責任と癒し―修復的正義の実践ガイド

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  • Amazon.co.jp ・本 (109ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784806713586

感想・レビュー・書評

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  • gacco「法心理・司法臨床:法学と心理学の学融」Week3講義5「修復的司法(1)」参考文献
    https://lms.gacco.org/courses/course-v1:gacco+ga100+2018_03/about

  • 7月のWeフォーラムの分科会の一つで、原田正治さん(『弟を殺した彼と、僕。』の著者)をお招きした。私は実行委員で受付部屋に詰めていて(ときどき会場写真を撮ってまわり)、結果的に分科会には一つも出られなかったのだが(泣)、原田さんの本は先に読んでいて(http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1186466552&owner_id=12016552)、できればご本人のお話を聞きたいと思っていた。

    その原田さんの分科会のタイトルは「赦(ゆる)す権利─被害者救済と修復的司法の可能性」。漢字の多いタイトルの中でも「修復的司法」が何のこっちゃわからんままだった。原田さんのお話を『We』に掲載予定なので、まとめるためにテープ起こし原稿を読んでいるが、読んでみても「修復的司法」はよくわからないのだった。それで、図書館でレファレンスを頼んだら、小さい本と、ものすごいごっつい本がきた。

    これは小さい本のほう。訳本で、原著タイトルは"The Little Book of Restorative Justice"。「修復的司法(または正義)」は、エイゴで、restorative justiceというのだそうだ。

    restoreはパソコン方面でも聞く言葉である。壊れたシステムやファイルを「復元」するとか「修復」するというやつ。justiceというと、私は「正義」と思ってしまうが、これには「国家の制度としての司法」という意味もある。restorative justiceの訳語については、最初から最後まで悩んだと、あとがきで訳者が書いている。

    ▼restorative justiceは、司法ではない。むしろそれは草の根レベルでの地域コミュニティーが公正な問題解決をもたらすためのプログラムである。(p.97、訳者あとがき)

    といって、「修復的正義」が適切かというとそうでもないとことわった上で、十分悩んだ末に、この本ではrestorative justiceには「修復的正義」の訳語が選択されている(restorative justiceは、従来の刑事司法に代わるものではないし、応報的司法や刑事司法制度と二極化して対比するものでもないから)。

    著者ハワード・ゼアは日本語版に寄せて、こう書いている。
    ▼修復的正義とは不正義に対しての、非暴力的な手段による解決への取り組みのことです。ある人々はそれを生き方とか、ともに生きる道と呼びます。というのも、この方法は、私たちがいかに互いにつながりあった存在であるかを思い出させてくれるからです。(p.iv)

    このrestorative justiceを考える世界観は、すべてのものは関係性のクモの巣の中で互いにつながりあっている、といったものである。

    この世界観では、犯罪は「コミュニティーが負った傷」「関係性のつながりが破られたこと」であり、justiceとは「被害者、加害者、コミュニティーの人々の破られた関係を正すこと」である。

    そのときに、破られた傷を修復するには、被害者のニーズが満たされ、加害者が責任を負うことが重要だ、という見方をする。

    また、不正を正すことは義務であり、その義務は第一には加害者が負うものとされるが、「相互につながりあった関係性」を考えれば、他の人々、コミュニティー全体も義務を負う可能性があるとされる。

    restorative justiceが、刑事司法の見方とどう異なっているかが、29ページにまとめられている。

    刑事司法では、犯罪は「法と国家に対する侵害」であり、justiceとは「国家が罪を決定し、懲罰(苦痛)を与えること、「加害者が当然の報いを受ける」(応報)ことが焦点となる。

    この違いは、「justice」を求める際の"三つの質問"の違いにもあらわれている。
    restorative justiceでは、「誰が傷つけられたのか?」「その人(たち)のニーズは何か?」「そのニーズへの責任は誰が負うのか?」
    刑事司法では、「どの法律が破られたのか?」「誰が破ったのか?」「破った者への罰は何か?」

    つまり、restorative justiceは、「私たちの物を見るレンズの交換を求めるだけでなく、質問を変えることを要求する」(p.85)ものなのだ。

    レンズを変えると、必要な行動も変わる。
    ▼修復的正義は、被害者の損害とニーズを明らかにし、それらの損害を正すために加害者が引き受けるべき責任を明らかにし、その手続きに、被害者、加害者とコミュニティーが参加することを最低限必要とする。(p.33)

    この「損害とニーズ」「責任(と義務)」「参加」の3つはrestorative justiceの主要な柱として、この小さな本のなかでも丁寧に説明されている。

    その説明のあとに、修復的正義の実務上の定義が、こう提言されている。
    ▼修復的正義とは、犯された罪悪を可能な限り正し、癒すために、その罪悪による損害、ニーズ、果たすべき責任をすべての関係者がともに認識し、語る協力的な手続きである。(p.50)

    原田さんの話と関係あるなあと思ったのはここ。

    ▼応報的理論は苦痛を与えることが受けた苦痛を晴らすと考える。しかし実際、それは被害者と加害者両方にとって非生産的である。

    一方、修復的正義においては本当に報われるとは、被害者の受けた損害と苦しみとニーズが理解され認められると同時に、加害者が責任を引き受けるよう働きかける積極的な努力がなされ、過ちが正され、その過ちの原因が明らかにされることにある。

    これらのことをポジティブに語ることによって、修復的正義は被害者と加害者の両方が彼らの人生を新たに創造していくことを助ける可能性を持っている。(p.79)

    ▼修復的と名づけられているだけでその内容を伴わないプログラムや取り組みがたくさんある。そのいくつかは修復的になりうるだろう。しかし中には不可能なものもある。その一つは、さらなる損害をもたらすと同時に修復を不可能にしてしまう死刑である。(p.77)

    今日、先輩から、「自殺のない社会をめざして」というイベント(http://femixwe.blog10.fc2.com/blog-entry-132.html)があることを教えてもらった。「自殺防止を、地域社会、さらには社会全体で考えていけないだろうか」というのも、restorative justiceかなあと思ったのだった。

    ▼修復的正義は、互いに学びあい、サポートし合うための対話への招待である。それは私たちがもともと互いにつながり合った縁ある存在であることを思い出させてくれる。(p.85)

    さて、ものすごいごっつい本(『修復的司法の総合的研究―刑罰を超え新たな正義を求めて』、600ページ超…)は、目次でもよんでみるかな。

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