知のトレッキング叢書 カメラを持て、町へ出よう 「観察映画」論

著者 :
  • 集英社インターナショナル
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感想 : 10
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  • Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784797673012

作品紹介・あらすじ

世界中の映画祭で喝采を浴びた『選挙』や『精神』。「観察映画」というユニークな手法を実践する著者のドキュメンタリーの作り方と哲学を通じて、読者に新たな「世界の見方」のヒントを提示する。

感想・レビュー・書評

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  • ドキュメンタリー映画を制作するというとは、どういうことなのか、どんなコンセプトで、どんな方法(撮影、編集)を用い、どう公開するかというところまで、余すことなく語られている。何より、行間からいかにも映画を制作することが好きなんだという思いがひしひしと伝わってくる。

  •  ドキュメンタリーとは、目の前の世界をカメラによって切り取り、その断片を再構成することによって、作り手の世界の見方や観客と共有するための芸術様式です。したがって、「ドキュメンタリーをどのように作り、どう見せるか」という問いは、煎じ詰めれば「世界をどう観て、どう受け止め、どう生きるか」という問いにつながります。それは、この世界に生きる私たちすべてが、問わなければならない課題でしょう。(p.9)

    観察映画の十戒(pp.36-40)
    (1)被写体や題材に関するリサーチは行わない。
    (2)被写体との撮影内容に関する打ち合わせは、「(待ち合わせの時間と場所など以外は)原則行わない。
    (3)台本は書かない。作品のテーマや落としどころも、撮影前やその最中に設定しない。行き当たりばったりでカメラを回し、予定調和を求めない。
    (4)機動性を高め臨機応変に状況に即応するため、カメラは原則、僕が一人で回し、録音も自分で行う。
    (5)必要ないかも?と思っても、カメラはなるべく長時間、あらゆる場面で回す。
    (6)撮影は、「広く浅く」ではなく、「狭く深く」を心がける。
    (7)編集作業でも、あらかじめテーマを設定しない。
    (8)ナレーション、説明テロップ、音楽を原則として使わない。
    (9)観客が十分に映像や音を観察できるよう、カットは長めに編集し、余白を残す。その場に居あわせたかのような臨場感や、時間の流れを大切にする。
    (10)制作費は基本的に自社で出す。カネを出したら口も出したくなるのが人情だから、ヒモ付きの投資は一切受けない。作品の内容に干渉を受けない助成金を受けるのはアリ。

     観察映画では、一見お互いに矛盾するような要素も共存している。矛盾するようでいて、実は矛盾しない。これ、たぶん世界そのものがそういう構造になってると思うんです。その、互いに矛盾するものが共存している「世界の構造」を、なるべくそのまま掬い取りたい。(p.68)

     観察映画でカメラを向けるっていうことは、そうやって普通は通り過ぎてしまう現実にあえてカメラを向けるわけはないですか。カメラを向けて、よく観てよく聴いてしまうわけです。
     で、よく観てよく聴くとですね、通り過ぎていた、当たり前だと思っていたことが、当たり前じゃなくなってくるんですよ。なんか急に、全然違うものに見えてくる。それが「発見」なわけですよね。今までは自動的に処理してたようなこと、右から左へ処理していたようなことを、今までのようには処理しないわけです。それが「観客」の効果なんですよね。(p.101)

     つくづく思ったのは、編集という作業は、自分が体験した「過去」を現時点から再解釈する作業であるということであす。なんかね、タイムマシンみたいな感じだった。1年半前に撮ったものを、現時点から観るわけじゃないですか。(p.115)

     僕はそういう偽もmンを、疑問のまま宙ぶらりんにしておく。「宙ぶらりんにしておくほうが面白いんじゃないか」と考えるのが観察映画です。映像の多義性をなるべく残しておく。(p.126)

    「映画は第一に内容、第二に戦略」という言葉。僕はこれを今でも座右の銘にしている。この「第一」と「第二」の順序が大事なんです。(中略)僕はやっぱり、「自分の世界観や体験を他人と共有する装置」として映画というメディアを選んでいるわけで。いわば「芸術としてのドキュメンタリー」を目指しているので、戦略から入るわけにはいかないんです。(p.227)

  • 観察映画を作る時には必ず定期的に見返そうと思う

    観察映画は、自分が参与しながら
    現実を切り取る「観察者」として
    というところが自分の大学の学問、文化人類学とも重なっているなあ

  • これは非常に読みやすくて面白かった。

    ドキュメンタリーにかかるコストやメソッド、あるいは加害性について講義形式で解説されてるので、
    映画好きとしても裏側を知れてうれしいし、
    また自営で教育に携わる人間としても共通点やヒントがたくさんあって勉強になった。

