療行為においてTUEの提出は不要であり、その正当な医療行為も現場の医師にゆだねられる。そしてWADA規程によれば、我那覇はドーピング違反をしていない」という趣旨のものだった。

    JADAからの回答をまとめた意見書を引っさげ、ドクター達は7月22日のDC委員会との連絡協議会に臨む。

    連絡協議会の成果は大きなものだった。
    今後は正当な医療行為として行なう禁止薬物を含まない静脈注射はTUEを提出しない、正当な医療行為かどうかは現場の医師が行なう。Jリーグのチームドクター連絡協議会が宣言したこの二点を青木は了承したのである。Jリーグのドクターたちは、これで医療行為を速やかに行なうことができる。さらに青木は、上記二点がFIFA、WADAで認められていれば、裁定の過ちを認めると言った。

    しかし、8月7日のJリーグ実行委員会を前にJリーグ内部からもたらされた情報は「外遊から帰ってきた川淵三郎JFA会長と鬼武チェアマン、そして青木委員長が三者で会談を持った。その結果、青木委員長は守られるという結論になった。例の二点は改正されるが、我那覇の名誉回復も含めて何も現状は変わらない」というものであった。一度我那覇の黒認定をしてしまった組織の面子を守るための決定だった。
    次に臨んだ鬼武チェアマンとの面会でも、我那覇の処分取り消しについては平行線を辿った。

    後藤に残された道は、JSAA(日本スポーツ仲裁機構)への申し立てをするしかなくなってしまった。しかしその場合、障害になるのが後藤の所属する川崎フロンターレである。武田社長は後藤に対し、仲裁機関に申し立てをするのならクラブを辞めてもらうという要求を出していた。本来であるならばともに闘うべきクラブが大きな枷となっていたのである。

    仁賀はここで、我那覇本人と接触する。Jリーグの下した裁定に対する異議を、我那覇自身が外部に向けて発信するための後押しである。それは、選手が所属する機構に向かって声を上げるという、日本サッカー史上誰も行なったことのない、大それた行為だった。我那覇の今後の選手生命にリスクが生じるかもしれない大きな決断である。
    我那覇の出場停止期間は既に終わっている。しかし、このままでは我那覇の経歴に「ドーピング違反」という傷がついてしまう。仁賀にはそれがどうしても許せなかった。

    こうして我那覇の同意のもと仲裁申し立てが行われたが、これをJリーグは拒否した。

    我那覇は望月弁護士に依頼し、国際機関であるCASへの申し立てをJリーグの代理人へ送付した。翻訳料などで2000万円を超える莫大な仲裁費用が予想されるが、それでも申し立てに踏み切った。これで、Jリーグ側は仲裁を拒否できない。

    我那覇はひとりぼっちではなかった。Jリーグ選手協会(JPFA)が動き始めたのだ。藤田会長が我那覇の仲裁費用を工面するための募金を募り、同郷の友人たちも我那覇支援の団体を立ち上げ、「ちんすこう募金」を設立した。

    ファンからの援助や、弁護団とチームドクターたちのサポートを受け、4月30日、CASの聴聞会が都内の京王プラザホテルで開かれた。

    聴聞会の争点は結果的に、我那覇に点滴する治療は妥当だったかという医療行為の問題に絞られ、患者である我那覇が何をすべきであったか、ということは争われなかった。あれほどにんにく注射だとJリーグが騒いだビタミンB1は、Jリーグ側からも何ら問題にされなかった。当然、緊急性があったかどうかも争われなかった。我那覇側もJリーグ側もこの点滴静注が、CASが定義する「正当な医療行為」の6要件の一つである「競技力を高める可能性がない」ということに合意した。

    聴聞会の結果が出たのは三週間後。CASは我那覇の主張を認めた。仲裁費用そのものをJリーグ側に認めさせ、さらに、2万ドルを我那覇に払うように命じた。過去に例がないほどの重い判決であり、我那覇の完全勝利だった。

  • ☆Jリーグはガバナンスが全くきいていない。

  • 同僚のおすすめ本ということで手にとって読んでみた。

    私はサッカーのことは、ましてやJリーグのことはほとんど知らないし、興味も薄いほうだと思う。だから試合に関する描写のところは正直に申し上げてピンとこない部分もある。

