NIMBYシンドローム考 迷惑施設の政治と経済

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  • 東京新聞出版局
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  • Amazon.co.jp ・本 (283ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784808306649

作品紹介・あらすじ

『うちの近くにはお断り』誰もがそう思うごみ処理、原発、基地…その対立解消の道はあるのか。

感想・レビュー・書評

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  • 「第二章 原子力との共生」のみ読了。一度、返却。
    この本は3.11(福島第一原発事故)以前に書かれているが、その状況下で、社会全体の中で、原子力発電所をどう捉えているか、僻地である原発建設地と消費地である都市部との関係、どういうふうに考えていけば原子力と共生できるのか、受け入れられるのか、そういった気持ちになれるのか。
    また、受け入れた地域はどうしているのか、原発を受け入れるとはどういうことなのか、など、フラットな立場での書き方が良い。
    いわゆる「納得がいく」。
    3.11後に読むと、より深い意味で読むことになる。事故から10年以上経って読むと、さらに、さまざまな角度から読むことが可能になる。

  • 普通の住民はそれぞれの仕事と生活に忙しいのだ。被害を受けない住民が何も言わないのは当たり前である。

    迷惑をめぐる紛争処理のシステムが、この国ではどうやらまだきわめて未熟な段階にある

    迷惑は集中し、大規模化する

    総論賛成・各論反対

    「政府を信頼しない国民」と「国民を信頼しない政府」との間の確執

    設備のととのった大規模な焼却炉で絶え間なくごみを燃やすのがダイオキシン対策となる

    岐阜県御嵩町の産廃処分場についての住民投票に際して、町長が襲撃された。

    産業活動が活発で消費のスケールも大きい都市部の廃棄物が、そのような「過疎地域」に押しつけられることが社会的に不公正

    投票の範囲がひろくなればなるほど直接の被害者は相対少数になり、おまけに迷惑施設から遠く離れれば離れるほど、被害の実家は希薄になる。

    住民投票に難癖をつけるほど水準の高い民主主義を達成しているものといえるかどうかを怪しむ。

    「ごみ発生地のニンビイ」VS「処理処分地のニンビイ」

    ニンビイがからんでくるような問題になると、直接投票といっても、住民投票か国民投票かで全く話がちがってくる

    国策優位論をぶつのなら、住民投票ばかりでなく地方議会や首長の意見表明権も否定しなければ首尾が一貫しない。

    巻町に原発を押しつけようとしている「大都市のニンビイ」から目を背けている

    迷惑施設が必要だというのなら、その迷惑は国民がひとしく分かちあわべきではないのか。

    発電所の立地を受け入れた地域には電源三法交付金と通称される補助金が落ちる

    電力というのは生産と消費が同時に行われる

    東京電力の主力発電所のある程度が管外立地にある

    原子炉から距離を保つことが第一の安全対策

    電源三法
    長大な送電線は田舎から都会に電気を運ぶが、同時に都会から田舎にカネを運ぶ。
    多額の補助金=迷惑料

    一般に、発電所を受け入れても、それで電気が安くなるわけでもなく、迷惑施設を押しつけられている思いの地元にしてみれば不公平感は免れない。

    原発はもともと一般企業にとって立地条件の悪いような土地を選んで造られるので、企業誘致がなかなか進まない。

    ニンビイズムが今日のように多くの国民の精神を支配しているかぎり、地域住民には「ノー」の声を上げる権利がある

    自分の地域に来て初めてリアルに感じる

    基地の被害はすべての人にかかってくるのに、そこからの収入だけでは特定の地域の、特定の人にしか入ってこないという矛盾

    国防と地方自治が原則的に相容れないことを承認するとしても、だからといって、それは国防が地方自治よりも優位に立つべきだということを直ちには意味しない。

    安保を拒否していない本土が基地だけを拒否するのは身勝手であり、沖縄差別だ

    リアルな状況認識がなければなるまい

    迷惑施設についていうと、それを造ることの必要性あるいは公共性に対する疑念がふくらんでいるとすれば、住民がそこに異議を唱えるのは当然で、住民エゴが肥大化したとの非難はあたるまい。

    ある迷惑施設が社会的に必要だと考えられているからといって、それを造ることがいつでも、どこでも公共性の高い事業であるとはかぎらない。

    実際に「迷惑」が我が身に降りかかってきたとき、人は現実の痛みに目覚めて思わず大声をあげる。

    ニンビイだと非難する方こそニンビイだ

    迷惑立地の四原則
    ・公共性への合意の原則
    その施設を造ることがどうしても必要であり正当でもあるという点での、社会的合意がかなりの程度までできていなければならない。
    行政府の手続きに国民・住民の意見表明権をどのように組み込むか?

    ・複数候補地の原則
    立地条件のととのった候補地を複数示すところから、立地選定はスタートするべきである。

    ・受益者近接立地の原則
    迷惑施設は、その施設から利益を受ける人間にできるだけ近い場所に造るべきだということである。

    ・住民参加の原則
    迷惑施設の立地選定手続きに、見せかけでない本当の民主主義を根付かせていきたいということである。

    NIABY(not in anyone's backyard)
    建設を断念するのが正しい選択だとは言えないだろうか。そんなものを造らなくても済むような条件づくりをどう進めるか、それが次の国民的課題になる。

    迷惑施設の立地問題には社会矛盾が凝縮されている。これを住民みずからが民主主義的に解決していくルールとシステムをつくることは大事な過程である。

  • 環境化学の知識に関してはしばしば怪しかったり遅れていたりする事が書かれているが(それでも、一般大衆の多くがそのように問題をとらえているであろうから論理上有害とばかりも言えない)、社会問題に関する記述は示唆に富んでいる。NIMBY批判は逆NIMBY?

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著者プロフィール

福島大学副学長

「2008年 『あすの地域論』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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