    また観察映画を見直したくなった。

  • なんだか妙な縁で巡りあった本。

    紀伊國屋の書棚で気になったのをメモ代わりに写真に収めたものの、数週間後に写真を整理していて「ン?なんだこれ。」と不思議がるぐらい忘れてしまっていた。その時にどんな本なのだろうとウェブ上を徘徊しているうちにわかってきたことが、1) なんだかこの著者ご本人はこの街のあちこちの映画館で何度もみかけているらしい、2) そこに並べられている映画作品のことも知っていた、3) ただその作品には興味があったものの見逃していて、当然当のご本人とも話をしたこともない…といった調子。なんだかむずがゆくなってきたので本屋に出向いて買ってしまって読み始めてしまった。

    東京で実施された「ドキュメンタリー監督講座」的なイベントの講義録らしい。ご本人の発言と生徒さんとの会話で文章が成り立っている。そこここで映像が流されてその感想を述べ合ったりしているのだけれど、それが彼の作品でありやっぱり観ていないもんだからなんとなくしか同化できない。そもそも読み始めた動機が不明瞭だったので読了後の達成感も今ひとつだったがそれは8割がたこちらの責任。

    ただひとつ言えることは「まずは彼の撮った作品を鑑賞できる機会を探してゆこう。」ということ。

    あ…、術中にはまってるかな!?(笑)

  • 貸し出し状況等、詳細情報の確認は下記URLへ
    http://libsrv02.iamas.ac.jp/jhkweb_JPN/service/open_search_ex.asp?ISBN=9784797673012

  • 778.7

  • 「ドキュメンタリーをどのように作り、どう見せるか」という問いは、煎じ詰めれば「世界をどう観て、どう受け止め、どう生きるか」という問いにつながる。(はじめに)より
    ドキュメンタリー作品はとにかく「編集権」が大事。そのためには「経済的独立」が欠かせない。
    現実社会もお金の流れを「観察」すれば‥見えてくるものが色々あるはず。まずは映画を見よう。面白かった。

  •  著者は、台本やナレーション、BGM等を排した「観察映画」と呼ぶドキュメンタリーの手法を用いて創作活動をしている映画作家。(ご本人の公式サイト;http://www.laboratoryx.us/sodaofficial/HOME.html)

     講義の書き起こしであるが、映画の方法論を通じて、”「世界をどう観て、どう受け止め、どう生きるか」について考えるきっかけ”にしていほしいと、冒頭で聴衆に語りかける。タイトルは寺山修司の評論集(あるいは演劇、映画)のモジリであることは容易に気づく(本書の中でもどこかで言及していたっけか?)。

     寺山の『書を捨て、町へ出よう』が世に出たのは60年代安保の頃。団塊世代が学生で、日米安保、ベトナム戦争で騒がしかったころだ。どことなく今の時代に通じる空気がある。そんな文脈で本書を読んでいくと面白いかもしれない。寺山が当時言ったように書物からではなく、町に出て世の中に触れ自らの体験を通じて学べとという呼びかけは、冒頭の著者の思いと同じであろう(ゆえにタイトルにも拝借した)。

    「観察映画」の制作手法は、目の前の出来事を”よく観てよく聴くこと”。 そうすることで、”当たり前だと思っていたことが、当たり前じゃなくなってくる。” それが「観察」の効果と説く。また、その「観察」という行為が今の時代に求められているとも言う。曰く”私たちには観察が足りない”、”すべてが自動的に「これはこう」「あれはこう」っていうふうに、決めつけすぎている”と。 
     決めつけているかどうかは分からないが、世の中のたいていのことは周知の事実、過去の記録としてアーカイブされている。従い、分からないことがあると現代人は「観察」するのではなく「検索」する。自分で見て聴いて考えようとせず、既存の正解を安易に求めようとし過ぎている。そのことに著者は警鐘を鳴らしているとも読める。

