- Amazon.co.jp ・本 (206ページ)
- / ISBN・EAN: 9784800309037
感想・レビュー・書評
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明治政府の初期から政府として機能し始めた時、結局幕末に攘夷と言いながら新政府は、諸外国の行政等を学び、製品、商売など多くを輸入・導入した政府の役職はトップを除いて横滑りの人材登用がされた者が多い、という。実際、政府機関、各種学校、軍隊など中には戊辰戦争で敵側にいた武士・軍隊(榎本武揚ら)も採用されているのには驚愕するが徳川幕臣で貴重で優秀な人材(岩瀬忠震・川路聖謨・小栗 忠順ら)も多く殺されたことは悲しい。徳川慶喜に伴った家臣は静岡藩に仕官、学問所、予備兵士、小商売、茶農業などを行なったという。
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幕府の倒壊で身を沈めたものがいた一方、瓦解後もかわらず出世街道を歩み続けた者がいた。
同方会(M28、1895結成)旧幕臣の親睦団体。48名と幹事5名の内訳。静岡移住者23名。脱走函館戦争参加者19名。朝臣になったもの1名。不明9名。先祖代々の高録の旗本はいない
旧幕臣たちの他の親睦団体
旧交会(1884結成)、葵会(1911結成)、静岡育英会(1885結成)でも明治・大正昭和戦前期まで旧主の公爵徳川家を戴き、近代の徳川旧臣が再結集した姿。榎本武揚、前島密等ここでも高禄の旗本は主要メンバーでは皆無。一般メンバーではいたかも。
近世の幕政を担ったのは譜代大名だったが、明治以降には徳川宗家と対等な旧大名・華族となった。
明治以降の徳川宗家、公爵徳川家達にとっても頼りになるのは榎本たちで、名家の譜代や高禄の旗本ではなかった。徳川を支えた人は明治以前と以後では入れ替わった。
<一橋慶喜お抱えの志士>
一橋慶喜の家臣団は元からの一橋家家来のほか、幕府から一橋に出向したもの、水戸藩から付いてきた者、そして能力主義的観点から幕臣の次三男や百姓身分から取り立てられた集団が存在。抜擢の代表は渋沢栄一。
また韮山代官支配の武蔵国小仏関所の関守の家に生まれた川村正平は天然理心流を身につけ腕力で登用。1864年の平岡円四郎暗殺の際には犯人を追って逆襲。「有志」を一橋家中に集めることを建議。むしろ渋沢栄一や渋沢喜作を一橋家に引き入れたのが川村だった。
元治元年に栄一、喜作が江戸で実施した有志募集では川村正平人脈や後に彰義隊の結成メンバーとなった者たちの多くがこうした人材登用で「草莾」「有志」たちだった。ドサクサ紛れのように士分、ひいては幕臣となった彼らは、新撰組の群像ときわめて似た共通点がある。まさに幕末の非常時が生みだした存在。
2016.4.18初版 図書館 -
明治維新後の旧幕臣の行方を具体的に跡付けている。維新後の幕臣については、経済史学ではその身分解体と経済的没落を、社会学ではそのエトスや教養の有利性を強調する傾向があるが、本書では数々の実例から容易に類型化しえない多様性を明らかにしている。興味深いのは、すでに幕末期には農民や商人の能力主義的な士分登用や冗職の「リストラ」による身分再編が進行しており、維新後に活躍する旧「幕臣」には累代の武士よりも、こうした身分流動の中で台頭した「にわか武士」が多い傾向があることで、人的資源の点でも「近代」は旧幕府に内在していたことがわかる。
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ほとんどが名もない幕臣たちが幕末から維新後にどう生き延びたのか、新政府に出仕して成功したのか、没落していったのか実名を元に記述してます。よく調べたなと思いますが、なんとなくまとまりがないような。
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明治維新という激動に直面した幕臣たちのその後の生き方を綴ったもの。
第1章 幕府瓦解 幕臣たちが迫られた究極の選択
三つの選択肢――駿河移住・朝臣化・帰農商
それ以外の進路
亡命者たち
巻き込まれた人々
第2章 明治に生かされた幕府の改革 身分を超えた人材
登用
身分の壁を超えて幕臣に
洋学が立身の基礎
「武」への期待
好結果を生んだ幕府のリストラ
第3章 新資料から読む「その後」 大久保利通がみた
旧幕臣たち
大久保利通文書のなかの旧幕臣
評価された元幕臣官僚
第4章 知らざる敗者たち 成功と没落のあいだ
手に職を付けて
没落か転身か
単純な明治維新史観というステレオタイプではなく、日本という国における統治機構の移行については、江戸時代に蓄積された柔軟な人材登用制度が多難な内憂外患の適切な対処に活かされたということについて掘り下げた著作でありました。