信長研究の最前線 (歴史新書y 49)

  • 洋泉社
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感想 : 9
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  • Amazon.co.jp ・本 (255ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784800305084

感想・レビュー・書評

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  • 「重要なことは、近年の研究において、信長の強い革新性などが否定されつつあることである。しかし、一般向けの書籍では、相変わらず「超人的な信長像」が描かれており……専門家と一般の方との認識差は、ますます広がるばかりである。」

    若手・中堅の研究者が「現在の信長研究の到達点」を15のテーマで解説。
    資料研究が大きく進展しだ結果、従来のイメージのような革新性は否定され、ごく中世的で保守的な存在であったことが明らかになってきた。見ようによっては地味でつまらない信長像になってしまった。これまで、革新的人物として信長をイメージしてきた向きには、「こんなのおれの知ってる信長じゃない!」となることうけあい。
    とはいえ、根拠のないイメージだけの信長が独り歩きしてきた現状に問題があるし、等身大の信長像を明らかにすることは非常に価値がある。また、そうした正当な検討の中で改めて信長の再評価がなされるはず。それを一般に向けて書いた本書の意義はとても大きいと思う。
    これから先何年かは、信長をめぐる言説はたとえ専門家でないとしても本書を参照することになるんだろう。
    信長について語るとき、ちゃんと歴史学の成果を押さえているか、思い込みのイメージで語っているかは、ここでの議論を踏まえているかどうかがひとつの試金石になるので、マユツバな言説を見分ける基準になると思う。

  • 天才でも魔王でも無く中性の人間として織田信長の最新研究。

  • いろんな人の最近の信長の研究の成果を、いろんな人がいろんなテーマで小稿作って、客観的にまとめたもの。戦国時代の研究はどんどん進んでるみたいなんで、こうやってわかりやすい一冊にまとまるとありがたい。

  • 信長は革命家であり、破壊者であり、独創的である。カリスマ性もある。

    と言った偶像化された信長だが、最近までの研究成果を13人の筆者により、ある意味で否定していく。

    でも、中世の面白さを否定するものではなく、逆にますます面白くなってくる。

    分かりやすく展開されていて、とても面白い!

    ドラマや小説で語られていることを丁寧に学術的に打ち返しています。

  • 中世史は本当に熱い。いろいろおもしろかったが、特に足利幕府と義昭の再検討、信長から離反した武将の研究は興味深い。武田信玄も義昭上洛を支持していたり、駿河侵攻が同時作戦だったとか、松永久秀に謀反癖がなかったとか、周りのエピソードもおもしろかった。楽市楽座や関所の廃止など信長の独創ではなく流通の成熟した畿内とう地理的な特徴を踏まえてで、しかも三好氏がやっていたことの継承発展という歴史的経緯をしっかり見ないといけない。近年、重要性が指摘されている国衆の扱いも他の大名と変わるとこはない。尾張出身者に偏った抜擢。明智と四国取次の問題。戦国時代のルールの中で信長も生きている。そのルールを破ったり、地域の力関係を無視した人事をすると不満がたまり、その受け皿として足利義昭が正当性を与え、離反や謀反が起こる。ほか法華宗との関係などもおもしろかった。天正3年の右近大将任官が大きな画期。朝廷から正式に義昭没落後の公儀として認められ、信長自身も自覚を持って天下静謐の為に戦っている。徳川家康が対等の同盟者で義昭の直臣から信長配下の国衆へと手紙の形式が変わっていく。

  • 信長研究の最前線を、主に若手研究者中心に、いくつかのトピックスに分けて概観。全体としては、織田信長=革新者、という像に、実証的な光を当てて行くと、彼独自のものとされたり革新的とされた行動や政策が、従来の延長線上にあったり、突飛なものではなかったことがわかるといったところか。/興味深かったトピックスは以下のもの/信長と義昭の権力構造は、前例がいくつも見られるものだった。義昭の幕府も「傀儡」と理解されるようなものではなく、それ以前の戦国時代の将軍・幕府と同様に機能していた。/信長と家康の関係。当初は対等。将軍義昭を介して並び立つ。しかし義昭が京都を追放されると、家康は信長の臣下へ移行して行く/織田信雄の地域権力としての姿勢が、信長時代に形成された所領・地位などを保証する主体として問題があり、織田家中から十全な支持を得られず、織田政権の自壊を加速/桶狭間の戦い、藤本正行氏の「正面攻撃説」に、この説のみではなぜ少数の方が正面攻撃で勝てたか説明不足、「信長公記」該当部分の信頼性への留保があげられるが、「信長公記」クラスの新史料でも出てこない限り、決定打はでないのでは、と。/最新の研究で、信長の上洛と信玄の駿河侵攻は、両者の共同で行われた軍事作戦であったことが明らかにされている/久秀・長治・村重は、与力の国人や家臣、百姓に対する支配を信長に脅かされるなかで、自らの将来が見えたからこそ、信長を見限らざるを得なかった。/本能寺の変。自身および一族に連なる配下の後裔たちのため、家の政治生命およびそれに伴う格の護持のために起こした、と。/元親は、三好康長を阿波へ介入させ阿波の沈静化を図ろうとした信長の政策に対して不信感を募らせ、毛利氏に接近した。そして、信長の領土割譲案にも態度を保留した結果、神戸信孝の四国派兵が決定されたのであった。

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