     効率重視、金も時間も無駄にしたくない現在。通常のテレビ番組の場合、たいていのプロデューサーは、編集作業の前にこう聞いてくるそうだ。
    ”「この番組のテーマは何だ?」
    そして著者はこう答える。
    「知らねえよ」”
     実際、そう答えるのではなく、”心の中で”とのことだけど、この知らないから、わからないから、それを発見するために作るという姿勢。それは何も映画製作だけの話ではないなと読みながら思った。そう、人生だってそう。先のことなんて分からないから、自分で見て聴いて触れて感じて、この世の中の手触りを自分で体験していくものだ。ホント、近頃、20代の若い連中と会話していると、知らないこと分からないことがあると、すぐにスマホを触って検索しやがる。Key Wordだけで検索して、そのものズバリの回答を求めがちだ。1:1の逐語訳のような回答は要らないよ、まったく。
     我々の世代、さらに寺山が書を捨てよといった全共闘時代の若者のほうが、まだ書物に当たり漠然とした中から、答えを導き出そうと努力しただけましだったのかもしれない。
     今どきの若者に寺山修司なら「ネットを捨て、本を読もう」とまず言わなくちゃと思うだろう。「町へ出る」のはその後だ。
     なんて、年寄り臭い繰り言をついでに言いたくもなる。

     さて本書。なんで読もうと思ったのか、図書館に予約してから時間が経ったので忘れてしまった。雑誌の書評かなにかで見かけたのか、あるいは「カメラ」というKey Wordにひっかかってのことだったか? 残念ながら、カメラと言ってもこちらは動画のカメラで、いわゆるスチルの撮影の話ではなく、町に出たからと言ってストリートフォトを撮るという話でもない。であるけども、街のスナップ撮影に関しても役立つ話、心構え的なことはいくつかあった。

    ”疑問を、疑問のまま宙ぶらりんにしておく。「宙ぶらりんにしておくほうが面白いんじゃないか」と考えるのが観察映画です。映像の多義性をなるべく残しておく”

     これは先に観たドキュメンタリー映画「ソール・ライター」の写真術、”画面のなかになにかひとつ謎を残しておく”にも通じる話かと。その謎が解けたとき、”「あぁ、そうだったのか」っていう小さなカタルシスが生まれやすい”。

    ”ドキュメンタリーを撮る人間は、「見る」だけではなくて、必ず「見返される存在」であるということを、忘れてはならないんじゃないか。そう思います。”

     これは数多の写真家が言っているように、写真に写り込むのはなにも被写体だけではない、ファインダーのこちらにいる撮影者もそこに写り込む。姿をもった形としてではなく、その意図、作為などを含む人格が写り込むという意味だ。その思いは忘れてはいけないだろうな。
     この”作為”というのも大切。

    ”「何かを作りたい」って思う時点で、それは作為ですからね。
     作為がないのなら、ずっとカメラを回しているのも変ですよ。映画にするつもりもないのに、ずっと撮ってる。これ、変態ですよね、はっきり言って(笑) ”

     これは逆説的に、作為があれば被写体にレンズを向けることに、なにも遠慮は要らないということだ。もちろんモラルとして相手の嫌がることはしてはいけない。相手の立場を慮る想像力は必要だ。だけど今の日本のように、なんでもかんでもやれ肖像権だプライバシーだ云々というのは過剰な反応なんだろうな。それについても面白い記述があった。

    ”アメリカでは「ドキュメンタリストは正義の味方」っていう人の方が目立つ。たとえば、マイケル。ムーア。正義の味方ですよ、彼の自己像は。アメリカの作家には、ああいうタイプの人のほうが多い。つまり、正義のために戦う手段として、ドキュメンタリーを使うという発想。
     だから僕がアメリカのシンポジウムで「日本では罪悪感を感じながら、『自分たちは罪人だ』と言いながら、ドキュメンタリーを撮る人が多いんだ」って言ったら、みんな「えぇっ!?」っと。”

     恐れずにカメラを持って町に出ようと思う。

     近頃、ドキュメンタリー映画もそこそこ見るようになった。自分の興味もあるが、作品も増えているような気がする。本書内にも記述があるが、デジタル技術の進歩で、撮影から編集までの作業を最低限のコストで出来るようになったからだろう。
     本書は、実際に著者の「観察映画」制作手法が詳細に語られており、聴衆もこれから映画を撮ろう、あるいは撮っている人たちのようで、質疑応答の内容も的を射た鋭いものが多くて面白い。
     これからは、映し出された被写体を「観察」するのみならず、撮影手法、カット割り、編集など、製作者側の意図も「観察」しながらドキュメンタリー映画を愉しもうと思う。

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著者プロフィール

1970年、栃木県生まれ。映画監督。東京大学文学部宗教学科卒。ニューヨークのスクール・オブ・ビジュアル・アーツ卒。台本やナレーション、BGM等のない、自ら「観察映画」と呼ぶドキュメンタリーの方法を提唱・実践。監督作品に『選挙』『精神』『peace』『演劇1』『演劇2』『牡蠣工場』『港町』『The Big House』『精神0』等があり、海外映画祭等での受賞多数。

「2022年 『撤退論 歴史のパラダイム転換にむけて』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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