    が、この書籍からは職業倫理とか矜持についてとても学べた。それは組織の大小とはおそらく関係ない、はず。

  • 新聞に「我那覇ドーピング」の文字を見つけたときは本当に驚いたけど、それがこのようなことだったとは。
    選手生命は長くはないのだから、Jリーグにもクラブにもしっかりした組織運営をお願いしたいです。

  • 川崎ファンとしては、我那覇選手がこの騒動でパフォーマンスにも影響したであろうことが残念であった。経緯を知れば知るほどかわいそうだなと思うと同時に、我那覇選手の芯の強さに感銘を受けた。

  • Jリーグ川崎フロンターレに所属した我那覇選手のドーピング問題について取り上げた意欲作。
    巨大な組織が陥った構造的な問題点の指摘と、そんな中でも良心と正義感によって行動する達を、丹念な取材によって取り上げている。

  • ★ノンフィクションの仕事だ★我那覇がドーピングに引っかかったことは漠と記憶していた。本人に意図はなかったのだろうが、手続きのミスがあったのだろうーー。そんな風に理解していた。
     その裏にあった事実を、Jリーグという体制側に対峙しながら丁寧に義憤を持って掘り起こす。侠気と取材力を兼ね備えた作品で、自分がこの問題を見逃していたことを恥させてくれるほどに魅力ある本だ。

     ドーピング憎しで先走ったJリーグの問題点を筋道だって指摘。我那覇の名誉回復とリーグのおかしさを明らかにするために奔走したチームドクターやサポーターにも胸を打たれる。何より素晴らしいのは我那覇本人で、相手の非を責めることなく自らの誇りを取り戻すためだけに立ち上がる。この本の印税の一部は我那覇の支援に充てられるはずだったが、我那覇は反ドーピング機関に寄付した。それがほとんど喧伝されていないことに清々しさを感じた。

     構成としては、とにかく丁寧に会合の様子を紹介する。きちんと録音があり、提供してもらえたのは大きい。さらに表に出てこなかったチームドクターを引っ張り出せた熱意が大きなポイントなのだろう。我那覇側が勝つという結論が分かったうえで、Jリーグにむかむかしながら一気に読ませるのは、構成の妙というより事実の強さだ。

     しかしなぜJリーグはここまで厚顔無恥でいられるのだろう。1人の選手生命を狂わせておきながら、自らのミスをいまだに認めない。川崎に課した制裁金を返還しないのはひどいし、それに従う球団も呆れる。裸の王様の組織になっているのだろうか。
     ラグビーもそうだったが大学の先輩後輩という理不尽な上下関係を引きずる組織はスポーツの魅力とは最も遠いところにいる。この問題はおそろらくJリーグの最大の汚点だろう。いつか新たなチェアマンがきちんと総括して非を認める日が来るのを待ちたい。

  • これは本当に是非いろんな人に読んで欲しい一冊!!
    事実とは異なることがセンセーショナルに取り上げられ、既成事実のように嘘が塗り固められていき、果ては謂れのない処分が下されて罪のない選手が苦しめられる。
    争うのは本意ではない、でも争わなければ真実を認めることも伝えることもしてもらえない、我那覇選手のそんな葛藤が本のタイトルになってます。

  • 当時、さしてサッカーに感心が無かった自分はこの件に関してスポーツ新聞の見出し程度の知識(=フロンターレの我那覇がニンニク注射とかでドーピングに引っかかった...らしい)しかなかった。その裏で、我那覇が私財を投げ打って自身の無実を証明するためCASに提訴していた...。その、舞台裏の戦いが綿密な取材を基に克明に記されている。

    「権力を持っている人の責任」とは何かを改めて考えさせられた。保身という魔力に取り付かれずに権力の座に座り続けられる人はごく限られた人だけなのかもしれない。

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著者プロフィール

1962年愛知県生まれ。中央大学卒。ノンフィクションライター。東欧やアジアの民族問題を中心に取材、執筆活動を続ける。おもな著書に『オシムの言葉』(集英社文庫)、『蹴る群れ』(集英社文庫)、『無冠、されど至強 東京朝鮮高校サッカー部と金明植の時代』(ころから)、共著に『さらば、ヘイト本!』(ころから)など。

「2019年 『13坪の本屋の奇跡』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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